眼鏡店に通いながら
先日来、とある眼鏡店に通っている。なんだかんだ5回も短期間に足を運んでいて、あともう1回は確実に行くことになる。
1回目、以前そこで買ったサングラスの丁番(ヒンジ)の所をぐにゃりとねじり壊してしまって、修理をお願いするために訪れた。直すのに4週間ほどかかるいうので、お預けして、肩を落として帰ってきた。
家に着いたあたりで、待てよ…と思い至った。そのときは、サングラスの代替として仕方なくJINSのPC用メガネ(一応UVカットと書いてあった)をかけて日中の外出をやり過ごしていたのだけど、これで4週間はたいそう心許ない。
私が外でサングラスをかけているのは目の持病のためで、紫外線は天敵である。その防御という命がけの仕事を、この3-4千円のPC用メガネに4週間も託してよいものか。このPC用メガネからしたって、そんな無茶な!という話ではないのか。ファミレスに高級料亭の接遇を求めるようなもので、そりゃ客のほうがおかしいってもんだろう。
店に預けたサングラスはこれまでにも何度かメンテナンスに出しているのだし、これを機に同じのをもう一つ購入して、壊れてももう一つでしのげる体制を構えておいたほうが安全なのでは。ということで、思い立ったが吉日。その日のうちに店を再訪し、同じものを新品で買いたいと申し出た。これが2回目である。
在庫がなかったので取り寄せとなり、2日後に取りに行ったのが3回目。そのままかけてもずり落ちてしまうので、その場で調整をしてくれるのだけど、その作業途中、店員さんが新品に傷をつけてしまったらしく、その日はとりあえずそれをつけて帰り、また新しいものが用意でき次第、連絡をもらって再訪することに。
翌々日だったか電話をもらって、用意ができたというので4回目の訪問。そこで、また調整をしてもらって、かけて帰ってきたのだけど、あれ、なんだかずれるな…と気づいたのは、店を出て数時間後のこと。
あらためて、直してもらいに行くので5回目。修理に出しているものを引き取るときにまとめちゃいたいところだけれど、これがなかなか、一度気になりだすと止まらない、落ち着かない。そんなひどい状態なら、なんで4回目のときにその場で気づかなかったんだと思うだろうけれど、私も不思議でたまらないレベルで、めちゃくちゃずり落ちてくる…。その場で立ち上がって少し歩いてみたら良かったのかな。
というわけで、とにかく足しげく通っているわけだけど、運動にちょうどいい距離に店があるので、その都度歩いて行き来している。新型コロナウイルス感染回避のため公共交通機関の利用を避けつつ、在宅ワーク中の健康維持も兼ねて。このお店までは幅広の歩道が続き、大木に桜、緑も多いので、いろいろちょうどいいのだ。とりわけ、私は大木が並ぶ道を歩くのが好きなようだ。
で、今さら本題に入るけれど…。
こういう往復って、店側に腹を立てて「もっとしっかり一回でいい仕事してくださいよ」って思う道筋もなくはないんだろうけど、そんな気は毛頭起こらず、のんびり行き来している自分を、なんとなくおもしろいなと考察対象に見た。
いや、冷静に考えれば、どれも一方的に向こうの都合でっていうんじゃない。私がその場で「ずれますね」ってフィードバックできていれば、その後の再訪はなかったかもしれないし、在庫がないのだって事前に連絡していれば、取り寄せてもらった後に訪問して一件落着である。
無駄が起こることは承知の上で、身体を動かす機会にもなるし…と、非効率の発生をはなから許容して動いていたという自覚はあるし、これはこれで、人っておもしろいなと思ったりする。
もちろん、時間に余裕がなかったり、心に余裕がなかったりする状況下では、そんなのんきなことは言っていられないし、こんな時系列でぐだぐだと…回ごとの整理をして、あのときは向こうの都合、このときはこっちの都合か…なんて認識し直すこともない。性格的な温厚さがどうあれ、同じ人間でも状況次第で、なんだか腹が立つってことになりうるかもしれないと思う。
文句はないし、向こうが悪いとも思わないけれど、いらいらするのはとめられないのよ!ってことだってあるだろう。むちゃくちゃは承知の上で「もっとしっかり一回でいい仕事してくださいよ」って言いたくなる、まぁそんなときもありましょうと思う。そういうときは、人のせいや自分のせいにせず、余裕がない状況に身をおいているんだという理解で、ことさら気にしないでやりすごすのが一番じゃないかと思うけれども。
私が今回、そういういらいらを抱え込むこともなく、ゆったり往復をたのしんでいるのは、どうしたことからだろう。そう考えを巡らせてみたところ、時間や心に余裕がある、いい運動にもなるというのもあるけれど、その上でもう一つ、思いついたことがある。
というのは、その店員さんが一所懸命つるの形を調整している背中を、静かな店内でずーっと、そうだな、5分とか10分とかかな、椅子に座ってのんびり眺めていたのが、一つの足場になっているように思われたのだった。スマホを見るでもなく、店内を歩き回るでもなく、ただ座って、その店員さんの後ろ姿を、ずーっと、ぼーっと見ていた。
私には、その店員さんが玄人なのか駆け出しなのか判断がつかなかった。上手いも下手も、よくわからない。人それぞれの顔形にあわせて調整するのは決して簡単ではなさそうだし、少なくとも自分にはできそうにない。
そのことだけはわかるけれども、何かにひたすか、かざすかして(あっためているのか?)、指を使って、つるの曲がり方を調整して、客にかけてもらって、片耳ずつ引っかかり方を確認して、どこを直せばいいかチェックして、再び何かにひたして調整をして、それがどんな難しさなのか、皆目見当がつかなかった。
ただ、それを慎重に一所懸命やっている背中の静かな光景を視界にとらえながら、そういえば、私はあてもなくいろいろ考えていた。
もしかすると、この人は結構な玄人なんだけれども、私の頭なり耳なり顔なりがカスタマイズを非常に要する形状とあって、並々ならぬ苦労をかけているのかもしれない。あるいは、わりと駆け出しで、試行錯誤しながら調整を鍛錬しているただなかにあるのかもしれない。とすれば、この経験もまた、彼が技量を養う一助になるだろうか。
そういう想像力の産物というか、なんでもない時間のなんでもない妄想の跡というのは、まぁ本当になんにもならないようでありながら、意外と、他者に向けられる優しさや、状況を穏やかに見守る足場になっているように思われた。
相手にかけているかもしれない苦労・気苦労への配慮、相手の頑張りに対する応援の気持ちなどは、もしかすると…という妄想から勝手にもわもわ生まれて、自分の心の中にいろいろ膨らんでいって、そうしたものが実は足場になって、いろんな状況を穏やかに受け止めている。
言いたいことをそんなに的確に言葉で表せるわけじゃないんだけど、なんというかな、優しさとか穏やかさとかっていうのは、それ単体で得ようとして、そういう人になれるもんじゃなくて、人のことを観察したり、具体的なイメージを膨らませた先に、自然と出てくる人の性(さが)みたいなものなのかもなと、そんなことを思った。
ちなみに、5回目の訪問時は、その彼がいなくて他の人に調整してもらったのだけど、かけている状態を見て、「あぁだいぶゆるいですね」とすぐさま反応し、見事な調整を施してくれた。下を向いてもずれない、締め付けられて痛いということもなくジャストフィット、その後、何日も使っているけれど、まったく問題なく自然すぎるかけ心地だ。最後まで、先の(きっと駆け出しの)彼にお願いせず終えてしまったのはちょっと胸が痛いけれど、まぁ経験を積む一端にはなったかと勝手な着地。プロの仕事というのは、やっぱりすごいものだなと思った。
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