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2019-11-17

人のキャリア開発に関わる心構え

9月末にここにも書いたけれど、この10月から部署異動してキャリア開発グループに所属している。

これまでと大きく変わったことの一つは、支援対象が社外のクライアントではなく、社内のスタッフになったこと。

社内といっても、私の勤め先はクリエイティブ職の人材派遣業を営んでいるので、支援対象にはまず派遣先に就業しているクリエイティブ職スタッフが挙げられる。これに加えて、うちの会社に正規雇用されている、いわゆる従業員も対象だ。

中にもクリエイティブ職はいるし、広げれば傘下グループの映像関連各社の人材開発面のサポートも視野には入れているので、見据える対象は広範に及ぶけれど、当面はまず、クリエイティブ職の派遣スタッフと、同じ事業部内の営業職やバックオフィスのメンバーをサポートしていく感じ。

さて、もう一つ大きく変わったのが、これまでは能力開発メインだったのが、キャリア開発にも軸足をおくようになったこと。

長いこと、私はクリエイティブ職の実務研修を扱ってきた。今後も社内向けには、現場の実務能力を向上させる育成施策を(研修に限らず)扱っていくつもりだけど。派遣スタッフ向けの私の役どころは、彼・彼女らクリエイティブ職のキャリア形成をどうサポートしていくかがメインテーマになる。

もともとキャリアカウンセラーとして、キャリア開発支援の一環として、当面は実務能力の開発に力点をおいて仕事に従事するという構えで個人的にはやってきたつもりなので、広い意味での軸足に変更はないのだけど、活動領域を広げるタイミングなのか、いよいよキャリア開発ど真ん中に、本業で取り組むことになった。

とはいえ、能力開発のほうから遠のくのか?と自問してみると、そんな気はさらさらないという自答が返ってきたので、どちらも自分の専門としつつ、これまで1〜2割だったキャリア開発を5〜6割に引き上げて取り組んでいく感じだろうと、これを書きながら思い至る。

この週末も、これまで他部署の管轄で準備してきて、今後は自分が引き継ぐ前提の派遣スタッフ向けキャリアセミナーの本番に出向き、後ろで様子をみながら、いろいろ考えた。

人のキャリア開発に真正面から従事することについては、気の引き締まる思いを募らせている。

「能力」というのは、高いとか低いとかの評価が伴う概念だ。何か特定分野を掲げて、この人の遂行能力は秀でているとか、この人の能力は低くて要件に満たないとか、基準に対する優劣評価を成しうるのが能力である。

ゆえに能力開発というのは、基本的に「上を目指して、現在地からアップしよう」という方針や方向性が常識的に定まっている。時に、何かを学ぶために何かをunlearningすべき事案はあるけれども、それも何か新しい能力を獲得、向上、ひいてはうまく統合する一環である。

けれども、「キャリア」はそうじゃない。能力と地続きにつながっているようにも見える概念なので気をつけなきゃいけないけれど、キャリアというのは人の生き方の問題で、他人がいいだの悪いだの、縦軸で優劣をつけて評価が成り立つ概念じゃない。少なくともキャリア支援の専門家としては、そんな考え方、職業倫理上あってはならないと思っている。

ゆえに、皆に共通の「こうすべき」がある世界でもない。一方で、キャリア支援の専門家として活動していくからこそ、そこの落とし穴に堕してしまいやすい危機感も強く抱いている。

例えば、キャリアとはどういうものかを理論をひいて説明する、キャリアについてこういう考え方があると解説する、といったことを人前に立って講義なんぞしていると、何か自分が尊い教えを提唱して説法でもしているかのような勘違いを引き起こしやすい。「〜すべき」という盲信も育ちやすい。そうならない自制力は、キャリア支援の専門家に欠かせないスキルだと私は思う。

人に生き方を指南できるような何者でもないのに、なんだかしゃべっているうちに、そんな気分に飲み込まれそうになってしまうのを防ぐためには、心構えだけでなく、常に自分に懐疑的な目を向けてチェック機能を働かせるスキルをもって対処せねば、すごく危うい。

さらに、キャリアには「採用市場性」という側面があって、ここには高い低いという評価が伴いうるのが、ややこしいところ。高学歴だったり、誰もが知る大手企業に新卒で入社して経験を積んでいると「市場性が高いキャリア」と評価されるなどは実際にある。

けれど、キャリアの価値は採用市場性だけで語られるものでは決してない。何をおいても、本人にとっての納得感や充実感が優先される概念だ。こうした「ややこしさ」をしっかり分別して扱えることも、人のキャリア支援に仕える実務家として大事なポイントだと思う。

自分が何者であって、どんな支援はできるが、何はできないか。どんな支援はすべきで、どんな行為は愚かしいものか。常に自分の心の中も、人に向かう行為や言動・アウトプットも自己チェックして、本当に意味がある、相手に有用で本質的な働きかけを吟味してやっていきたい。

もしかしたら、キャリア開発の業界に行き渡っているキャリア形成の概論的知識が、今の時代には古びたものになっていて、それを手放しに人に伝えて活かしてもらおうとする試みは、かえって人のキャリア形成の足を引っ張ることになってしまうかもしれない。

今、自分の脳の中にインプットされている固まった理論的知識に甘んじることなく、今の時代をよく見て、自分の目の前で関わる人をよく観察して、自分なりのキャリア支援をしていきたい。自分に取りこんだ知識を盲信せず、感受性や洞察力をもって自分のやるべきこと・とどまるべきことを整理しながらアウトプットしていかないと、と思う。それがキャリアの研究者でなく、各々の現場でキャリア支援の実務者がすべき仕事だ。

そうした自分なりのアウトプットには、至らぬ点が含まれてしまうリスクもある。けれど、著名な教授の提唱する理論だって、そうした巨人の肩の上に乗って私が現場で考えたことのアウトプットだって、誰にも万能に働くツールじゃないのは同じこと。最終的には本人が自分に引き寄せて、自分のいいように道具として採用したり、しなかったり、加工して応用したりしないとどうにも役立たない。そこのサポートを身近でできるのが実務家の仕事だ。

そう割り切って、自分のアウトプットに対して返してくれるフィードバックを正面から受け止めて、よく噛み砕いて、自分のできるところから改めていって、柔軟に現場で役立つ仕事を磨いていけたらと思う。

自分の身の丈では、この構えで丁寧にやっていくことだけが、どうにかキャリア開発の従事者として真っ当に人の役に立っていける肝になるんじゃないかと、そんなふうに思っている。

キャリアについてなんて、自分で考えるもの。へたに他人が手を出すものじゃない。というゼロベースから、でもどんなことだったら、こちらから伝えて、知識をもつことが有意義に働くか。どんなことだったら、他人から問うて、考えてみてもらう時間が意味をもちそうか。どんな問いかけをしたら、その人のキャリアデザインを能率化したり、自分の現在地や目指す先の視界をクリアにする助けになるか。そういうことを丁寧に考えて、まずはできるだけ短時間に濃縮させたワークショップをリデザインしてみたいと思う。

2019-11-11

[共有]プロフェッショナルへのキャリアパス5段階

何らかのプロを目指す方が、自分のキャリア開発上の現在地を確認し、これまでの道のりを振り返って、今後すべきことを一歩踏み込んで検討するための補助ツールを作ってみました。

プロフェッショナルへのキャリアパス 5段階

使い方としては、リンク先のシートをダウンロードして、大きなA3紙で出力。自分が該当すると思う項目を□→■に塗りつぶして、現在地を把握する感じ。

リクルートワークス研究所所長の大久保幸夫さんの「キャリアデザイン入門[II]専門力編」*を読んでいたら、自分なりに整理したくなって、表にまとめつつ、自分なりの考えも盛り込んで肉づけてあったりする代物です。

5段階の
1.仮決め/見習い
2.腹決め/独り立ち
3.安定/活躍
4.開花/個性化
5.円熟/無心
は、この著作で紹介されている体系のまま。各段階の解説は踏襲しつつ整理してみました。

5つの段階ごとに、こういう「スタート地点」から始まって、こういう「活動・経験」をして、こういう「到達点・収穫」があるけれど、こういう「未成熟な部分」が残っているステージだよねっていうのを言葉に起こしています。

その下に、各段階の「キャリアデザイン上、大事にすべきこと」をちょこっとメモしました。

あくまでたたき台ですけれど、何もない状態で自問自答するより考えやすいねってことで、ご自身の考えを深めたり広げたりするのに、自由にお役立ていただければ幸いです。

また、部下との面談や、仕事仲間とキャリア話をちょっと掘り下げて話しこみたい夜とかにも使いものになったら嬉しいかぎりです。

*大久保幸夫「キャリアデザイン入門[II]専門力編 第2版」(日経文庫)

2019-11-04

[読書メモ]インタフェースデザインのお約束

先日ここでも取り上げた「インタフェースデザインの心理学」と同シリーズの新刊「インタフェースデザインのお約束 -優れたUXを実現するための101のルール」を、縁あって頂戴することに。

これまた良書だった。副題にあるとおり「優れたUXを実現するための101のルール」が詰まっている本なのだけど、UXデザインといって「ユーザーに驚きや感動を与えようとする前に、ユーザーのストレスを一掃せよ。話はそれからだ!」というような。んなこと書いてないけど…。

「フォーム」の章に40ページ近くの紙面を割いていたりして、サイトやアプリを使い勝手よく提供するのに欠かせない視点、実装願いたいものの具体的な指摘が勢ぞろい(実装方法がこと細かに書いてある本ではない)なので、ぜひご興味ある方はお手にとってみてください。

「インタフェースデザインの心理学」とは著者は違うのだけど、体裁は共通していて、101のルールが1〜3ページごと紙面を割いて、簡潔明瞭に解説されるテンポの良い一冊。

事例も多く含まれ、「見せて納得を得る」ことに心を砕いているし、最後にポイントが3〜4コ、箇条書きされているのもシリーズ共通のよう。

101各項のポイントが、本当によくポイントをついた箇条書きになっているので、時間のない玄人層はポイントだけ読んでいって、ん?と思うものだけ本文に目を移す読み方でも良さそう。

あと、「〜の心理学」著者のSusan Weinschenk氏以上に、今回の「〜お約束」著者、デザインにかけては純粋主義者(ピュリスト)を自認するWill Grant 氏は、単純明快で単刀直入な物言いをする印象。

まえがきで、

「これには賛成できない」と思えるルールもあるかもしれないが、それはそれでかまわない。なにしろこれは私が自説を披露する本なのだ。

と断りを入れたうえで、中身はばっさり、ぐっさり、小気味よく展開していく。「は、やめろ」「は、やめておけ」「なんて禁物だ」「なんて言語道断だ」「など作るな」「など使うな」が、あちらこちらに。べらんめえ口調?だが、頼れる兄貴的なテンションで読むと、気持ちよく読める。

ご指摘は実にまっとうなベスト・プラクティスのオンパレード感がある。1ユーザーとしては、指摘されるアンチパターンのどれも納得感がある。

作る側として読む立場にあっては、私のように頷いて読んでいるだけではなく、一通りを自分の作るプロダクト・サービスに埋め込んでいかなきゃいけないので大変だろうけど、101のうち、できていることはささっと読んで、できていないことをピックアップして自分の品質チェックリストに取り込んでいくように読めば、ぐっとアウトプットの精度をあげられるのではないか。

知れば簡単に実装できるものも、知ったところで実装するには一手間二手間かかりそうなものも含まれているけれども、知らないでは済まされない観点という意味では、一通りなめておきたい知識だ。

エピローグの章に、「ブランド」になど振り回されるな、という項がある。10億人規模の顧客を擁するグローバル企業のメガブランドと違って、多くのUXデザイナーが手がける「ブランド」なんて、誰も気にも留めないものだと言いはなった後、

ユーザーが着目するのは、あなたの製品あるいはサービスを利用すると何がやれるのか、あなたの製品が暮らしをどう改善し、生産性をどう上げるのか、といった点だ。つまり、あなたの製品(サービス)を利用する際のUXそのものがブランドとなる。そんなUXのデザインを担当するのは、だからマーケティング担当チームなどではなくUXのプロでなければならない。

と、落とすかにみえて、UXデザイナーを鼓舞している一節が印象に残った。

翻訳も安定のクオリティ。図版まで丁寧に翻訳してくれている。「金科玉条」(きんかぎょくじょう)とか、「苦心惨憺」(くしんさんたん)とか出てきて、手練の業を感じた…。感想や誤植もご報告してお役目も果たせた感。今回は、シリーズにして初だと思うけれど、大型本ではなく単行本サイズ。この週末、気楽に持ち歩いて読めました。

2019-11-02

「仕事は経験でしか学べない」と言いつつ、教える側にまわると講義に終始しちゃう問題

仕事は、経験でしか学べない。自分は現場で学んできた。と確信しているものの、自分が教える側にまわると、研修とか勉強会とか"現場から離れた"ところに学習者を呼んで、講師・講演者として話を聞かせる活動に終始してしまう、ということはないだろうか。

マネージャーとして部下の育成施策を講じる場合でも、メンバーをセミナールームに集めて、とりあえず講義、とりあえず研修をやろうという施策に、思考が閉じてしまう。

エキスパートの話を聴く中に、学びがある。これはこれで、確かなことだ。けれど、それはあくまでパーツの一つであって、それで学びが完遂するわけじゃないのは、誰もが知るところ。

ここで「話を聞いた後、伸びるか伸びないかは本人次第、あとは本人にしかどうしようもないでしょ」というのは早計で、「話して聞かせる」以外にも、他者の能力を伸ばすアプローチはいろいろある。

なぜ、教える側にまわったときに講義に終始してしまうか考えてみると、ざっとこんな要因が思いつく。

1. 講義以外の方法を知らない、思いつかない(知識不足)
2. 講義以外の方法は手間がかかるので、やる気・時間がなく手が出ない(時間・動機不足)
3. 講義以外の方法をうまくやる専門性がないので、できない(スキル不足)

そもそも、それを教える専門家ではなく、それの専門家なのだから、当たり前といえば当たり前の話。端的に(〜不足)と分けてみたが、こう表現するのも落ち着かない。

ともあれ、ここでは導入とも言える1を取り上げて、一枚のスライドを紹介したいのだ。マーク・ローゼンバーグ氏が"The Best Training is No Training" という題目で講演したときのスライドの1枚を取り出して意訳してみたもの。

Marcrosenberg

けっこう前に見たものなのだけど、印象的だったので、折りにふれ思い出すスライドだ。

これで共有したいことを2つ書き起こしてみると。

●育成施策には、Training(いわゆるフォーマルな研修、体系だてたカリキュラム)だけじゃなくて、ツールやソーシャルメディアを活用した支援もあれば、コーチングやメンタリングもあるということ

●学習者の習熟度合いによって、適する育成アプローチは変わる。Trainingは初心者には有効だが、習熟度が上がっていくにつれ、Trainingの必要性は減じていく。逆に、コーチングやメンタリングといった、インフォーマルで個別的な支援が有効になってくるということ

なので、自分が教えたい、育てたい相手が、習熟度としてどこに位置するのかを想定した上で、どういう育成施策が効果的なのかを、Trainingというアプローチに閉じずに発想するのが肝要だ。

「経験でしか学べない」という実感・実体験が、自分の中にあるならばこそ、教える側にまわったとき、「いかに話して聞かせるか」に閉じないで「いかに経験させるか」を問い、現場環境を中心に据えた育成施策の全体像を構想してみるほうが理にかなっている。

で、1はいいとして、2(時間・動機不足)や3(スキル不足)をサポートするところこそ、私の本領発揮しどころだ。人材育成を生業として、学び手も、教え手も、より専門的に手助けしていけるように鍛錬し続けていきたい。

*上記のスライドそのものはネット上で見つけられなかったが、ご本人の弁はこちらで確認できるので、ご興味があれば。
Marc My Words: New Ways to Enable Learning | Learning Solutions

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