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2020-02-08

母が遺した謎

母が他界して9年経つ。東日本大震災が起きる直前だった。12月末に末期がんが発覚して、翌年2月10日の早朝に逝ってしまった。

それからこれまで9年間、数ヶ月に一回ペースで、お墓参りに行っている。2月の命日、4-5月のゴールデンウィーク、8月のお盆、12月の年の暮れには必ず足を運んでいるので、そうすると、そういうことになる。

さて、父と私、その時々で兄や妹も連れ立って母のお墓を訪れると、わりと高い確率で、先客がお墓参りに来ていて花を供えてくれている。花筒にきれいなお花がすでにあるのだ。すぐそこで売っている花ではなくて、きちんとどこかで買ってきて持ちこんだふうの立派な花である。

父はずっと、それが誰なのかと気にかけていた。この年末に父と妹と3人で行った時にもお花があって、いよいよ気がかりが止まらなくなったのか、夢にも出てきたそうである。さすがに9年も通い続けてくれる人が家族以外にもいるとなると、ということもある。

父は毎回、誰なんだろう、誰なんだろうと先客の花に遭遇するたび口にしていたけれど、私は一貫して軽く受け応えていた。誰だろうねぇ、ありがたいことだねぇと。私にはそれを詮索する気はないし、詮索しない明確な意思があった。

それは「誰か」なのか、複数なのかも。そう頻繁ではないにせよ、兄が家族を連れ立って、私たちとは別に訪れたこともあるそうだし、母のお姉さんがたもそう遠くない所に住んでいて気にかけてくれているから何かの折に立ち寄ってくれたことがないとも言えない。親戚や近所の人にとどまらず、高校時代の友だちだの職場の同僚だの、お葬式にだって200人近く来てくれたのだ。毎回特定の誰かが来ているという確証もない。

まぁ、ただ、親戚以外には知らせていない(と思う)お墓を探しあててやってくる人って?となると一気に謎めいて来るのだけど。お墓を買ったのは母が亡くなった後のことだけど、墓地の候補なりの情報は、生前に母から誰かへ発信されていたのか。あるいは、母を想う人が大変な時間をかけて手当たり次第に墓地を歩き回り、あるとき墓誌に記された母の名を探し当てたのか。私はそこで考えることを止め、ありがたいことだねぇという気持ちに落ち着くことにしたのだった。

つい先日、母の命日を目前に、父と兄と私でお墓参りに行った時は、花筒は空っぽだった。命日より前に行ったので、もしかすると当日に誰か足を運ぶのかもしれない。

ただ、花はなくとも父がまた、気になる、調べたい、夢に出てくるんだと言うので、そんなに気になるんだったら、調べるより、そこからイメージを膨らませて小説でも書いてみたら?と提案する。我ながら、なんて素晴らしいアイデアだ。アンチエイジングにも効きそうだし、いいじゃないか。と思ったが、父は馬鹿言うなと取り合ってくれなかった。

お墓参りを終えてのランチタイム、天ぷら屋で再び父が誰なんだろうと話を持ち出すので、やや真面目な応酬になった。

父が、調べて報告してよとか(この件に限らない口癖)、お墓の人に聞いてみるのはどうかとか言っているので、いいじゃあないの、ありがたいなぁと思って静かにしていたら、と私。兄は隣りで、ふむーと話を聴いている。

別に、墓が荒らされてるっていうんじゃないのよ。お花を供えてくれているんだから、ありがとうでいいじゃないの。犯人探しのように身を乗り出して調べ上げようとしなくても。お母さんにはお母さんの生きた人生があって、いろんな人とのつきあいもあったんだよ。それをすべて把握しようなんて野暮なことだよ。他人にはわからない人生をみんな持って生きてるんだから。お母さんの立場になってみたら、お父さんに身を乗り出して、お花を供えてくれている人が誰か詮索されたがっていると思う?人の人生を全部把握したがるなんて粋じゃないよ。

そんなことを言って私が口答えすると、おまえ、そういう時はねぇ、お父さんその通りですねって、そう返しておくんだよ。そんなんじゃ社会でうまくやっていけないぞと、諭すようなことを言って、父が直接対決をかわしてくる。

私のこんな調子は父譲りにちがいないのにと思いつつ、反論の続きを待つと、おまえの言ってることはもっともらしく聞こえるが、口だけ言葉だけだ、こんな9年も続いてたら誰だって知りたくなるだろ?理屈はおまえの言ってる通りかもしれないけど、理屈じゃないんだよと、そんなようなことを言ってきた。

理屈じゃ説明つかない思いが募ること自体は理解できる。だけど、知りたいと思うかどうかと、調べようとするかどうかは別問題だ。私は、いま自分が伝えようとしていることは薄っぺらな理屈なんかではなくて、すごく大事な自分なりの考えを話しているつもりだったので黙っておれず、いや、ものすごい本質的な話を私はしているつもりだよ。人のことを尊重するって、そういうことだと思うんだよと切り返す。兄が隣りで、ふむーと言う。

父はそこで、いくらか間をあけ、やれやれという感じで、兄に別の話題をふった。なので、そこで私もリングをおりたのだった。

兄に全然関係ない話をふった後、ものの数秒もたたないうち、父は私の目をしっかり見て、その移ったほうの話題について私にも質問をふってきたので、わだかまりは特にないっぽい。こういうあっけらかんとしたつきあいは有難い。

私は、私の考えが正しいと思っているわけでも優れていると思っているわけでもない。ただ、私はこう思うんだよと伝えたいので話す。言いくるめたいわけじゃない。説き伏せたいわけじゃない。いや、俺はこう思うよという話があれば、それはそれできちんと聴きたいと思っている。その時は余裕がなくてぐぬぬっという顔を見せてしまうかもしれないけど、持ち帰ってよく噛み砕いてみる意思はある。そうやって自分の閉じた視界が開かれ、浅はかな思いこみを反省した経験も少なくない。それが普通の、本当の会話だと思っているだけなのだけど。

けれどまぁ、父にしてみれば、やれやれな娘である。それに父がまた夢にうなされてしまうのは全く本意でないし、酷である。私の今回のかみつきで、父が、そらそうだな、気にしないことにしようと思い改まるとも思えない。

いいじゃないの、最期の最後まで、あなたの大好きな彼女は、自分の女房でいてくれたんだから。あなたの女房として生涯の幕を閉じたんだから。それはとても素敵なことでしょう?ラッキー、ハッピー、それでいいじゃあないの、私はそう思うんだけど。能天気なのかしら。

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