人のキャリア開発に関わる心構え
9月末にここにも書いたけれど、この10月から部署異動してキャリア開発グループに所属している。
これまでと大きく変わったことの一つは、支援対象が社外のクライアントではなく、社内のスタッフになったこと。
社内といっても、私の勤め先はクリエイティブ職の人材派遣業を営んでいるので、支援対象にはまず派遣先に就業しているクリエイティブ職スタッフが挙げられる。これに加えて、うちの会社に正規雇用されている、いわゆる従業員も対象だ。
中にもクリエイティブ職はいるし、広げれば傘下グループの映像関連各社の人材開発面のサポートも視野には入れているので、見据える対象は広範に及ぶけれど、当面はまず、クリエイティブ職の派遣スタッフと、同じ事業部内の営業職やバックオフィスのメンバーをサポートしていく感じ。
さて、もう一つ大きく変わったのが、これまでは能力開発メインだったのが、キャリア開発にも軸足をおくようになったこと。
長いこと、私はクリエイティブ職の実務研修を扱ってきた。今後も社内向けには、現場の実務能力を向上させる育成施策を(研修に限らず)扱っていくつもりだけど。派遣スタッフ向けの私の役どころは、彼・彼女らクリエイティブ職のキャリア形成をどうサポートしていくかがメインテーマになる。
もともとキャリアカウンセラーとして、キャリア開発支援の一環として、当面は実務能力の開発に力点をおいて仕事に従事するという構えで個人的にはやってきたつもりなので、広い意味での軸足に変更はないのだけど、活動領域を広げるタイミングなのか、いよいよキャリア開発ど真ん中に、本業で取り組むことになった。
とはいえ、能力開発のほうから遠のくのか?と自問してみると、そんな気はさらさらないという自答が返ってきたので、どちらも自分の専門としつつ、これまで1〜2割だったキャリア開発を5〜6割に引き上げて取り組んでいく感じだろうと、これを書きながら思い至る。
この週末も、これまで他部署の管轄で準備してきて、今後は自分が引き継ぐ前提の派遣スタッフ向けキャリアセミナーの本番に出向き、後ろで様子をみながら、いろいろ考えた。
人のキャリア開発に真正面から従事することについては、気の引き締まる思いを募らせている。
「能力」というのは、高いとか低いとかの評価が伴う概念だ。何か特定分野を掲げて、この人の遂行能力は秀でているとか、この人の能力は低くて要件に満たないとか、基準に対する優劣評価を成しうるのが能力である。
ゆえに能力開発というのは、基本的に「上を目指して、現在地からアップしよう」という方針や方向性が常識的に定まっている。時に、何かを学ぶために何かをunlearningすべき事案はあるけれども、それも何か新しい能力を獲得、向上、ひいてはうまく統合する一環である。
けれども、「キャリア」はそうじゃない。能力と地続きにつながっているようにも見える概念なので気をつけなきゃいけないけれど、キャリアというのは人の生き方の問題で、他人がいいだの悪いだの、縦軸で優劣をつけて評価が成り立つ概念じゃない。少なくともキャリア支援の専門家としては、そんな考え方、職業倫理上あってはならないと思っている。
ゆえに、皆に共通の「こうすべき」がある世界でもない。一方で、キャリア支援の専門家として活動していくからこそ、そこの落とし穴に堕してしまいやすい危機感も強く抱いている。
例えば、キャリアとはどういうものかを理論をひいて説明する、キャリアについてこういう考え方があると解説する、といったことを人前に立って講義なんぞしていると、何か自分が尊い教えを提唱して説法でもしているかのような勘違いを引き起こしやすい。「〜すべき」という盲信も育ちやすい。そうならない自制力は、キャリア支援の専門家に欠かせないスキルだと私は思う。
人に生き方を指南できるような何者でもないのに、なんだかしゃべっているうちに、そんな気分に飲み込まれそうになってしまうのを防ぐためには、心構えだけでなく、常に自分に懐疑的な目を向けてチェック機能を働かせるスキルをもって対処せねば、すごく危うい。
さらに、キャリアには「採用市場性」という側面があって、ここには高い低いという評価が伴いうるのが、ややこしいところ。高学歴だったり、誰もが知る大手企業に新卒で入社して経験を積んでいると「市場性が高いキャリア」と評価されるなどは実際にある。
けれど、キャリアの価値は採用市場性だけで語られるものでは決してない。何をおいても、本人にとっての納得感や充実感が優先される概念だ。こうした「ややこしさ」をしっかり分別して扱えることも、人のキャリア支援に仕える実務家として大事なポイントだと思う。
自分が何者であって、どんな支援はできるが、何はできないか。どんな支援はすべきで、どんな行為は愚かしいものか。常に自分の心の中も、人に向かう行為や言動・アウトプットも自己チェックして、本当に意味がある、相手に有用で本質的な働きかけを吟味してやっていきたい。
もしかしたら、キャリア開発の業界に行き渡っているキャリア形成の概論的知識が、今の時代には古びたものになっていて、それを手放しに人に伝えて活かしてもらおうとする試みは、かえって人のキャリア形成の足を引っ張ることになってしまうかもしれない。
今、自分の脳の中にインプットされている固まった理論的知識に甘んじることなく、今の時代をよく見て、自分の目の前で関わる人をよく観察して、自分なりのキャリア支援をしていきたい。自分に取りこんだ知識を盲信せず、感受性や洞察力をもって自分のやるべきこと・とどまるべきことを整理しながらアウトプットしていかないと、と思う。それがキャリアの研究者でなく、各々の現場でキャリア支援の実務者がすべき仕事だ。
そうした自分なりのアウトプットには、至らぬ点が含まれてしまうリスクもある。けれど、著名な教授の提唱する理論だって、そうした巨人の肩の上に乗って私が現場で考えたことのアウトプットだって、誰にも万能に働くツールじゃないのは同じこと。最終的には本人が自分に引き寄せて、自分のいいように道具として採用したり、しなかったり、加工して応用したりしないとどうにも役立たない。そこのサポートを身近でできるのが実務家の仕事だ。
そう割り切って、自分のアウトプットに対して返してくれるフィードバックを正面から受け止めて、よく噛み砕いて、自分のできるところから改めていって、柔軟に現場で役立つ仕事を磨いていけたらと思う。
自分の身の丈では、この構えで丁寧にやっていくことだけが、どうにかキャリア開発の従事者として真っ当に人の役に立っていける肝になるんじゃないかと、そんなふうに思っている。
キャリアについてなんて、自分で考えるもの。へたに他人が手を出すものじゃない。というゼロベースから、でもどんなことだったら、こちらから伝えて、知識をもつことが有意義に働くか。どんなことだったら、他人から問うて、考えてみてもらう時間が意味をもちそうか。どんな問いかけをしたら、その人のキャリアデザインを能率化したり、自分の現在地や目指す先の視界をクリアにする助けになるか。そういうことを丁寧に考えて、まずはできるだけ短時間に濃縮させたワークショップをリデザインしてみたいと思う。
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