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2020-04-11

大きな災禍は単調なもの

カミュの「ペスト」を読んで最も印象的だったのは、「大きな災禍は単調なもの」というくだりだ。

みずからペストの日々を生きた人々の思い出のなかでは、そのすさまじい日々は、炎々と燃え盛る残忍な猛火のようなものとしてではなく、むしろその通り過ぎる道のすべてのものを踏みつぶして行く、はてしない足踏みのようなものとして描かれるのである。

「燃え盛る残忍な猛火」ではなく「はてしない足踏み」のようなもの。というのは、外出自粛して事の成り行きを見守りつつ、一日も早くこれが行き過ぎるのをじっと待つ一市民としては、納得するところ大だった。

話は続く。市民の間では、段階的に想像、記憶、そして感情の豊かさが失われていく。

われわれの町では、もう誰一人、大げさな感情というものを感じなくなった。そのかわり、誰も彼もが、単調な感情を味わっていた。

人の状況を慮って想像をめぐらしたり、先の好転をイメージして希望を抱くことができなくなる。亡き人を思い出して懐かしがることもなくなる。初めの頃のがむしゃらな衝動、熱っぽさや痛切な感情は長続きしない。いずれ消沈状態が訪れる。

眼前の不幸や苦痛を受け入れて暮らすしかなければ、人はおのずとそれを受け入れて生きられるように、感覚を鈍化させていく。刻々の瞬間をやり過ごすようになっていく。

彼らはまだ当然のことながら、不幸と苦痛との態度をとっていたが、しかしその痛みはもう感じていなかった。(中略)まさにそれが不幸というものであり、そして絶望に慣れることは絶望そのものよりもさらに悪いのである。

自分というものを豊かに働かせていては、とてもこの難局をやりきれない。一喜一憂していては参ってしまう。なので、考え巡らすこと、イメージすること、何かを大事に記憶にとどめたり、感情豊かに内外に関わっていくことを手放して、おのずと今の環境に適応していく。

それは自衛手段に他ならない。だけど、これは人を無個性化するプロセスでもある。「個人的なものを断念」し、「他人が興味をもつことにしか興味をもたず、一般的な考えしかもたなくなり」と、その様が語られる。

ペストは各種の価値判断を封じてしまった。そしてこのことは、誰も自分の買う衣服あるいは食糧品の質を意に介さなくなったという、そんなやり方にも明らかに見えていた。人々はすべてを十把ひとからげに受けいれていたのである。

そんな無個性が、日ごと週ごと自分の身のこなしとして馴染み定着していって、無意識のうちに習慣づいているとしたら怖いなと、ずいぶんその節のあたりで読みとどまってしまった。

そうして考えが滅入っていったときに、小説が描く時代から飛躍的に進歩した技術に下支えされた世界に、自分たちは生きていることに気づかされ、救われた。

小説の世界では、あちこち徒歩で行き来し、遠方に離れた大事な人とは手紙や電報でやりとりしていたが、今は日々SNSでつながっている人たちの近況も伺えれば、メッセージのやりとりも家の中から手軽に行える。つなぎよう次第で、音声通話すれば声も聞けるし、動画でつなげば表情もうかがえる。父に電話すれば、20分ほどのマシンガントークを、いつもどおり聴かせてもらえた。自分の感情が、穏やかに、健やかに揺れているのを感じられる。

また私は、相変わらずのらりくらりした文章を書いてはネット上にあげている。それは無教養な代物であれ、とりあえず自分が生きていく活動の一端であり続けている。現代はあらゆる人の手元に、個性の表現手段がある。

インターネットを通じて最新の情報も遮断されることなく多方面から得られるし、物流も止まらなければ、生活必需品の店舗も開いている。

ジョギングや散歩もでき、道行くと春は問題なく訪れていて、桜が舞い散り、大木は通るたび青々と変化し、花壇にはチューリップがぴんと姿勢よく並んで、鳥はさえずりながら頭上を飛んでいる。

私たちは単調さを回避する術を、これほどまで豊かにもっているのかと思い直す。これを活かさない手はない。あぁ、ありがたいと思う。

苦しいときは閉じていい。感情を抑制し、無表情を受け入れ、豊かな想像・記憶力を強いることなく、しばらくゆったり、ある意味淡々と過ごすのもいい。

一方、有り余るエネルギーを自宅に閉じ込めて、それによって苦しんでいるなら、小説の時代当時には使えなかったが今なら使える技術・環境をフル活用して、単調さから自分で脱却すればいい。このありがたさを、きちんと意識しておかないと、宝の持ち腐れだなぁと思った。

「はてしない足踏み」の中で、ある種の単調さ、ある種の感情抑制をそれはそれとして受け入れつつも、完全な眠りにつかずに自分としての個性を覚醒し続けることが、ちょっと知恵を絞る必要がありそうだけど大事なんじゃないかってなことを思った次第。

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