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2020-04-27

8分で泣きやむ

金曜日、ベッドで横になっていたら、なんだかぽろぽろ涙がこぼれてきて、止まらなくなってしまった。

打たれ弱いが、立ち直りが早い。すごくはないけど、そこそこタフ。頭は良くないが、ものの感受性はまずまず。心は揺れても、ことは淡々とやる、安定感はわりとあるほう。涙流れるなら流してしまえ、たいてい8分くらいで蹴りはつく。10分で泣きやんで、ひとりで態勢を立て直そう。

だいたいこういう自分観であれこれ凌いでやってきたのだけど(昔なにかで人が涙を流せるのはせいぜい8分という話を聞いて以来ずっとそれを頼りにしている…)、いやぁ、今回も地味にふさいで、地味に立ち直った。

理由は明確で、腰を先週火曜の朝に玄関先でゴキッとやってしまったからだ。それまでは毎日、早朝と夕方にジョギングしていたので、こんな時世で家にこもっていても、まずまず心身の健康を淡々と維持できていた。

空は青く、陽は春めいて、葉は日に日に緑豊かになっていって、そんな風景にふれながら、こんな日々でも自然に支えられて暮らしていたのだ。

が、火曜から運動がまったくできなくなって、よろよろの状態で1日、2日、3日と重ねていくにつれ、地味につらくなっていった。

毎日体を動かすことで、心身の健康を淡々と維持していたことを痛感。運動できなくなってしまったら、大事な人たちともまったく会えずに日々を重ねていることにも悲しみが募って、気持ちがふさぎ出した。

おっかさん、こりゃあ、まいったよ。さきざき人に会える見通しも立たないし、志村けんも岡江久美子も亡くなってしまったよ。

私にとっては岡江さんも、子どもの頃を思い出す尊い人だ。「はなまるマーケット」の人じゃなくて、夏休みに妹と一緒にくつろいで見ていた「天までとどけ」のお母さん役だ。

遠く子どもの頃の記憶まで引き戻されて、そこから来し方行く末に思いが巡りめぐって、悲しい気持ちに満たされてしまった。

まぁでも、世の中がどうあれ、自分がどういう人生を生きてきたにしても、孤独さを引き受けて生きなきゃいけないところからは逃れられないし、最後はひとりで死ななきゃいけないし、だから受けて立つしかないんだけどさ。でも、だからこそ、人に会えるのは生きている間だけで、今がかけがえなく大切なのにね。なかなかね、生きていると、世の中は時に、どうにも厳しい試練を与えてくるものだよね。

そんなんで8分ほどじっくり悲しみにひたったら、あとはまた1日、2日と時を静かに重ねていって、無理をせずに浮上を続けた。

昨日あたりから、多少はましになったような気もする腰をさすりさすり、よろよろと2キロほど外を歩くようにして、YouTubeで腰痛に効くストレッチを探してやってみるようにして、段階的に気持ちを立て直した。

しばらく辛抱だけど、無理せずウォーキングをのそのそ続けて、あと少しして整骨院が開いたら、そこで体を立て直して、またジョギングできるように体を戻したいところ。そこまで持っていけたら気丈に立ち続けられると思うんだよな。はやく早朝に青空の下を走りたいなぁ。

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