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2019-12-31

やわ心に触れ、腕まくる年末

10月の部署異動から年末にかけて、一気に社内の人たちの考えや思いが耳に入ってくるようになった。というか、今までが距離を置きすぎていたのだろう、いくらか人並みに近づいたということなんだろうけれども。

暮れも押し詰まるここ数週間は特に、ランチなり忘年会なり、社内のちょっとした隙間時間なりで、いろんな人と放談する機会をもった。人の苦悩に触れ、目のふちに必死にとどまる涙も見た。問題意識をともにする同僚から、それで今こういう取り組みをしているんだという話も聴いた。その時々で新たな発見があり、相手に気持ちを重ねた。自分に何かできないか、と心が揺さぶられた。

これまでは「クライアント・外部の講師・自分」という三者構造で、自分が手がけるクライアント社内の人材育成にどう貢献するかを考えている時間が圧倒的に長かったのだけど、10月を境にそうではなくなった。

うちの会社の、特に自分が所属する人材事業部門の社員、それを統括する上層部、映像・ゲーム・Web業界のクライアント、そこで働く派遣スタッフが目先のステークホルダーとなった。短・中期的な実務スキルアップではなく、中・長期的な仕事能力の開発と、自律的なキャリア形成のサポートをいかにすべきかが自分のテーマになった。

派遣ビジネスというのは、国から煙たがられているのはわかるけれども、そういうアゲンストの中でやる意味はあるのかないのか。政治がアゲンストだからというのですぐ意味がないと見立てるのも早計かもしれない。

派遣がそういう状況でも実際には数字が伸びているということは、その形態を選ぶ人にはその人たちのニーズがあるのかもしれない。それが正規社員を希望しているんだけれども叶わずの派遣という選択なら、正規社員化を推し進める支援が有効なのかもしれない。

一方で、派遣という形態にメリットを見出して本人が主体的に派遣を選んでいるのだとしたら、何をメリットに感じて選択しているのかを把握した上で、それを継続的に提供できる事業・サービスを、正規・非正規にとらわれず模索していく必要があるのかもしれない。

もうちょっと引いてみると、正規雇用にこだわる価値観は今後も大切にされる考え方なのかどうなのか、これについても懐疑的に評価し続けていかないと、と思う。個々人で望ましい答えが違うのは当然だけど、正規雇用こそが望ましいのか、現代の価値観の総意はどう変化していくのか。概念の表す中身も、それに対する人の評価も、時間とともに変わっていく。

私の中は「かもしれない」どまりのオンパレードだ。でも、たぶん私の役立てるところは、自分に有効な答えが出せるという過信をせずに、いろんな「かもしれない」を漂流させた状態で、皆で議論したり協力して調べる道筋づくりに寄与することじゃないかと、そんな気がしている。

「具体的で骨のある答えを導き出せそうな問いを立てること」「多様な人たちが有意義な情報・意見交換をできる場を構造だてて設えること」「集まった情報・意見を整理してストーリー化すること」「プロジェクトとしてゴール設定し、具体的な計画に展開して、進行・効果検証までサポートすること」、非力ながらそういう曖昧なところで働くのが、配役としては一番マッチするのではないかというのが現時点の見立て。

映像、ゲーム、Web、それぞれの業界を專門に手がける社内の営業メンバーや、2020年4月の派遣法改正にも精通する人事や法務專門の面々、長く人材派遣ビジネスに従事してきた彼らと力をあわせて、自分のこの、周囲にはよくわからないだろうけれども、自分にはなんとなく発揮どころがわかる曖昧な役割を果たしていくことができたらいいのかなと、そんなことを思っている。

そういう仕事の積み重ねが、関わる人たちの能力開発・キャリア形成にも意味ある活動に通じるように活動できれば、本質的な仕事になるなという淡い期待。

キャリア形成の主体が組織から個人へ変わり、否が応でも自律的に自分のキャリアを舵取りしていかないといけない時代だと言われる。若いときに身につけた専門技能、就職した会社、就いた職業で生涯やっていけない前提で、既成の境界線にしばられず越境し、キャリアの変幻自在性が求められる時代とも言われる。一つの山を決めて登りきるというより、ノンリニアなキャリア観のほうが現実的な時代になったと言われる。確かにな、と思う。そうした中で、どう本質的に人のキャリア形成のサポートに関われるのか、従来のやり方にダメ出ししてアップデートしていけるのか、模索は続く。

ただ、人のやわらかい心に触れて、腕まくりしたくなる感覚を覚えた年の暮れであるのは確か。ムキになる自分、よくしゃべる自分、古びた既成概念を叩き割りたくなる自分。思いつきでしゃべり過ぎて後で浅はかだった…と自己嫌悪する自分。なんかちょっと懐かしい感覚を覚えた。

来年はちょいと、自分の働き方とか、会社への向き合い方というのを模索してみようと思っている。それがどういう形になるかは手探りだけれども、手探りするというのは、なかなか創造的で面白いではないか、と。

こんな曖昧な文章に、ここまでおつきあいいただき恐縮です。来年も、あれやこれやよくわからない文章を書き連ねたりすることも多かろうと思いますが、2020年もおつきあいのほど、どうぞよろしくお願いします。どうぞ、よいお年をお迎えください。

2019-12-25

Web制作はいつの間にかチームスポーツに

「ルールを作りながらゲームをする時代」とは、よく言ったものだよなぁと思いつつ、誰が言ったんだっけな、よく言われているよな…?と不安になってGoogle検索してみたら、自分が2012年に書いたブログ記事が一番トップに出てきて、誰も言ってないってことが7年越しに発覚した…。

それでも、そういう前提でむりやり話を展開しちゃうと、ルールは新たに作られるだけでなく、ゲーム途中に変更が加わることもあるんだよなって最近思った。

Webデザイナー(便宜的に)をゲームのプレイヤーに見立てると、1990年代からこれまでの間のどこかで、個人スポーツからチームスポーツに、競技の根幹が変わっていったのかもなぁと(いや、全部が全部じゃない、同じ走るでもマラソンも駅伝もリレーもあるように、いろいろっちゃーいろいろなんだろうけれども)。

だから、もともと個人競技を志向して参入した古参の中には、時代が進むとともに肌に合わなくなっていった人もあるかもしれない。ずっとグラウンドに立ち続けているうちに自然とチームスポーツに順応できて楽しんでいる人もいるかもしれない。これから新たに参加してくる若者などは、最初からチームスポーツが好きで入ってくるのかもしれないなぁという、最近の、なんとなくな思いつき、思いこみ?推敲なしの呟きメモでした。

(文章はイメージです)

2019-12-19

「Web系キャリア探訪」第17回、「そうだ、向かうは個性化なのだ」

インタビュアを担当しているWeb担当者Forumの連載「Web系キャリア探訪」第17回が公開されました。今回は、日本印刷技術協会(JAGAT)やロフトワークの広報を経て起業されたオプンラボの小林利恵子さんを取材しました。

私は変人コレクター。複数の会社を経て「広報」を切り口に42歳で起業

取材の始まりに、同じ短大を卒業している先輩、専攻も同じ英文科であることがわかって、まずびっくり。'90年代に仕事でネットに関わりだし、セミナーなどの企画運営を手がけていた共通項もあって、自分のキャリアと重ね合わせるように話を聴き始めました。

が、話が進むごと、終始おだやかな語り口の中にも並々ならぬ底力を感じとり、ユニークな「変人」たちにも一目おかれる彼女の聡明さ、ビジョンをもって人を巻き込み形にしていくリーダーシップの手腕、事業家としての才覚など、自分と比べものにならない魅力をあびまくる取材となりました。

私も「変人リスペクト志向」で、変人と、未分化の変人予備軍を効果的にひきあわせて、変人化を促進する仕掛け・仕組み・学習の場を作る意識で仕事しているところがあるので、小林さんの活動には共鳴するところも多分にあって刺激的な取材でした。お時間あるときに、ぜひご一読いただければ幸いです。

私は、小林さんのいう「変人」を、「個性」とか「オタク性」といった言葉で表してきましたが、今回の取材は「そうだ、私の仕事は、ひとの個性化を支援する活動なのだ」という認識を新たにする機会ともなりました。私がクリエイティブ職のキャリア支援に仕えてきた二十何年の年月とは、そういうコンセプトのもとにあるもの。この軸、あらためて大事にしよう。

2019-12-17

知っていて損はない、自分の仕事観3選(仮)

能率的に自分の仕事観を探る問いってなんだろう、人のキャリアを支援するのに使える道具・有用な問いとは何なのか、逆にもはや時代感覚にそぐわず、ほころびを見せるキャリアデザイン論・不毛な問いとは何なのか、あれこれ思い巡らす日々。

仕事において、好きか嫌いか、得意か苦手か、前のめるか回避したがるかが人によって分かれる観点というのは、いろいろとあるだろう。自分のそれを知っておくことは、キャリア選択のときに一つの指針になる。自分の好み、適性、得意分野、テンション上がるものを選び、そうでないものを回避する選択をするには、自分にとってそれが何かを把握しておくのが話が早い。

でも、その観点って何なのさっていうので、知っていて損はないかなぁという観点を3つほど、ざっくり起こしてみた。それぞれの観点の分け方が妥当かどうかは、見た人がそれぞれ自分を実験台に検証いただきつつ、しっくりいかないところ、ブラッシュアップすべきところがあれば、ぜひフィードバックくださいという感じのたたき台、踏み台としてお取り扱いいただきたいのだけど。とりあえずネットの片隅に置いてみるところから。

1つ目は、自分が仕事において直接扱う対象は、「こと」」「もの」「ひと」のどれが良くて、どれは嫌か?これはけっこう「これが得意」「これを扱っていると没頭する」「これは苦手」「これよりは、こっちのほうが抵抗ない」とか、明確にもっている人が多そうだなと思う観点。この表の上ではかなりざっくり書いているけれど、1対1のカウンセリングではいろいろ個々人のイメージを紐解きながら話すのに使えそうな道具。

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2つ目は、どのフェーズで最も力を発揮するか。これもよく、ゼロからイチを生み出すのが好き・得意派と、イチをジュウに育てるのが好き・得意派に分けて語られるけど、試しに、くれぐれも試しに、「1を秩序立てて軌道にのせる」とか「10に起爆剤を与え100に躍進させる」とか「腰を据えて10を守り運用・改善し続ける」とかっていう分化がありうるのかしらと、いつかどこかで考えてみたりした。

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「腰を据えて10を守り運用・改善し続ける」なんて、やりたい人がいたとしても、早晩需要がなくなるでしょ、自動化・AI化されるでしょって話かもしれないけど、とりあえず入れてみたのは、ここってわりと、それ以外を志向する人たちから軽視されやすいのだけど、じゃあその人たちができるかっていうと飽きっぽくてできなかったりする。で、軽視もしているので、ここの人材確保が甘く、立ち上がったはいいものの運用フェーズからしばらくして最低最悪のサービスに成り下がってるケースって少なくないんじゃないかって気がしていて(私は、立ち上げ屋が去った後のすさんだサービス運営に遭遇した顧客体験が少なくない)。とすると、ここを実直にできる人って実は重要だったり、あるところには需要あったりするんじゃないかと思ったりもして、とりあえず仮に書き記してみた。

3つ目は、一人で仕事をするのが好きか、チームで仕事をするのが好みか。これもよく聞く問いで、わりと人によって分かれるかなと。自分はこれだと決めこんで束縛される必要はないけれど、自分の好みがあるなら認識しておいて、キャリア選択の場で必要なら判断材料の一つにするといいのかなと思う観点。

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以降は、キャリア支援に従事する、最近の心のうちメモ。

キャリアデザインって、考えれば考えただけ良いというものではなくて、どこかで割り切って、踏み出して、デザインから実行に移してみないことには何にもならない。

実践してみれば、自ずと新しい情報が自分に入ってくる。やってみたら、これはまさに自分のやりたいことだと思ったとか、意外とつまらなかったとか、全然別の景色が見えてきて、もっとこの分野を突きつめてみたいと思うようになったとか、やりたいかどうかは別として、とりあえず自分はこれが他の人より得意なようだとか、いろいろ気づきがある。より具体的な自分のキャリア選択の指針が見えてきたり、あるいは変化していったりする。

だから実践あってのキャリアデザインなのだけど、そういう実践を通じて得た気づきを材料に、節目節目でデザインするのは有用だろうとも思っている。「選択肢なんてない」と思いこんでいる人が、キャリアデザインの時間・視点・メソッドをもつことで、選択に幅が出る、自分の志向を肯定できる、開放的に考えられるようになる、自分の納得いく答えを見いだせるようになるというやりとりの経験はあるので、有用性はあると思ってキャリア支援に従事している。

有用なキャリア支援をしたいし、不毛な支援はしたくない。「こういうやり方がある」「そうやるべきと言われている」と、一般的なキャリアデザイン手法をもちだして、ただ盲目的に支援活動をしたくはない。

そうするためには、自分が身につけた従来のキャリアデザイン論に懐疑的な目を向け続けないといけない。実際どう役立つのか自分なりに問いをたてて検討し続け、いろんな人とその問いを共有して良いアプローチを模索し続け、アップデートし続けていかないと、たいそう危うい。

私がキャリア支援の対象とするのは、インターネット前提のビジネス環境で、どんどん従来のやり方を塗り替えていっている人たちだ。その人たちに、通りいっぺんの従来のキャリアデザイン論を伝授して仕事した気になるのは、すごく危ういし、不毛だし、無責任だという思いが、ここ最近強まっている(ここ最近かよ…って感じだけれども)。

例えば、「プロフェッショナルになるためのキャリアパス」としては、一つ山を決めて、それを人生かけて登っていくようなものという言われ方をするけれども、現代の時代背景で、どれほどそれが有用な教えとなるのだろうかとか、それを手本として生きていった場合にむしろマイナスを被ることはないだろうかとかを考えると危うい。登っている間に山崩れを起こしたり噴火したり、山自体がどうなるかわからないご時世って考えると、そう簡単に「山登り」でキャリアを語れない気分になる。

あるいは、「山」を何と見立てるかも、昔なら「寿司職人」とか「○○会社でトップに上り詰める」とかの固定的・安定的な共通イメージをもちやすかったのかもしれないけれど、今だと「登る山」をどういうものでイメージするかが人によっていろいろなんじゃないかって気もする。

インターネット界隈の職種なんて、今メジャーな職種名だって先々何年もつかわからないし、たとえ同じ職種名でも、それが表す役割・求められる職能・関わる人・使う道具がどんどん差し替わっていく時代に、何をもって「一つの山」と規定できるものか、とも思う。

そんな状況で「人生で登る山を一つ決める」って、なんか間違っていることを無責任に言っている気がして。ものの本にはそう書いてあるものの、口に出すのが躊躇われた。ここで躊躇いを覚えて、立ち止まり、見直していくのが、実務家として自分が現場でやるべき仕事じゃないかと思ったのだ。

もちろん、自分の中でアップデート版が完成できるわけじゃない。そのたたき台を作るのだって難しいだろうと思う。だとしても、従来の考え方を自分なりに咀嚼して、それに自分なりの見直しを入れられるなら入れてみて、みんなの異論反論オブジェクションを正面から聴いて、自分なりに反映してみて、アップデートを試みることは何かしらで、できるかもしれない。

それができないとしても少なくとも、従来版のメソッドを共有するとき、「こういうものです」「こういうふうに考えましょう」とただ提示するのではなくて、「こういう考え方があるんだけど、どう思います?」「こういう反論ももらったんだけど、どう思います?」「私は、ここはこうアップデートしてみたらどうかと思っているんですけど、どう思います?」と、一緒に考えるネタとして提示することは、できるかなと思ったりしている。

それはそれで、責任逃れしているだけにならないように注意しなきゃいけないけれど、きちんとその人に利があるように情報提供したり一緒に考えを整理する場をもてるよう、キャリア支援の現場に立てたらなぁと思う今日この頃。そんなわけで、上述のような事柄も、ちょっと整理してはシェアして、あちらこちらお知り合いなどに意見をもらい、いろんな見解から自分の見方をブラッシュアップしていけたらと思っている次第。

2019-12-14

「生涯発達の6つのモデル」にみる人生観の六変化

最近、人のキャリア形成に関する本をいくつか読み返していた中で手にとった1冊*に、やまだようこさんの「生涯発達の6つのモデル」(下の表)が紹介されていて、6つのイメージの違いに興味をひかれた。これって「人生観」の移り変わりみたいだなぁと、勝手に読みかえて味わってしまった。

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人の「発達」っていうと、子どもから大人になるまでの成長過程にフォーカスする(成長モデル)のが従来の見方だったけれども、人生100年時代それじゃあ、あんまりさびしかろうと。

成人して以降の変化も「発達」の枠に入れて解釈してみようよ、「人間は生涯を通して進歩、成長しつづける」っていうふうに考えようよって見方(熟達モデル)が出てきた。

そうすると、いやいや″何でも″成長っていうのはさすがに無理があるでしょ。ある機能は年齢とともに確かに衰退するんだけれども、一方で発達しつづける機能もある、そういうふうに分けて考えるのが適当では?という冷静な見方(成熟モデル)が出てくる。

すると、もういくらか引いてみて、いや何事も、ある観点からみればプラスであり、別の観点からみればマイナスっていうことなんじゃないの?という、ひとつの機能でも観方次第で発達とも衰退とも読み取れるんじゃない?って見方(両行モデル)も出てきた。

それとは別に、上がるとか下がるとか、発達するとかしないとかじゃなくて、ただ年齢を重ねていろんな出来事を経験する中で、現実的な変化を体験していくプロセスが人生ってやつなんじゃないの?みたいな見方(過程モデル)もあれば。

人生を通じて循環・回帰していく、最終的には無に帰すように時間軸をとらえる見方(円環モデル)もあろうなと。

本の中では、ものの見方のモデルパターンとして6つ紹介があっただけなので、「〜という見方が出てきた」というのは私が勝手に読みながら、そういう分化をたどったのかなぁと妄想した話にすぎないのだけど、いかにも人間の頭が作り出しそうなモデルパターンの分化プロセスではないか!と勝手に納得。

二十歳やそこらで後は衰退の一途をたどるっていうのはむなしいので、もっと長尺に発達する意味を与えるようになり、ポジティブな意味にこだわるようになり、意味を複雑に解釈するようになり、そこからもう少し死を間近に意識する老年になると、意味を問うこと・こだわることから解放されたくなり、無に帰するように導かれていく、と。人間、そういうの考えそう!という。

自分のことでいうと、おとなになる過程で解釈に多様性を求めだし、多様な解釈の中からよりポジティブな解釈を採用しようとし、もう一歩複雑に考えようとも試み、成長→熟達→成熟→両行モデルをたどってきた感じがする。さらに歳を重ねると、過程とか円環モデルに移行していくのかもしれない。その感覚もわからなくもないというか、そう遠くないところにある感じはする。

そう考えると、一人ひとりの中に、6つのモデルどれも多少なりとは感覚するところがあるのかなとも思う。歳を重ねながら、しっくりいくメインどころが移り変わっていくような。一方で、人によってしっくりくるモデルもあれば、そうでないモデルもあるというものなのかもしれないなぁとも思う。人生観の話、人間観の話、何について話しているのかもよくわからないけれど、思っちゃったんだからしょうがない、ということでメモ書きしておく。

*岡田昌毅「働くひとの心理学―働くこと、キャリアを発達させること、そして生涯発達すること」(ナカニシヤ出版)P76

2019-12-06

「Web系キャリア探訪」第16回、慢心に転じない謙虚な自信家

インタビュアを担当しているWeb担当者Forumの連載「Web系キャリア探訪」第16回が公開されました。今回は、SIer、SEO会社、求人メディアを経て、2017年にテレビ東京コミュニケーションズに入社、テレビ業界で活躍する明坂真太郎さんを取材しました。

20代は「自分のために」人の倍働くハードモード。30代は「人を幸せにするために」が働く理由

明坂さんが主体的にネットを使うようになったのは中学時代だそう。子どもの頃から、年齢・世代の分け隔てなく自分がコミュニケーションする世界を広げてこられた明坂さんのキャリアは、インターネットの本質的なパワーに下支えされているようにも感じられました。

実務の現場で活躍し続ける方というのは、特定分野における高い専門性もさることながら、複数の領域をまたにかけるバランス感覚&そのバランスの中でコトを生み出す推進力がすごいですよね。

確かな経験を積み重ねて、健全な自信を備えて、それを活かして活動しているのだけど、自信が慢心に転じることがないというか、おごった所までは決して振り切らないでいられる謙虚さを兼ね備えたバランス感覚を感じます。

自分と領域が異なる專門性をもった人たちの仕事に敬意をもって、そういう人たちと相乗効果があがる関わり方を模索して、お互いを活かしあったらもっと面白いことができるという眼差しで熱心に事にあたるから、どんどん人間関係も広がっていくし、深まっていくし、人間関係だけでなく自分の専門性も新しい領域へと広がり深まっていく。そういう好循環のおおもとには、こういう素直な眼差し、バランスのとれた健全な心持ちというのがあるんだろうなぁと、そんなことを思いました(いまいち表現しきれていない…)。

村上春樹のエッセイに「健康な自信と、不健康な慢心を隔てる壁はとても薄い」という一節があるのですが、こういうバランス感覚に長けた人に出会うたび、思い出されます。お時間あるときに、ぜひご一読いただければ幸いです。

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