やわ心に触れ、腕まくる年末
10月の部署異動から年末にかけて、一気に社内の人たちの考えや思いが耳に入ってくるようになった。というか、今までが距離を置きすぎていたのだろう、いくらか人並みに近づいたということなんだろうけれども。
暮れも押し詰まるここ数週間は特に、ランチなり忘年会なり、社内のちょっとした隙間時間なりで、いろんな人と放談する機会をもった。人の苦悩に触れ、目のふちに必死にとどまる涙も見た。問題意識をともにする同僚から、それで今こういう取り組みをしているんだという話も聴いた。その時々で新たな発見があり、相手に気持ちを重ねた。自分に何かできないか、と心が揺さぶられた。
これまでは「クライアント・外部の講師・自分」という三者構造で、自分が手がけるクライアント社内の人材育成にどう貢献するかを考えている時間が圧倒的に長かったのだけど、10月を境にそうではなくなった。
うちの会社の、特に自分が所属する人材事業部門の社員、それを統括する上層部、映像・ゲーム・Web業界のクライアント、そこで働く派遣スタッフが目先のステークホルダーとなった。短・中期的な実務スキルアップではなく、中・長期的な仕事能力の開発と、自律的なキャリア形成のサポートをいかにすべきかが自分のテーマになった。
派遣ビジネスというのは、国から煙たがられているのはわかるけれども、そういうアゲンストの中でやる意味はあるのかないのか。政治がアゲンストだからというのですぐ意味がないと見立てるのも早計かもしれない。
派遣がそういう状況でも実際には数字が伸びているということは、その形態を選ぶ人にはその人たちのニーズがあるのかもしれない。それが正規社員を希望しているんだけれども叶わずの派遣という選択なら、正規社員化を推し進める支援が有効なのかもしれない。
一方で、派遣という形態にメリットを見出して本人が主体的に派遣を選んでいるのだとしたら、何をメリットに感じて選択しているのかを把握した上で、それを継続的に提供できる事業・サービスを、正規・非正規にとらわれず模索していく必要があるのかもしれない。
もうちょっと引いてみると、正規雇用にこだわる価値観は今後も大切にされる考え方なのかどうなのか、これについても懐疑的に評価し続けていかないと、と思う。個々人で望ましい答えが違うのは当然だけど、正規雇用こそが望ましいのか、現代の価値観の総意はどう変化していくのか。概念の表す中身も、それに対する人の評価も、時間とともに変わっていく。
私の中は「かもしれない」どまりのオンパレードだ。でも、たぶん私の役立てるところは、自分に有効な答えが出せるという過信をせずに、いろんな「かもしれない」を漂流させた状態で、皆で議論したり協力して調べる道筋づくりに寄与することじゃないかと、そんな気がしている。
「具体的で骨のある答えを導き出せそうな問いを立てること」「多様な人たちが有意義な情報・意見交換をできる場を構造だてて設えること」「集まった情報・意見を整理してストーリー化すること」「プロジェクトとしてゴール設定し、具体的な計画に展開して、進行・効果検証までサポートすること」、非力ながらそういう曖昧なところで働くのが、配役としては一番マッチするのではないかというのが現時点の見立て。
映像、ゲーム、Web、それぞれの業界を專門に手がける社内の営業メンバーや、2020年4月の派遣法改正にも精通する人事や法務專門の面々、長く人材派遣ビジネスに従事してきた彼らと力をあわせて、自分のこの、周囲にはよくわからないだろうけれども、自分にはなんとなく発揮どころがわかる曖昧な役割を果たしていくことができたらいいのかなと、そんなことを思っている。
そういう仕事の積み重ねが、関わる人たちの能力開発・キャリア形成にも意味ある活動に通じるように活動できれば、本質的な仕事になるなという淡い期待。
キャリア形成の主体が組織から個人へ変わり、否が応でも自律的に自分のキャリアを舵取りしていかないといけない時代だと言われる。若いときに身につけた専門技能、就職した会社、就いた職業で生涯やっていけない前提で、既成の境界線にしばられず越境し、キャリアの変幻自在性が求められる時代とも言われる。一つの山を決めて登りきるというより、ノンリニアなキャリア観のほうが現実的な時代になったと言われる。確かにな、と思う。そうした中で、どう本質的に人のキャリア形成のサポートに関われるのか、従来のやり方にダメ出ししてアップデートしていけるのか、模索は続く。
ただ、人のやわらかい心に触れて、腕まくりしたくなる感覚を覚えた年の暮れであるのは確か。ムキになる自分、よくしゃべる自分、古びた既成概念を叩き割りたくなる自分。思いつきでしゃべり過ぎて後で浅はかだった…と自己嫌悪する自分。なんかちょっと懐かしい感覚を覚えた。
来年はちょいと、自分の働き方とか、会社への向き合い方というのを模索してみようと思っている。それがどういう形になるかは手探りだけれども、手探りするというのは、なかなか創造的で面白いではないか、と。
こんな曖昧な文章に、ここまでおつきあいいただき恐縮です。来年も、あれやこれやよくわからない文章を書き連ねたりすることも多かろうと思いますが、2020年もおつきあいのほど、どうぞよろしくお願いします。どうぞ、よいお年をお迎えください。
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