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2020-03-30

不要不急の仕事

ここ数週間、うぅ寒いよーと感じると、もしや熱があるのでは!?と、念のため体温を測っている。すると、だいたい35.7度だ。おぉぅ、単に体温低くて寒いんかい!というのを、もう何度か繰り返している。熱がないことにほっとしつつ、体温の低さにがっかりしつつ。真冬に測って34度台をたたき出したことがあるので、それに比べればだいぶましなのだけど。

ともかく、ぶるるっとするのはまずいということで、即効性を求めて洗面所に行く。蛇口をひねってお湯に手をかざす。すると、なんてあったかいんだ、一気に身体があったまるなぁと幸せを感じる。

ぎりぎり、蛇口をひねっても水しか出てこない時代を記憶にとどめている世代なので(今ほど簡単じゃなかったの意)、蛇口ひねってお湯が出てくるってありがたいなぁと、しみじみしながら湯を味わう。

そもそも蛇口ひねって水が出てくることがありがたいし、電気、水道、ガス、通信、交通…、やっぱりインフラ事業に従事している人の仕事の偉大さというのは、もう頭をたれるほかない。

この危機的状況の中では医療ももちろんだし、食品や日用品、物流、スーパーやコンビニ、メディアの情報も欠かせない。買い物のたび、ありがたい情報に触れるたび、なんて「今、必要な仕事」だろうかと敬服する。

ゴミ出しのときも、日々のゴミ収集というのはなんと偉大な仕事かと、しばし感じいってしまう。これが溜まっていっては、家も街も大変なことになる。美化うんぬん以前に衛生的にみて、これほど欠かせない仕事もなかなかない。

そんなことを日々再確認させられる中では、自分の仕事の「不要不急」かげんというのを思い知らされるところ多分にあって、自分にできて、やるべき仕事とは何なのだろうか…と、しばし放心してしまう。きっと、そういうことを見直す時期として有効に使うべきなんだろう。

既存の枠組みは、内外で融け出している。昨秋の自分の部署異動も、なかなか良きタイミングであったなと思う。実際、仕事内容も大いに変わり、役目とするところも良い意味でこだわりなく、自分がやれること、やるべきと思うこと、やりたいことをやるようにしている。2020年度、この流れを受けて良い仕事をしたいなぁ。

それにしても、今日流れてきた志村けんさんの訃報には参った。子どもの頃、毎週楽しみに「8時だョ!全員集合」を観ていた。あんまりおかしいので、椅子に座っておれずに居間のじゅうたんの上でおなか抱えて転げまわっていたのを覚えている。

大人になって、学生時代の友だちの家に遊びにいったら、彼女の子どもが「8時だョ!全員集合」のビデオを観て笑い転げているのを見て、世代を超えてこれだけ人を笑わせるって、すごいコメディアンだなぁと改めて感心した。世の中に、どれだけの笑いを生んだのだろう。尊い人をなくしてしまった。

不要不急の仕事でも、尊い仕事っていうのもきっとあって、いろんな仕事で人は支えあって、世の中まわっているんだろう。そう、励まされもした。合掌。

2020-03-28

「ものすごい怖い」という医師の言葉の力

この間の東京都の記者会見で、国立国際医療研究センター・国際感染症センター長の大曲貴夫氏が「ものすごい怖いです」と言葉を発したのに、心をつかまれた。

都知事が、今週末の外出自粛などを都民に要請した新型コロナウイルス関連の記者会見で、都知事の隣りに座っていた大曲氏に、取材記者から質問がとんだ。

「実際に患者を診ている医師として、これまでと違う新型コロナウイルスの怖さがあれば具体的にお願いします」という問いに、大曲氏が応じた。その様子は、下のリンク先で動画が見られる。大曲氏の声や表情からも、受け取れるものは多分にあると感じる。

【動画】新型コロナウイルスの怖さは?東京都の緊急会見で専門家が見解│ニッポンドットコム

発言を書き起こすと、次のように話している。

この病気の怖さというのは、これはWHOが出している数字でも出てきますけれども、8割の人は本当に軽いんです。歩けて、動けて、仕事にもおそらく行けてしまうし…、軽いんですよね。ただ、残り2割の方は確実に入院は必要で、全体の5%の方は集中治療室に入らないと助けられない。しかも、僕は現場で患者さんを診ていてよく分かりますけれど、悪くなる時のスピードはものすごく速い。本当に、1日以内で、数時間で、それまで話せていたのに、どんどん酸素が足りなくなって、酸素をあげてもダメになって、人工呼吸器をつけないと、もうこれは助けられない状況に数時間でなる。それでも間に合わなくて、人工心肺もつけないと間に合わない。ということが目の前で一気に起きるわけですよね。ものすごい怖いです。特に持病がある方には、そういうことが起こるんですよね。だからやっぱり、かかっちゃいけないと思います。僕はすごく強く感じます。というのが僕の正直なところです。

ニュース番組が、この日の記者会見の一部を切り取って放送するとなると、都知事が外出などの自粛要請をする冒頭部分がまず採用されるだろうし、確保できる尺によっては、この話は放送にのらなかったかもしれない。

でも、この大曲医師の言葉こそ、直接聴くことで人を動かす力をもつように思った。病を目の当たりにして、それと日々闘っている医師が、「ものすごい怖いです」と、皆に伝える。こういう映像が広く採用されて、多くの人に届くことは、大事なことだなと。

それから、カミュの小説「ペスト」の中の一節を思い出した。新聞記者のランベールは、パリにいる妻(的な人)と引き裂かれ、ペストが流行して封鎖された町の中に閉じ込められてしまう。自分はこの町の住人でもなんでもないのに、町を出られない。医師のリウーに、この町から出られるよう手続きを頼むが、リウーは冷静に拒否する。医師が発する理性的な言葉に、新聞記者はいらだって言い放つ。

あなたには理解できないんです。あなたのいっているのは、理性の言葉だ。あなたは抽象の世界にいるんです。

私は、この一節を読んだときに思った。このランベールの2つ目と3つ目の言には、思考の飛躍があるよな。「理性の言葉を話している人」が、「抽象の世界だけに生きている」というのは、勝手な決めつけだよなと。

医師のラウーは実際、抽象と具象を行ったり来たりして過ごしていた。増える一方のペストにかかった患者に向き合って治療を施し、それが済むと各種の統計を検討し、午後は宅診にもどり、晩には往診に出かけ、夜遅くに帰宅。

自分が流行性の熱病だと診断すれば、その病人は連れ去られることを意味した。病人の家族らは、全快もしくは死亡しないかぎり、その病人に二度と会えないことを知りながら、電話をかけ、救急車を呼ばねばならなかった。泣き叫ぶ家族があり、リウーの腕にしがみつく家族を日々相手にしていた。

24時間、毎日毎日、抽象と具象の行き来、理性と感情の両立を、自分一人の中でやりくりして、無理が生じるぎりぎり手前のところで闘っていた。

理性的に話す人も、抽象の世界だけに生きているわけじゃない、感情がないわけでもない。いろんなことを受け止めたり、受け止めがたく保留にしたりしながら、その時どきの自分のキャパシティの最大限で最適解を模索して、自分のふるまいをコントロールしていたりする。その1シーンが時に「理性的に話している」状態に見えるだけであること、あるいは見せているだけであることに、私は思いを寄せたいと思った。

私のような一市民にできることの一つは、そういう想像力を働かせて、一線で闘っている人に思いを寄せて過ごすことであり、それはほとんど何の力にもならず、足を引っ張らない程度の役にしかたたないけれど、小さく静かな力が積もり積もったときには意味をもつかもしれない。

一方で、専門家はときに、理性的で抽象的な言葉だけでまとめずに、感情を持ち出した発言を自分に許容したほうが目的に適うときがあるんじゃないか、そんなことも考えた。

2020-03-26

「Web系キャリア探訪」第19回、打てば必ず響く人

インタビュアを担当しているWeb担当者Forumの連載「Web系キャリア探訪」第19回が公開されました。今回は、当連載での最年少27歳、花王のマーケター廣澤祐さんを取材しました。

いまや講演依頼が殺到の若手マーケター! きっかけは会社がくれた小さなチャンス

新卒で花王に入社、最初はさまざまな事業部を横断的に支援するデジタルマーケティング部門に配属され、経験を積んだ後、現在は「キュレル」というブランドを扱う事業部に異動して活躍中です。

社会に出る前の中高や大学時代、就職活動のあれこれも、たっぷりお話を伺いました。いつ頃から、どんな感じでインターネットを使いだして、どんなことに刺激を受けて、どんなふうに進路を検討し、新卒入社後、どんな出会い・経験・学習を重ねて今に至るのか、今後についてどんなことを考えているのか、いずれも鮮明な記憶と!ご自身の思考プロセスを具体的にお話しくださいました。この春から20代の後輩や部下をもつ、もうちょい上の世代の皆さまにもお役立ていただける視点があるかも。

また、改めて新社会人を周囲がどう受け入れて関わっていくかって、本当に大事だなぁと思いました。

上司や先輩が、「この本はぜひ読むといい!」と薦めてくれたり、「この人とはぜひ会っておくべき!」と社内外問わず引き合わせてくれたり、「これはぜひ体験しておいたら!」とチャレンジする機会を与えてくれたり、その途中でフォローを入れてくれたり、終わった後にしっかりフィードバックをくれたり。

そうやって周囲からもたらされる未知の世界が、刺激的で、おもしろくて、自分を成長させてくれる出会いや経験の連続だと、自然のうちに「よくわからない人や状況」に対してポジティブに関わっていこうって気になるものだよなと。

よくわからないけれど、この人が薦めるんだから、会ってみよう、やってみよう、行ってみよう、読んでみよう。そうやっているうちに「この人が薦めるんだから」って前提条件を取っ払って、いろんな人に、いろんなことに、前向きに関わっていこうって基本姿勢が自分の中に定着していくんじゃないかしら。

もちろん子どもの頃から、そういう環境にあった人もいると思うけれど、そうでなかった若人にも、社会人になって初めての職場環境がこんなふうに自分を受け入れ、関わり、いろんなチャンスを提供してくれる場であったなら、世界の見え方、自分の可能性の捉え方、大いに変えられる人も少なくないんじゃないかって思いました。

そうして、上司や先輩が自分にしてくれたことを、自分もまた部下や後輩にやっていくというふうに、自然な流れで気持ちも行動も受け継がれていくのは、すごく素敵な循環だなぁと。花王さんは、それを具現化しているように感じられました。

一方で、この関係を下支えしているのは確実に若人個人の側にも理由があって、本編ではもちろんそちらをフォーカスしていますので、ぜひご一読いただけたら嬉しいです。廣澤さんが、上司や先輩、周囲の方々と築いていく「打てば必ず響く人」という信頼関係づくりは見事なもの。編集後記的な「二人の帰り道」にも書きましたが、一つひとつの出会いや経験をすごく大事にして活かしているし、いろんな人からいろんな要素を学び取って自分オリジナルのキャリアに編み込んでいっているのも、すごく素敵だなと思いました。

2020-03-21

想像力は鍛えるより自然発生させるもの哉

再びTBSラジオの「安住紳一郎の日曜天国」を話題にしてしまうのだけど、3月15日のオープニングはかなり聴きごたえがあって、「薄いつながり」という言葉が胸に刻まれた。

この番組のオープニングは30分ほどの余裕があって、初めは安住さんが独擅場でフリートークを展開し、ほどよいタイミングでリスナーからのお便り紹介に移行するのが通例。この日の初っ端は、新型コロナウイルスに集団感染したクルーズ船の乗船客、ラジオネーム「砧(きぬた)のヒマラヤ杉」さんの退院報告だった。

砧のヒマラヤ杉さんは、ダイヤモンド・プリンセス号が横浜に停泊しだした当初から、この番組に毎週メールを送ってくれていて、週ごとのメッセージテーマを絡ませてユーモアも交えながら、船内の状況やご自身の状況を落ち着いてレポートし続けてきた。

船内に隔離されてから2週間ほど経った2月半ばには、砧のヒマラヤ杉さんが感染していることがわかり、これから下船して病院に隔離入院することになるという報告も入って、安住さんも、アシスタントの中澤さんも、番組スタッフも、多くの番組リスナーも、彼女の身を案じつつ、毎週のお便りに耳を傾けてきた。

先週の放送では、彼女が無事に退院して自宅に戻られたという報告メールが読まれ、薄く細く弱く人と人がつながっていることの意味を味わうオープニングとなった。

安住さんは、彼女の退院報告を読み上げた後、こんな話をした。

ダイヤモンド・プリンセス号での感染者が700人、696人と言われても、どこかやはり他人ごと。実感のないもので、ただただその数字に驚いて。学者のように自分なりの評論するっていうのが普通の人間ですね。ただ、そこに自分の知っている人がいるとなると、急に問題意識が変わりますよね。「早く収束してほしい」と。

そして、こんな話を続ける。

たくさんの人と知り合いになっておく、コミュニケーションを取っておくっていうのは、社会生活を送る上で、とても大事だなということに改めて気づく。近隣トラブルでも、取引先や学校のトラブルでも、知り合いになっておく、コミュニケーションを取っておくと、避けられるトラブルは多いんじゃないか。赤ちゃんの泣き声がうるさくても、その赤ちゃんのことを知っていると、そんな激烈に怒りが噴出してはこなかったりして。1回でも抱っこなんかしていると、なおさら。だから、なるべくたくさんの人とつながることが、とくに今のような時代には、上手に生きる秘策なんじゃないか。ラジオでいうなら、本名も知らない、顔も知らないけれど、なんとなく同じ番組を聴いている一人という薄いつながりが、こういうときには役に立つものだなという気がした。

私は、この安住さんの「薄いつながり」という言葉を反芻しながら、そのままラジオを聴き続けていた。

さて、この日のメッセージテーマは「一度、やってみたいこと」。一番に読まれたのは、ラジオリスナーには珍しい12歳の女の子からのお便りだった。

小学校6年生の私の一度やってみたいことは、ちゃんとした小学校の卒業式です。今月24日に卒業式があるのですけど、保護者なし、在校生なし、代表者が卒業証書を受け取るだけの簡易的なものになります。とても残念です。3月になったら体育館での練習が始まる予定でした。合唱や呼びかけもすべてなし。集合写真も禁止です。ちなみに私が言うはずの呼びかけは「先ほどいただいた卒業証書には」でした。言いたかったし、歌いたかったです。先生、そして2組のみんな、大好きだよ。コロナが収まったら同窓会を絶対やろうね

アシスタントの中澤さんが「ね、絶対やろうね、絶対やろうね」と、安住さんが読み終えるや、言葉を継ぐ。

その後、オープニングの締めに向かって、中澤さんは「メッセージの受付電話番号は〜」と毎週恒例の案内を読み上げるのだけど、ここで言葉をつまらせてしまう。再び話し出すも、何度も言葉をつまらせる。安住さんは頑として、彼女に最後まで仕事をさせる。引き取って自分がしゃべったりはしない。中澤さんがなんとか涙声を引きずりながらも、30秒ほどかけて最後まで案内を言い終える。

多くのリスナーが息を呑み、中澤さんに「がんばれー」と声援を送り、心を通わせ、涙し、彼女が一通りを言い終えたときに安堵する、そんな様子を私は脳内にイメージしながら、オープニングを最後まで聴いた。

Twitterを覗いてみると、中澤さんのお子さんはちょうど小学6年生らしい。というので、番組はじめに安住さんが口にしていた「薄いつながり」が再び、私の脳内で響きだす。

毎週聴いているラジオ番組のアシスタントの涙声、12歳の女の子のお便りが、薄いつながりとなって、私の気持ちを彼女らに引き寄せていく。今年卒業する子どもたちやその親御さんは気の毒だなぁという客観的な立場を離れて、彼女たちの思いが自分の心のうちにとけこんでゆくのを感じる。

想像力を磨いて、それを存分に発揮しようだとか、相手の立場にたって物事を考えようだとか、演繹的にアプローチしても、なかなかどうなるものでもない。けれど、日頃からいろんな人に触れ、いろんな人のことを知り、いろんな人と薄く、細く、弱くつながっておくと、なんだか特段頑張らないでも、おのずと想像力はいろんなところで働きだす。他人に思いを寄せたり、未知のものを受け容れたり、自然とやっている。これぞ無為自然というか、私たちは、そういう生き物なんじゃないかと、そんなことを思う。

その数日後、ダイヤモンド・プリンセス号の乗船客を受け入れた愛知県の医療センターの向かいに小学校があり、そこの児童が他校の児童から「コロナ小」などと言われて中傷される被害を受けていると、ニュースにあった。

そんな被害に遭って気の毒すぎる小学校に、NHKが取材に入っていた。映像を見ていると、この小学校の高学年全員にあたる350人が、医療センターが受け入れたクルーズ船の感染者や医療スタッフに励ましの寄せ書きを贈ったと報じた。6年生の男の子の提案で、行動を起こしたのだという。

【特集】児童から岡崎Cへ贈り物│東海 NEWS WEB

いま、薄く細く弱い人と人のつながりが、この世界を温かく覆っているように見える。他にもいろんなものは見えて、それもまた直視しなくてはならない現実だけれど、このつながり、この温もりもまた見逃してはならない。このつながりから想像力を働かせて、読み取れるものを読み取り、人に思いを寄せる時間を大事に取っていかないと、そうでないものに飲み込まれてしまう。薄いつながり、弱い縁から、いくらでも膨らませられる想像力を、こんなときこそ大事に使うのだ。

※ラジオの話は、実際よりだいぶ縮めてしまったので、ニュアンス含めて読みたいとか聴きたい方は、ぜひこちらから。

2020-03-12

「電話職人」なラジオリスナー

TBSラジオで日曜の朝10時からやっている「安住紳一郎の日曜天国」では、毎回テーマを掲げてリスナーからのメッセージを受け付けているのだけど、その受付方法の一つに電話がある。

「電話番号は~」と案内するアシスタント中澤さんの声が聞こえてくると、電話口でオペレーターにメッセージを語り聞かせるリスナーの様子を思い浮かべようとするも、なかなかイメージが定まらず、しばし固まってしまうというのを、私はこれまで何度となくやってきた。

ラジオ番組でメッセージを受け付けるというと、昔の定番はハガキ、封書、FAXとか。これに代わって最近はメール、番組サイトの入力フォームから送るとかが主流だろうか。簡単なものなら、Twitterで番組指定のハッシュタグをつけて投稿してもらうなんてやり方もある。

けれども、電話というのは、なかなかすごい。

いや、リスナーとの電話のやりとりを軸に据えて、子ども電話相談室をやる番組なんかはあるし、番組の中でリスナーさんに電話をかけて番組ナビゲーターとやりとりすることなんかも、さして珍しくはないんだけれども。

そうではなくて、ここではあくまで、メッセージを受け付ける手段の一つとして電話もOKですよという話。番組放送中に裏でオペレーターさんが話を聴いて、聞かせどころがあれば採用して放送に乗せるということになる。

これも、歌のリクエストとか、何かに賛成か反対か、局側で用意した選択肢の中から何を選ぶか、その理由は?とかなら、話はわかる。

うまく要領を得た話をできなくても全然構わないから、今回のテーマにまつわるあなたの率直な声、悩みを聴かせてもらえませんか?と、そういう趣向のものであれば、それもわかる。

でも、安住さんの番組で受け付けるメッセージテーマは、そういう生やさしい?ものではないのだ。「外食の話」とか「成人式の思い出」とか「寒さと私」とか「小さな幸せ」とか「私のオシャレ」とか「忘れられない友達」とか、このお題でひとネタお願いしますという、ハガキ職人が腕をふるうタイプのやつなのだ。それでいて、あくまで市井の人として、ちょうどいいエピソードがあったのでお送りしました、という風情が必要だ。

自分が何者で、どんな場面設定で、どんなことが起きて、どんなオチで、というのを程よい分量で順序立て、物語性を磨き上げて。文章を書くときの推敲プロセスなしに口頭で話すなんて、私からすれば至難の技である。

いや実は昨日起こったことなんですがね、私は郊外で花屋を営んでおりまして、昨日の夕暮れどきに店先で常連客の女性が通りがかったところ、立ち話になったんですよ、それで…

なんて、いや、どこまで具体的にして、どこまですると冗長になるかとか、何を先に行って、何を後にもってくるかとか、どんな言葉を選んだら小気味よいかとか、そんなの頭の中だけでやって電話口で語り聞かせるの、難しすぎるだろう。

ハガキ職人ならぬ、電話職人みたいな語り聞かせる系の玄人も、ラジオリスナー界隈にはいらっしゃるのだろうか。

あるいは、電話を選ぶ人は、手元の紙でじっくり構成や言葉のチョイスを推敲した上で、よしっと気合を入れて電話をかけているのだろうか。

本番は安住さんがプロの技でうまく語り聞かせてくれるにしても、電話の時点であんまり冗長に、あるいは自分で笑っちゃいながら話しては、いくら話のタネが良くても採用されないだろう。語りの手腕が欠かせず、文章を送るよりずっと難易度が高く感じる。

電話口でしゃべれれば、別に放送に乗らなくても良くって、そこで局と直接コミュニケーションすることに価値ありって捉え方もあるのかな。ラジオ局側にしても、番組や局のファンづくりの一環として働くって見方があるのかもな。そういうことも大事ってことでなければ、けっこうな予算をとって電話オペレーターを雇って、そういう設備を整えたりしないよな。

それはそれとしても、では電話オペレーターなる人たちは、どこまでを役割として働いているのだろう。どんなふうに話を聴いて、どんなふうに書き留めて、どんなふうに番組スタッフのところまであがってくるのか。話されたままを、できるだけ忠実に記しているのか。要領を得ない話は、いくらか整理してブラッシュアップしたりするのか。

それにしたって、この手のネタ系のは、語りによってだいぶクオリティが変わってしまうから、もしかしてオペレーターの人がうまいこと、それとなく話を編集していたりして。あるいは、この情報を後にまわしてこれを落ちにしたら、これはいけるかも!みたいな話し合いをリスナーさんとして、じゃあそういう展開に書き換えて出しておきますねぇなんてのもありとか。この人の話はおもしろかった!みたいなオペレーターお薦め☆マークの欄とかもあったりしてとか。

って妄想が膨らむが、これまで電話で受け付けて採用されたメッセージってあるのかな。あるなら、その人はどんなネタを、どんな用意を事前にした上で電話をして、どんなふうにオペレーターの人に語り聞かせたのだろう。オペレーターの方はどんなふうに書き留めて番組制作側に伝えたんだろうなぁというのは、ちょっと気になるところだ。

採用されないまでも、この手のネタ系メッセージ募集で電話をかける人っているのかなぁというのは気になる。テーマによってはいるのかな。電話が一番ラク、話して伝えるのが一番自然に表現できるんだよねって人もいるんだろうけど。

書き表すのと、語り聞かせるのは、共通するところもありつつ全然ちがう能力を用いる感覚があって、電話でもメールでも受け付けますっていうのは、ちょっとした異種格闘技戦みたいだなぁと思う。

2020-03-10

叔父の急逝と、自分の誕生日

一昨年の夏、「俺の娘の日記」と題した話をここに書いたのだけど、そこに登場した叔父が、先日急逝した。急逝といっているのは、私が事情をよく把握していないだけで、家族にはもういくらかの期間があったのかもしれない。けれど、出向いたお通夜の席で話を聴いたかぎりだと、癌の治療そのものはうまくいったようにも窺え、治療過程や後のあれこれが重なって最近急に体調をくずしてしまったようにも聞けた。

亡くなる1週間ほど前に、いとこ(叔父の息子)から私の父(叔父の兄)に連絡が入り、もう長くないかもしれないというので、父は急いで京都の病院まで、叔父に会いに行った。が、その時点でほとんど意識はなかったようだ。

とすると、ゆっくり会って話せたのは、一昨年の夏、叔父と叔母が千葉まで会いに来てくれた、私も同席したあのときが、父にとっても最後だったということになるかもしれない。

その時点では、がんの治療をして胃をだいぶ小さくしたので、そんなに食べられなくなったという話をしていたのだけど、しゃきしゃきおしゃべりしていたし、すたすた歩いていたし、カラオケも振り付きで歌っていた。治療も一段落して、京都から千葉まで車でドライブしてやってこられる体力もあるのだし、これからぐんぐん回復して元気になると願っていたし、信じていた。

しかしながら、このほど父が訪問して数日後に叔父は亡くなってしまった。

父は、お通夜や葬儀は欠席すると言った。まぁ新型コロナウイルスのこともあるし、1週間に二度も新幹線移動の往復は体にこたえるし、なにより生前に本人に会いにいけたんだから…と思い、私は「お通夜は私が行ってくるよ」と電話で応じた。兄も行くというので、京都駅で待ち合わせて、そこから2人で葬儀場へ向かった。

私は一応、父の年賀状リストをもとに親戚データを予習(復習?)してきたので、父の兄弟は上から順にこうなっていて(兄弟がすごく多いのだ)、それぞれの奥さんの名前はこうで、あそこは子ども3人で…とかいう情報を兄と共有しながら、ローカル線に揺られていった。

父方の親戚はだいたい関西圏に集結しているのだけど、私たち一家だけずっと千葉なので、父は別として、私たち子ども連中は、向こうの親戚とあまり交流がなく今日に至る。

9年前の母の葬儀のときには、遠方からみんな足を運んでくれたけれど、あのときは私のほうに余裕がなくて、十分な挨拶もできずじまいだった。それ以前というと、もう子どもの頃に京都や大阪に遊びに行ったときの記憶に向かってしまうくらい遠い距離がある。

そうした中でも、このたび亡くなった叔父は、よく叔母とともに千葉のわが家を訪ねてくれた。というのは、この叔父がまだ若い頃に(とはいえ結婚して、奥さんも子どもも小さいのが3人いる状態だったのだが)、税理士を目指すといって会社を辞めてしまったことに端を発している。

今とは時代背景が異なると思うのだけど、その当時、所帯をもった男が、親・兄弟にも相談しないでいきなり会社を辞めるというのは、なかなかの修羅場だったようだ。以降、今日に至るまで、この叔父と兄弟らの仲は断絶状態にあったようである。みんな一斉に「なんちゅう無責任なことをするんだ、家族だっているのに」と大反対したらしい。

その中で、うちの父は弟を応援する側にまわったという。父も最初は反対したらしいが、辞めちゃったものはしょうがない、じゃあ頑張れ!というので、叔父が一から税理士の勉強をして合格するまでの数年間?、5人家族の生活を経済的にサポートしたそうなのだ。

うちの家族も3人兄弟の5人家族で、時期を同じくしてちびっこ3人衆だったから、地理的にはかなり離れていたけど、父にとっては擬似的に10人家族を養っている感じだったかもしれない…。

経済的にサポートしていたという話は、大人になってだいぶ経ってから、叔父に聞いて知った。父はものすごいおしゃべりのくせに、そういうことは一切しゃべらなかった。母もだ。なので叔父が教えてくれるまで、なぜ叔父が会うたびに、うちの父には足を向けて寝られないと繰り返すのか、理由がずっとわからなかった。兄弟間にはまぁ、それはそれでいろいろあるんだろうと聞き流していた。

そこまではまぁ、すでに知っていたこととして、今回、お通夜の後の御斎(お食事会みたいなの)の席で、新たなびっくりがあった。叔父とは絶縁状態的な感じだった兄ら(私の伯父たち)もお通夜には来ていたので、私は彼らの隣りに座って話を聴くかっこうとなった。

それで伯父ら(父の兄たち)の話を聴いていると、うちの父は借金をして、それをやっていたんだそうである。たぶん父はサラリーマンをやっていたから、銀行とかにまとまったお金を借りやすかったんだろう。帽子をかぶっていたら、思わず脱いでいたところだ。

びっくりして、「それは知らなかったです、はぁ、そりゃすごいですねぇ」、そう率直に返すと、伯父たちが「そやろ。さすがにそれはやらんわ、普通。そんなのできるの、あいつだけやで」と(関西弁があっているかは怪しいが)、父の名前を出して感心していた(か、あきれていた…)。

私は(別に私が何したわけでもないのに)いくらか誇らしい気持ちになったが、その後にわかに見えてきたのは、自分はぜんぜん親を超えていないんだなぁという現実だった。

今日(日付かわって昨日)、誕生日を迎えた。最近は、わりとエネルギーを放出して、せっせと仕事をしている。自分の至らぬところを発見してがっくしすることもあるけれど、自分の未熟なところを、この歳になっても発見して、よし頑張ろうと腹すえて向き合えるのは、まだ成長の余地があるってことだろうと、とことん前向きな解釈をしつつ、この1年もささやかな進化を目論んでいる。

ちなみに、亡くなった叔父はしっかり税理士になり、3人の子どもも立派に育ち、全員が士業に就いて大活躍である。会えばみんな温かな人柄で、敬意を抱かずにはいられないスーパー家族になった。叔父とお話しできたのは本当に短い時間だったけれど、本当に魅力的な人、そして素敵な家族だなと思う。

人生は、ときに「むごい」としか言いようのないこともあるけれども、その凄まじさ以上の尊さがあって、だから遺された私たちは、大事に、いっそう大事に、生きていこう。

2020-03-02

学歴主義に代わる、合理的な何か

何を今さらと言われるかもしれないが、以前ほどではないものの「学歴主義」っぽいものは今も社会のそこここで見受けられる。人の価値判断としても、組織の価値基準としても。例えば、企業が高学歴の人から採用する、学歴によって足切りする、分かりやすいのが応募条件の「四大卒以上」など。

まず、学歴主義について押さえておきたい土台として、最近なるほどなぁって思ったのが、芦田宏直先生の「努力する人間になってはいけない―学校と仕事と社会の新人論」に出てくる「学歴主義に対立する概念は、階級主義、家族主義」という捉え方。

「学歴主義」というのは、大学卒とそうでない人との対立、あるいは今日では難関大学と全入大学との処遇格差が前面化する差別主義のように思われ、日本では特に評判が悪いわけですが、歴史的には、人間を出自(所属する身分・階級)で判断しないという考え方が基本。誤解を恐れずに簡単に言えば、努力する人、努力できる人、勉強する人、勉強できる人が、世の中を治めるべきだという考え方が「メリトクラシー」=「学歴主義」です。僕自身は「努力主義」と訳したいくらいです。

そういう意味では学歴主義って、社会がより合理的に健全に機能するための一歩だったんだなっていうふうに肯定的に捉えられる。

ただ、そこに留まっていていいのか、それこそが一番なのかっていうと、学歴主義の先に、もっと合理的で健全な一歩を模索したくなるのが世の常、人の常。

学歴主義は確かに、身分・階級によるランク分けから人々を解放した。そこまでは良いとして、みんながみんな寄ってたかって「学歴が高いか低いか」という単一の評価軸に頼って人の採否を判定することになると、需給バランスがとれない現実問題にぶち当たる。

採れる企業は採れるけど、採れない企業はとことん採れず、「いい人がいない」問題を抱え込むことになる。求職者個人は個人で、さまざまな(学歴に必ずしも反映されない)能力、資質、気質や体質や性格、並々ならぬ何かへの興味・関心、自然とそれに向かう志向性、それを幼い頃から探求し続けて積み上げてきた経験、経験に裏打ちされた知識・技術の蓄え、そのテーマを観るときのきめ細やかな眼差しなど持っているわけだけど、そういうものがうまく社会に接続せずじまいになるのはもったいない。

どんな職業であっても、地頭がいい人を採用したい、努力したからこその高学歴だろうという企業側の理屈や見立てもわかる。一理あるとは思うのだけど、あらゆる産業が同じ単一の評価軸で採否を判断していくと、結局は需給バランスがくずれて無理が出る。優秀な人を採用できないという問題を、多くの企業が抱え込むことになる。内定をとる人は一部に集中し、それ以外の人が就職難になり、社会は多様性を欠いて貧しくなっていってしまう。

いやいや話が極端にすぎるでしょうって、それはわかっている。どこの企業だって、学歴という単一の評価軸で人の採否を決めているわけじゃない。多様な観点から評価して採否を決めているはずだ。だけど、何を重視するかっていう主義のところで、より明確に、どこの産業でもどこの会社でも求める汎用的な評価軸ではなくて、自社の属する産業、営む事業、求める職種で高いパフォーマンスを期待できるポテンシャルに寄せてオリジナルの評価軸を立てたら、より合理的になるのかなぁと。

個人も、企業も、職業も、事業も、産業も、多様な個性をもっている。私たち人間は、ひとりの人、一つのもの・ことに多様な価値を見いだせるという素晴らしい解釈力をもっている。これを活かさない手はない。せっかく世の中が人の多様性を活かす流れの中にあるのだから、それにあうように社会の仕組みもアップデートしていくのが肝要な時期なんだろう。そんなことを、ぼやぁーっと考えた。

そんなのは何十年も前にコンピテンシーモデルって概念が輸入されて散々やり尽くした議論だよって言われると思うけれど、コンセプトワードとか方法論やシステムの導入云々じゃなくて、もっと素朴に、実直に、本質的に、そういうアプローチがうまく根づいて活かされるように働いていけたらいいのかなぁと思う。なんだろう、職能主義とかになるのかな。

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自社オリジナルの評価軸で、個々の応募者のポテンシャルを測ろうとすると、何で測るべきか、どうやって測るべきか、この測り方でそれは本当に測れるかといった検討事項を自分のところで企てなくてはならなくなって大変だけど、単一的な評価軸でことを評価しようとするより、多様な軸をもっていろんな人がいろんな価値を見出して社会がまわっていくほうが、バランスいいし、合理的だし、豊かなんじゃないかなぁと、そんなことを薄ぼんやり思ったり、言葉にしてみたりしたメモ。わっかりづらいと思うけれども。

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