「生涯発達の6つのモデル」にみる人生観の六変化
最近、人のキャリア形成に関する本をいくつか読み返していた中で手にとった1冊*に、やまだようこさんの「生涯発達の6つのモデル」(下の表)が紹介されていて、6つのイメージの違いに興味をひかれた。これって「人生観」の移り変わりみたいだなぁと、勝手に読みかえて味わってしまった。
人の「発達」っていうと、子どもから大人になるまでの成長過程にフォーカスする(成長モデル)のが従来の見方だったけれども、人生100年時代それじゃあ、あんまりさびしかろうと。
成人して以降の変化も「発達」の枠に入れて解釈してみようよ、「人間は生涯を通して進歩、成長しつづける」っていうふうに考えようよって見方(熟達モデル)が出てきた。
そうすると、いやいや″何でも″成長っていうのはさすがに無理があるでしょ。ある機能は年齢とともに確かに衰退するんだけれども、一方で発達しつづける機能もある、そういうふうに分けて考えるのが適当では?という冷静な見方(成熟モデル)が出てくる。
すると、もういくらか引いてみて、いや何事も、ある観点からみればプラスであり、別の観点からみればマイナスっていうことなんじゃないの?という、ひとつの機能でも観方次第で発達とも衰退とも読み取れるんじゃない?って見方(両行モデル)も出てきた。
それとは別に、上がるとか下がるとか、発達するとかしないとかじゃなくて、ただ年齢を重ねていろんな出来事を経験する中で、現実的な変化を体験していくプロセスが人生ってやつなんじゃないの?みたいな見方(過程モデル)もあれば。
人生を通じて循環・回帰していく、最終的には無に帰すように時間軸をとらえる見方(円環モデル)もあろうなと。
本の中では、ものの見方のモデルパターンとして6つ紹介があっただけなので、「〜という見方が出てきた」というのは私が勝手に読みながら、そういう分化をたどったのかなぁと妄想した話にすぎないのだけど、いかにも人間の頭が作り出しそうなモデルパターンの分化プロセスではないか!と勝手に納得。
二十歳やそこらで後は衰退の一途をたどるっていうのはむなしいので、もっと長尺に発達する意味を与えるようになり、ポジティブな意味にこだわるようになり、意味を複雑に解釈するようになり、そこからもう少し死を間近に意識する老年になると、意味を問うこと・こだわることから解放されたくなり、無に帰するように導かれていく、と。人間、そういうの考えそう!という。
自分のことでいうと、おとなになる過程で解釈に多様性を求めだし、多様な解釈の中からよりポジティブな解釈を採用しようとし、もう一歩複雑に考えようとも試み、成長→熟達→成熟→両行モデルをたどってきた感じがする。さらに歳を重ねると、過程とか円環モデルに移行していくのかもしれない。その感覚もわからなくもないというか、そう遠くないところにある感じはする。
そう考えると、一人ひとりの中に、6つのモデルどれも多少なりとは感覚するところがあるのかなとも思う。歳を重ねながら、しっくりいくメインどころが移り変わっていくような。一方で、人によってしっくりくるモデルもあれば、そうでないモデルもあるというものなのかもしれないなぁとも思う。人生観の話、人間観の話、何について話しているのかもよくわからないけれど、思っちゃったんだからしょうがない、ということでメモ書きしておく。
*岡田昌毅「働くひとの心理学―働くこと、キャリアを発達させること、そして生涯発達すること」(ナカニシヤ出版)P76
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