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2020-01-16

似て非なる「スペシャリスト」と「プロフェッショナル」

「特定分野に専門性をもって働く人」という意味で共通イメージはあると思うのだけど、専門化の向かう先に実は大きな違いがある「スペシャリスト」と「プロフェッショナル」という話。

専門性を活かして働きたいという場合、スペシャリストの方では、この先なかなかつぶしがきかないのではないかと思い、2つの違いについてしたためてみることにした。

ちなみに、この分類はV.A.Thompson氏による「専門化の類型」らしい。私個人的には、この2つの方向性を見分ける分別さえつけば、その呼び名にさしたるこだわりはないので、「自分はここでいうプロフェッショナルの意味をもって、スペシャリストという言葉を使ってきたし、これからも使い続けていく!」という人は、それはそれで、そういうことで、斧をおいて穏やかな気持ちでおつきあいください。

大久保幸夫氏の著書(*1)によれば、スペシャリストとプロフェッショナルは混同されやすいけれども別物とのこと。頭の整理がてら起こしてみたのが、次のスライド(箇条書き以下、私の考えも混入している)。

Photo_20200116185901

スペシャリストは、領域があらかじめ定義された仕事の一部を担当し、一定水準に達すると、その先の成長はスピードや正確さに限定される、一つの業務に精通する道。

対してプロフェッショナルというのは、専門性が高まるにつれ、自分で概念的な定義を加えながら自分の仕事や役割も上書きし、広がりや深みをつくりだして成長していく、終わりなき道。

と対比して2つ並べてみると、左方向のスペシャリスト的な専門化に向かうと、たいそう危ういなぁというふうに感じられる。

「一定水準の専門性をもって、一人前と呼ばれるようになりました。その後も、そのスピードや正確さを絶えず磨き上げてスキルアップしています」というだけの専門性では、その領域がなくなるや息の根が止まってしまう。

エリア固定というのが危ういのだ。地名がつくような領域は早晩、若者に取って代わられてしまうなり、自動化されて人間の仕事から取り上げられてしまう恐れがある。

地名がつくエリア=名前がつく職業ということは、それなりの労働市場があり、そこに今のところそれなりの人件費が割かれており、そこを無人化できたらコスト効率がいいなとか、その無人化を一極集中で預かるサービス作ったら一儲けできるなとか、誰かが思いついて実現しようと企むエリアだ。

その領域をカポッと、どこかのグローバルカンパニーに持っていかれたら、そこの労働市場は一気に沈没する。

そういう話じゃなくても、こういう変化の激しい時代には、今まで無法地帯だった領域に法整備が入って、今の仕事が数年以内に違法行為になるみたいなことも想定されるし、違法ならずともモラル違反になって実質まともな仕事でなくなることもある。人の価値観は変化するし、社会の常識も塗り替えられていくから、そういう意味でも、いつまでも市場ニーズが安定している仕事領域はない。

狭い専門領域に安住して、引っ越しを想定外にしていると、そこが消失したときに、にっちもさっちもいかなくなる。

ガラケーやFlashコンテンツの顛末、ネット広告の趨勢に思いを馳せつつ、思う。自分の役割・仕事領域を「私の専門はこれだ!」と絞り込んで固定してしまうのはリスキーである。

市場変化に応じて活動領域そのものを拡張したり軸足を移したりして、自分の役割・職域・職能を上書きし続ける人。エリア固定せず、上でいうプロフェッショナル方向に専門化の道を進む構えでないと、専門性を活かしたキャリア道は厳しそうである。

能力を階層的・複合的に構えて、表層が取られても足元は堅い、この範囲は奪われても隣りのエリアに活動拠点を移せるという職能を構築していくキャリアデザインが大事というか。

それはもう、勤め先に依存的ではなかなか難しくて、現実的には個人が生存戦略としてやらざるを得ないというか。そういうところを意識してクリエイティブ職のキャリア開発をサポートしていくのが自分の仕事なんだという心持ち。

*1: 大久保幸夫「キャリアデザイン入門[II]専門力編<第2版>」(日経文庫)

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