Youtube番組「とうふメンタルラボ」にスピリチュアルカウンセラーを招いて
4月に、Youtube番組「とうふメンタルラボ」を始めるという話を書いて以来、しばらく触れずじまいで来てしまったのだけど、これまでに3回の撮影日をもちまして、2回目まで(8本の動画)がゆるゆる「とうふメンタルラボ」チャンネルにあがっていたのでした。出演者の瑠美ちゃんが編集を一手に引き受けてアップしてくれています。
そして、このほど3回目の収録の1本目(つまり9本目)が公開されました。3回目の収録では、スピリチュアルカウンセラーのみほさんをゲストに迎えてトークを展開。
これまでに3000人をはるかに超える悩み相談に対応してきたという経験の持ち主で、そのキャリアだけ聞いても、どんな相談を?どんなふうに聴いて?どんなふうに自分の中で咀嚼して?どんなふうに返しているんだろう?始めた頃と今では相談者と対面したときに入ってくる情報も違うのかしら?と、お話を伺ってみたいことがあれこれ湧いて出てきたので、その素朴な疑問を、そのまま質問して伺ってみました。
この動画を見ていて思ったことが一つ(過去回と比較)。私は、自分が何かを話すというより、誰かに何かを問いかけてお話を聴かせてもらう役回りのほうが、自分的にすごくしっくり感があるなぁということ。
自分はコンテンツホルダーじゃなくて、魅力的なコンテンツをもつ人たちの話を引き出したり、受け取ったり、編集したりして、それを活かせるまた別のコンテンツホルダーさんのもとに届ける媒介者の役回りなんだよなぁという感覚をずっと持ちながら生きてきているのだけど、今回改めて、そこの位置取りの収まりの良さを実感したりした。
媒介者としてなら優れているのかと突っ込まれると、そういう能力の問題じゃないんです…とたじろがずにはいられないのだけど、もし世の中の人が著者と編集者タイプに大別できるとして、どっちタイプか適性をみる検査を受けたら、私はきっと編集者タイプに振り分けられるだろうなぁという感じというか。
それは、「コンテンツを自分では何もお持ちではないですね」「はい、すみません」という自己イメージともつながっているわけだけど、もはやそれを開き直って受け止めちゃっている感じがある、あがきがない、いいのか悪いのか、時々自分に問うてみたりはするのだけど、やっぱり、わりと穏やかに、受け止めちゃってる感じがあるんだよな。これは、問題なのか、問題じゃないのか。
まぁでも、なんであれ、ある程度のテーマ性をもって編集者として仕事をしていると、そこにノウハウなり知見なりたまっていって、それはそれで、その分野のコンテンツをホールドすることにもなっていくわけで、大別してどっち寄りと自分をどちらかに割り振ってみたところで、その枠組みに縛られるものでもなく、縛りようもないと自覚していればなんでもないわけで。そうすると、今ここに書いたことも、つまりはなんでもないことなのだけど…。
ともあれ、自分が投げかける疑問は極めて素朴なものなんだけど、それに応えてくれる人の話はすごくおもしろいし、これがどこかの誰かに届いて何かがそこで、ちょっとしたものでもいいから生まれたらなと思う。そういうところで自分が働けたら、身の丈にあった、すごく自分らしい働き方だなと思う。
今回も、視聴者を代表するような感じで素朴な質問を私から最初にさせてもらって、そこから瑠美ちゃん、白石さんと、濃いぃメンバー(私からするとコンテンツホルダーな魅力をもつ面々)が話を発展させていく、みほさんとの対話を楽しむ感じが楽しかった。その足場づくりというか、みんなが舞台上で本番を踊りだすまでの設えを担当して、うまく流れだしたらあとは静かに舞台袖から舞台を味わう感じが、なんか心地よかった。
その設え部が、この1本目。8分ほどのコンパクトな動画にまとまっていますので、ご興味があえば、ご視聴ください。
あと、ここまでのアーカイブもまとめてリスト化しておこう。たぶん、このゲスト回をもってちょっと一休みすると思うので。自分が話す立場の、しっくりいかなさ加減が、じんわり漂ってくる…。
▼2019年の春先、はじめての収録
とうふメンタルラボとは?はじめての企画会議(4/12)
元メンヘラもいます!勝手に自己紹介(4/19)
とうふメンタルあるある|自分がメンタルやわい(弱い)と感じる瞬間(4/25)
元メンヘラが語る!実際にいたやばいお医者さんの話(5/22)
元メンヘラが思う、お医者さん選びのコツ(5/22)
▼2019年の初夏、慣れない2回目の収録
スキルがなくて将来が不安!とうふメンタル流キャリアとの向き合い方(6/02)
『年を取るのが怖い』って不安を年長者にぶつけてみた(6/27)
自分で貼っちゃう「レッテル」が苦しいんです(7/04)
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