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2019-09-29

脳内転職のつもりが、現実世界で部署異動

10月1日付けで、久々に部署異動することになった。先週金曜日に、人事通達が出た。

その少し前に上司から内示があったのだけど、その少し前からなんとなく察知していて、それよりもう少し前から、ちょうど今度の異動先で求められるような役どころに、私の仕事の軸を移行させたほうがいいのではないかという提案をまとめて、今の部署の上司らと話し始めていたところだった。

なので、渡りに船というか、そういう流れの中にあったのかもなというか。異動がなくとも、そういう役どころに舵取りするつもりでいて、今の部門の上司も、所属部署の枠を気にせず、その方向でやっていったらいいと合意していたので、私としてはこの秋から脳内転職するつもりで事を進めていた。それが、現実世界で、それをやるような部署に異動して、それをやることになったという感じだ。

9月のうちに新しい部署の上司に呼ばれて内々で話を聴くと、「これからは社外のクライアントではなく、社内に向けて人材開発の役割を担ってほしい」という趣旨の話。私は「ちょうどその話を、今の部署で話していたのです」と、自分が整理していた提案スライドを見せた。書き出しは、

自分の役立て方を変える
─クライアントを「社外」から「社内」へ

この一致には新しい部署の上司も驚いていて、やっぱりそういう流れの中にあったのだなぁと、勝手に思いを新たにした。

異動先は、半年前に新設されたできたてほやほやで、人材サービスを扱う事業部に移って(というか戻って)、「キャリア開発グループ」に所属する。なんというか、自分のこれまでやってきた仕事や専門性でいうと王道すぎる配置であり、座りはいいのかなと思う。

逆に言うと、今までしばらくなんでメディア事業部にいたんだという話だけど、まぁいろんな都合上とりあえずそうなっていただけで、私単体で、そこに必要で呼ばれたわけじゃない感は否めない。

ただ、その前からずっと、私はどこの部署に移ろうと、クライアントに研修を提供するB2Bビジネスを自分のメイン仕事として持ち歩いていたので、私をどこに置くかというのは組織上、さして時間を割いて検討すべき問題ではなかったのだ。

とはいえ所属する事業部は、私の勤怠管理や承認手続きなど面倒みつつ、私の社内人件費を受け持つことになるわけである。その事業部に対して何か貢献しているのかというと、全然役立っていない感というか、ひとりで全然別のことやらせてもらっていて、個人的にはありがたいんだけど、ひいてみてみると申し訳ない&所在ない&私はこの会社に厄介になり続けていいのだろうか問題は、ずっと抱えていた。

そういう心理状態は、Web担当者Forumの連載でも「デイリーポータルZ」編集長の林雄司さんを取材したときに吐露している…。

よくサラリーマンは年収の3倍、4倍の利益は上げないと雇う側はペイしないというじゃないですか。私もサラリーマンとして常に気にかけているものの、実際それほど稼げていません。会社としては、ペイしていないけれど雇い続けている状態。だから、もし会社から辞めろと言われたらすぐ辞める覚悟は常にもっている一方、言われないうちは会社に厄介になりつつ、自分なりの貢献のあり方を模索していこうという甘えがあります……。

というわけで、結局ずっと甘えてきたわけだ。社外の手厳しい先輩には、組織に貢献していないなんて給料泥棒じゃない?と突っ込まれたりもしていた。返す言葉もございませんとしか言いようがないなぁと思いながら、やはり会社に甘え、結局これといった変化は起こしてこなかった。会社の中の問題を何か取り上げて誰かにしゃべった後は、でもそれを自分でどうにかするわけじゃないんでしょ?という自分ツッコミが猛攻撃をしかけてきて、毎回自己嫌悪に陥った。

でも、先の取材のときの林さんの言葉を引けば、やはり「会社は一番のクライアント」なのだ。自分の勤め先こそ、自分にまとまったお金を払うだけの価値を見出してくれているありがたい存在である。私の働きに、そんな長期的に、まとまった金額を出してくれる組織など、他にないだろう。

これまでつきあいのあったクライアントの中には、私の裏方仕事に価値を見出して、明示的にありがたがってくださった方もいたけれど、それはやはり、私が自分の仕事に高額請求しない前提に立っている。私が自分の裏方仕事に対して高額の見積もりを書いて出したら、お金を出してまでお願いしたいとは思わないと手を引っ込めるクライアントが大半だろう。ご担当者が意味を見出してくれても、組織の決裁として、なかなか通すのは難しい。もちろん、それはこちら側の課題で、先方に問題があるわけじゃない。

私のような地味な働きに対して、その内訳はさほど知らないにしても、一定の価値を見出して雇ってくれるというのは、やはりものすごくありがたいことなのだ。

そこで、これまでだいぶ社内の中核事業のあれこれとは距離をおいて、単独でクライアント案件に注力してきた分、このさき半年とりあえず会社の事業のほうに向いて、これまで外で鍛錬してきた筋力を応用して、自分の働きどころを見つけては、あれこれやってみて、役に立てそうか様子をみてみようと思う。

自分のできることでいうと、一つひとつ、きちんと聴く、きちんと調べる、きちんと考える、きちんと要件と提案に展開させる、きちんと言葉に起こす、きちんと図解する、きちんと文書にまとめる、率直に物申すという感じかなと思われ、きわめて一般的な仕事力の集合体でしかないのだけど、そういうことを大事にやってきたので、そういうことを大事にやっていこうと考えている。それが役に立つ何かになったらいいなと。

すでに、新しい上司との打ち合わせでは、この辺りを意識的にやっている。打ち合わせで聴いた話を整理して、そのグループがやっている活動を整理して1枚ぺらでわかるよう要旨をまとめたり。こういう体制が望ましいのではないかと話題に挙がっていたのを図に表すなど。短時間に情報を編集して、言葉や図に展開して有形化してシェアして、次に話がつながりやすいように活動しているのだけど、なかなかこれが基礎体力の筋トレみたいな効果もあって良さそうである。

きちんと役立つようなアウトプットでないと、ただの自己満足になってしまうのでいけないが、そういう「物事を展開させるところ」が滞りやすいので、うまくそこで力になって、もやもやしているものを言葉にして顕在化させるとか、点在しているものをつなげて意味を見出すとか、滞っているものを発見して理由にあたりをつけて要因をつぶして始動させるとか、やりたいことを企画だててタスク出し&時間軸にのせてスケジュールを引くとか役割分担するとか。つなぐ、展開させる、始めさせる、前進させる、みたいな力になれるといいなぁと思う。まぁ、きわめて曖昧な役どころなんだけど。でも曖昧だからこそ社内で価値を見出してもらえる働きなのかもとも思う。

ちなみに、クライアント案件をゼロにするのではなく、今走っている案件も引き続き頑張っていきますし、新たにご相談いただける案件にもお応えしていく所存です。社内仕事も肥やしにして筋力を鍛えておきますので、社内外を問わず、お気軽にお声がけください。

また、社内に向くといっても、自社社員育成というより、人材サービス事業の人材育成にまつわるあれこれを手掛ける意味合いが強いので、事業主側として社外に向く感があります。これまでクライアント案件を手がけてきたときよりずっと自由に社外とコラボレーションする企画立案に動けると思いますし、自分が考えたことや作ったものを共有しやすいかもしれないと思っています。そういうところも、いろいろ形にしていければと思いますので、今後とも何卒ごひいきに。

2019-09-26

「Web系キャリア探訪」第14回、ずっとバリバリ働き続けたい女性の生き方

インタビュアを担当しているWeb担当者Forumの連載「Web系キャリア探訪」第14回が公開されました。今回は、クレディセゾンでデジタルマーケティングを手がける磯部泰之さんと栗田宏美さん、上司・部下のペアを取材しました。

部下の「異能」はどう活かす? 「型破りな部下」を「受容し導く上司」2人のキャリア観

上司の磯部さんはクレディセゾン一筋27年、部下の栗田さんは入社6年目で、クレディセゾンは3社目。お話をうかがっていると、職業適性も真逆?と感じられる対照的な側面をもちながら、だからこそ良い上司部下関係にあるのかもなぁって味わいもある素敵なインタビューとなりました。

栗田さんは、「仕事の報酬は、仕事ですよね」「1年半後に日本に戻ってきた時は、自分の戦闘力が上がっている自信があります」などなど、数々の発言から半端ない勇ましさを感じつつ、チャーミングな印象もあわせもつ魅力的な女性。

育児をしながら、でも仕事もバリバリやり続けたい!として、それを実践されている女性には、ぜひとも一度お話を伺ってみたかったのですが、まさに!という体現者でした。

そして、彼女と自分との違いをさまざまな面で感じながら、それらを広いふところで受け入れ、栗田さんのキャリア、組織の事業活動のいずれにも意味が生まれるように解釈を展開し、彼女の力を引き出し&引き上げていく、組織の価値につなげていく磯部さんの手腕には敬服するばかり。

ユニークで、エネルギッシュで、示唆に富むインタビュー取材でした。お時間あるときに、ぜひご一読いただければ幸いです。

2019-09-08

元どおりになるものなんてないのよ

新宿にある、ビル丸ごとが本屋さんの紀伊国屋書店は、文庫本コーナーだけでも大家族がゆったり暮らせる広さを有する。そんな中にあって、POP広告が目を引き、お薦め本として平積みされていた新刊の1冊を、ほとんどジャケ買いでレジに持っていった。

本を差し出したとき、レジの店員さんが少しばかり顔をほころばせたような気がしたのは、気のせいだったのかどうなのか。ふと、もしかして、この人があのPOP広告を書いた人では?と思ったりした。

POP広告の端っこに、作った人の苗字だけでもカッコ書きで添えておいてもらったら、客もレジで書店員さんの名札を見て、にやりとできるのに。その人の薦めるものにヒットが多ければ、POP広告を目当てに本屋を訪れる習慣をもつかもしれないし、書店員への情なりファン心理が育てば、Amazonではなく、その本屋で買って帰る愛着も醸成されるのでは…などと、ぶつぶつ考えながら本屋を後にした。

というわけで、少し前から「戦場のコックたち」という長編小説を読んでいる。文章を読むのが遅いのに短編小説が苦手という、都合の悪い性質…。500ページ強あるのを、のそのそ読み進めている。

いちおうミステリー小説という位置づけのようだけど、舞台は1944年、主人公はアメリカ合衆国のコック兵、海外文学と思いきや作家名は深緑野分(ふかみどり のわき)、ペンネームだろうが1983年の神奈川県生まれとある。

主人公のティムは、ノルマンディー降下作戦で戦地に立ち、戦闘に参加しながら炊事をこなす。戦場暮らしの中で遭遇する"日常の謎"を解き明かしていく推理小説であり、戦争小説でもあり、人間ドラマもあり、人種差別の問題にも丁寧に踏み込んでいる。

次の一節は、主人公の子供時代の回想シーンだが、ここを読めただけで、この本を読んでよかったと思う。

やっと掃除を終えた僕は、泣きながら祖母に「全部元どおりになったよ」と訴えた。けれど祖母はしゃがみ、僕の目線に高さを合わせると、「元どおりになるものなんてないのよ」と言った。

元どおりになるものなんてない。なんて、一言で“本当のこと”を言い得たセリフだろうか。小説にはこうした、この一言を伝えるがために、この物語が背景として存在するのではないかと思うような言葉のひとかたまりが、さりげなく話のド真ん中に埋め込まれている。

物語の中に出てくる「おばあさん」というのは、たいてい名ゼリフをはく。ずいぶん前に読んだ伊坂幸太郎の「モダンタイムス」で、

あなたはまだ実感ないだろうけど、人に会えるのはね、生きている間だけだよ

というセリフを決めたのも、わりとお年を召した女性だった気がする。わりと物語のド真ん中にあった気もする。

不可逆な時間軸にそって生きるほかない私たちにとって、すっかり元どおりになるものなんてないのだけど、ここにつながるのは決して絶望ではない。元どおりに戻せない前提は、それはそれとして腹くくって受け入れて、それを糧なり肥やしにして、新しいもの・こと・関係を作り出していく未来的な広がりを暗に指し示す。そうやって伝わるように、物語が下支えをしている。

ポール・オースターの「幻影の書」の中に、

危機的な瞬間は人間のなかにいつにない活力を生み出す。あるいは、もっと簡潔に訳すなら-人は追いつめられて初めて本当に生きはじめる。

というくだりがある。人って何かの前提条件を正面から受けとめて、それに向き合ったときに豊かな発想力を発揮する。元どおりにはならない現実を受け入れることで、元どおりに戻そうとするのではなく新しいものを作り出せばいいと、過去を割り切り、未来に目線を移して、より豊かに、より楽しく面白くなるように思考を巡らせることができる。

考えることは、今地点からあらゆる方向に解釈を広げ、可能性を広げる潜在能力をもつ。そうやって生きていくのが、人の営みの魅力の一つだ。

中村文則「何もかも憂鬱な夜に」には、

考えることで、人間はどのようにでもなることができる。……世界に何の意味もなかったとしても、人間はその意味を、自分でつくりだすことができる

とある。「考える」ということの尊さに思い巡らす中、ポール・オースター「幻影の書」の一節に。

結局のところ世界とは、我々の周りにあるのと同程度に、我々のなかにもあるのだ。

この一節を読んだことはすっかり忘れていたのだけど、何冊かの本を通じてこの感覚に触れた憶えはあり、私はもう何年も、宇宙と同じ広がりをもって、人間一人ひとりも内側に小宇宙をもっているという感覚をもって生きてきた。

読んだ本の中身は恐ろしいほど短期間に忘れちゃうんだけど…、自分の中にこういう一節一節の意味するところはしっかり刻み込まれていて、私の価値観を豊かにしてくれている気がする。気がするだけかもしれないけど。やっぱりなぁ、小説はちょこちょこ読まないともったいないなって思った。

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