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2019-12-17

知っていて損はない、自分の仕事観3選(仮)

能率的に自分の仕事観を探る問いってなんだろう、人のキャリアを支援するのに使える道具・有用な問いとは何なのか、逆にもはや時代感覚にそぐわず、ほころびを見せるキャリアデザイン論・不毛な問いとは何なのか、あれこれ思い巡らす日々。

仕事において、好きか嫌いか、得意か苦手か、前のめるか回避したがるかが人によって分かれる観点というのは、いろいろとあるだろう。自分のそれを知っておくことは、キャリア選択のときに一つの指針になる。自分の好み、適性、得意分野、テンション上がるものを選び、そうでないものを回避する選択をするには、自分にとってそれが何かを把握しておくのが話が早い。

でも、その観点って何なのさっていうので、知っていて損はないかなぁという観点を3つほど、ざっくり起こしてみた。それぞれの観点の分け方が妥当かどうかは、見た人がそれぞれ自分を実験台に検証いただきつつ、しっくりいかないところ、ブラッシュアップすべきところがあれば、ぜひフィードバックくださいという感じのたたき台、踏み台としてお取り扱いいただきたいのだけど。とりあえずネットの片隅に置いてみるところから。

1つ目は、自分が仕事において直接扱う対象は、「こと」」「もの」「ひと」のどれが良くて、どれは嫌か?これはけっこう「これが得意」「これを扱っていると没頭する」「これは苦手」「これよりは、こっちのほうが抵抗ない」とか、明確にもっている人が多そうだなと思う観点。この表の上ではかなりざっくり書いているけれど、1対1のカウンセリングではいろいろ個々人のイメージを紐解きながら話すのに使えそうな道具。

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2つ目は、どのフェーズで最も力を発揮するか。これもよく、ゼロからイチを生み出すのが好き・得意派と、イチをジュウに育てるのが好き・得意派に分けて語られるけど、試しに、くれぐれも試しに、「1を秩序立てて軌道にのせる」とか「10に起爆剤を与え100に躍進させる」とか「腰を据えて10を守り運用・改善し続ける」とかっていう分化がありうるのかしらと、いつかどこかで考えてみたりした。

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「腰を据えて10を守り運用・改善し続ける」なんて、やりたい人がいたとしても、早晩需要がなくなるでしょ、自動化・AI化されるでしょって話かもしれないけど、とりあえず入れてみたのは、ここってわりと、それ以外を志向する人たちから軽視されやすいのだけど、じゃあその人たちができるかっていうと飽きっぽくてできなかったりする。で、軽視もしているので、ここの人材確保が甘く、立ち上がったはいいものの運用フェーズからしばらくして最低最悪のサービスに成り下がってるケースって少なくないんじゃないかって気がしていて(私は、立ち上げ屋が去った後のすさんだサービス運営に遭遇した顧客体験が少なくない)。とすると、ここを実直にできる人って実は重要だったり、あるところには需要あったりするんじゃないかと思ったりもして、とりあえず仮に書き記してみた。

3つ目は、一人で仕事をするのが好きか、チームで仕事をするのが好みか。これもよく聞く問いで、わりと人によって分かれるかなと。自分はこれだと決めこんで束縛される必要はないけれど、自分の好みがあるなら認識しておいて、キャリア選択の場で必要なら判断材料の一つにするといいのかなと思う観点。

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以降は、キャリア支援に従事する、最近の心のうちメモ。

キャリアデザインって、考えれば考えただけ良いというものではなくて、どこかで割り切って、踏み出して、デザインから実行に移してみないことには何にもならない。

実践してみれば、自ずと新しい情報が自分に入ってくる。やってみたら、これはまさに自分のやりたいことだと思ったとか、意外とつまらなかったとか、全然別の景色が見えてきて、もっとこの分野を突きつめてみたいと思うようになったとか、やりたいかどうかは別として、とりあえず自分はこれが他の人より得意なようだとか、いろいろ気づきがある。より具体的な自分のキャリア選択の指針が見えてきたり、あるいは変化していったりする。

だから実践あってのキャリアデザインなのだけど、そういう実践を通じて得た気づきを材料に、節目節目でデザインするのは有用だろうとも思っている。「選択肢なんてない」と思いこんでいる人が、キャリアデザインの時間・視点・メソッドをもつことで、選択に幅が出る、自分の志向を肯定できる、開放的に考えられるようになる、自分の納得いく答えを見いだせるようになるというやりとりの経験はあるので、有用性はあると思ってキャリア支援に従事している。

有用なキャリア支援をしたいし、不毛な支援はしたくない。「こういうやり方がある」「そうやるべきと言われている」と、一般的なキャリアデザイン手法をもちだして、ただ盲目的に支援活動をしたくはない。

そうするためには、自分が身につけた従来のキャリアデザイン論に懐疑的な目を向け続けないといけない。実際どう役立つのか自分なりに問いをたてて検討し続け、いろんな人とその問いを共有して良いアプローチを模索し続け、アップデートし続けていかないと、たいそう危うい。

私がキャリア支援の対象とするのは、インターネット前提のビジネス環境で、どんどん従来のやり方を塗り替えていっている人たちだ。その人たちに、通りいっぺんの従来のキャリアデザイン論を伝授して仕事した気になるのは、すごく危ういし、不毛だし、無責任だという思いが、ここ最近強まっている(ここ最近かよ…って感じだけれども)。

例えば、「プロフェッショナルになるためのキャリアパス」としては、一つ山を決めて、それを人生かけて登っていくようなものという言われ方をするけれども、現代の時代背景で、どれほどそれが有用な教えとなるのだろうかとか、それを手本として生きていった場合にむしろマイナスを被ることはないだろうかとかを考えると危うい。登っている間に山崩れを起こしたり噴火したり、山自体がどうなるかわからないご時世って考えると、そう簡単に「山登り」でキャリアを語れない気分になる。

あるいは、「山」を何と見立てるかも、昔なら「寿司職人」とか「○○会社でトップに上り詰める」とかの固定的・安定的な共通イメージをもちやすかったのかもしれないけれど、今だと「登る山」をどういうものでイメージするかが人によっていろいろなんじゃないかって気もする。

インターネット界隈の職種なんて、今メジャーな職種名だって先々何年もつかわからないし、たとえ同じ職種名でも、それが表す役割・求められる職能・関わる人・使う道具がどんどん差し替わっていく時代に、何をもって「一つの山」と規定できるものか、とも思う。

そんな状況で「人生で登る山を一つ決める」って、なんか間違っていることを無責任に言っている気がして。ものの本にはそう書いてあるものの、口に出すのが躊躇われた。ここで躊躇いを覚えて、立ち止まり、見直していくのが、実務家として自分が現場でやるべき仕事じゃないかと思ったのだ。

もちろん、自分の中でアップデート版が完成できるわけじゃない。そのたたき台を作るのだって難しいだろうと思う。だとしても、従来の考え方を自分なりに咀嚼して、それに自分なりの見直しを入れられるなら入れてみて、みんなの異論反論オブジェクションを正面から聴いて、自分なりに反映してみて、アップデートを試みることは何かしらで、できるかもしれない。

それができないとしても少なくとも、従来版のメソッドを共有するとき、「こういうものです」「こういうふうに考えましょう」とただ提示するのではなくて、「こういう考え方があるんだけど、どう思います?」「こういう反論ももらったんだけど、どう思います?」「私は、ここはこうアップデートしてみたらどうかと思っているんですけど、どう思います?」と、一緒に考えるネタとして提示することは、できるかなと思ったりしている。

それはそれで、責任逃れしているだけにならないように注意しなきゃいけないけれど、きちんとその人に利があるように情報提供したり一緒に考えを整理する場をもてるよう、キャリア支援の現場に立てたらなぁと思う今日この頃。そんなわけで、上述のような事柄も、ちょっと整理してはシェアして、あちらこちらお知り合いなどに意見をもらい、いろんな見解から自分の見方をブラッシュアップしていけたらと思っている次第。

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