研修講師するなら、うなずいて聴いてくれる人に満足してはいけない
セミナーイベントなどで講演する人向けのアドバイスとして、壇上に上がって話しだしたら、うなずいたり目線を合わせて聴いてくれる人を会場内に見つけて、その人に向けて話すようにするといいといったものがある。
ただ、それはあくまで講演者が過度な緊張にのまれることなく落ち着いて話しきるための方法にすぎない。受講者が分かりやすくなる方法とか、理解の進む方法ではないことに注意が必要だ。
出演意図やイベント目的によっては、それで問題ない舞台もあると思うけれど、勤め先で研修講師を頼まれたということになると、そうは問屋が卸さない。
実務エキスパートで後進育成のため研修講師を務めることになったという人に見られるのに、この壁がある。受講者のうち、うんうんとうなずいて目線を合わせて聴いてくれる人に満足してしまう。
その一人なり二人なりのそぶりを見て、あぁ伝わっているなと受講者総体を捉えてしまう。あるいは、全員にいちどきに分からせるなんてそもそも無理な専門的な話だからと最初からさじを投げてしまっていて、わからない人が出ることに対して自分のケアの対象外という認識をもっている。
それは、多くの研修では役割認識がずれている。研修というのは多くの場合、ボトム層を一定レベルに引き上げるためのボトムアップ施策だ。トップ層は勝手に勉強するし、勉強の仕方もわきまえていることが多い。
すでにそれを大方分かっているような人に再確認を促す場ではなく、それを初めて知った人なり、それについて理解が曖昧な人に、深い理解を促すために、せめてそれを学ぶ重要性を認識させたり興味をもたせるために、やっているのだ。
多くの場合、リアクションが大きく、話を聴きながらうなずいたり講師と目線を合わせてくる受講者は、最初からそれをけっこう知っている人が多い。質問されても怖くない。何か訊かれても答えられる自信があるからこそ、講師と目線を合わせていたりする。なんなら「質問してくれよ、見事な解を披露してやるぜ」と思っている。
研修講師のメインターゲットは、そこじゃない。うなずけずに戸惑っている人だ。講師と目線を合わせず、下を向いている人である。その研修テーマに関心を持っていなさそうな人に、自分の話しかけでハッと視線を上げさせることができるかどうか、「あ、なんかちょっとおもしろそうかも」「あ、そういうことか」と関心や理解を促せられるかどうか、そこが主戦場だ(という研修目的のものが圧倒的に多いと思う)。
そのためには講師する側に、けっこうなタフさが必要だ。特に1→多で大人数を前にセミナー講演の経験を積んできた人などは、イベント的な枠組みでの自分のパフォーマンス評価軸に慣れていることもあるだろう。けれど、研修の講師をするときには、受講者が主役であるということを肝に銘じなければならない。
事前の受講者分析を踏まえ、その研修の目的に照らして、その研修がメインターゲットに設定している受講者(こういうことは知っているし、できるけれども、こういうことは知らない、あるいはできない、あるいは関心がない層)こそが、きちんと知識を得て、できるようになる道標を得て、継続的にそれを習熟していこうと関心を高めて研修を終えるために、自分に何ができるか。
言うは易しで、これには事前の作り込みも必要なら、当日関心なさげな受講者に直面しながらもこちらから働きかけ続けるタフさも必要だけれど、でも焦点はそこだって認識はすごく大事だと思う。
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