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2019-06-23

そのようにして私は、英語を学び直し始めた

先日Linkedin経由で、英語のメッセージを受け取った。ビジネスSNSと呼ばれるLinkedinはずいぶん昔に登録して以来そのまま放置状態になっているのだが、まれにつながりリクエストをもらうことがあり、ごくまれにお手製のメッセージ付きでリクエストをもらうことがあって、時おりログインする。

デフォルトの「つながってください」ではなく、相手がお手製のメッセージを寄せてくれたとなると、有り難い&申し訳ないので何らかレスを返すのが常。しかし、みんな英語だ。英語で返さねばならない。向こうの期待に応えるような回答を送れた試しはないが、申し訳程度の返事を送って、ことなきを得てきた。

そんな私のもとに、先日久しぶりにメッセージ付きのリクエストが届いた。やはり英語である。相手は米国人の女性で、HR系の人脈を作れるイベントはないか?という質問が書かれていた。シリコンバレーのビジネスを持ち込んで、これから日本展開に挑むスタートアップのHR責任者のようだ。

LinkedInのメッセージは、企業の採用担当者が「我が社に興味はないか?」と送ってくる系が常で、こうした質問を受け取ったのは初めてのこと。しかも、たまたまちょうどいいイベントがその週末にあって、私が足を運ぶHR系のイベントなど年1回これくらいしかないというタイミングだったので、これは教えてあげようと思って筆をとった。

が、みごとにまったく英文が浮かんでこない。簡単な文章を書くのに四苦八苦。HR系の人が集まるイベントがちょうど今週末にあること、講義は日本語だが参加者に英語話者が多そうな会なので彼女の人脈作りには有効かもしれないこと、事前申し込みが必要なことなど、ぜいぜい言いながらなんとか必要事項を記して返事を送った。英語が苦手で申し訳ない…と、いらぬエクスキューズも最後に添えた(添えずにはいられなかった…)。

送った翌日に返信があり、喜んでくれたので一安心した。そのイベント絶対行くわ!というのと、あなたの英語グッドよーとも添えてくれていた。

あの短い英文作成に、翻訳ツール、和英・英和辞典を駆使して数十分かけたことを彼女はまだ知らない…というセリフが、私の脳内に流れた。

その週末、結局イベント会場に彼女は現れなかったと思う。イベントといってもけっこう小さなスペースで行われた会だったので、来ればLinkedInに載っている顔写真だけでも本人が特定できる感じだった。

終わってみれば、ささやかなやりとり。が、彼女が私に残したものは絶大だった…というセリフが脳内再生される。

というのは、これを機に重たい腰をあげて、英語を学び直し始めたからだ。機会は活かすものなり。

一念発起と言えるほど気合の入った活動ではない。楽しいなぁと思えるレベルを維持して、のんびりずーっと続けようという魂胆である。

目標設定とか、いつまでに何を達成とか、みんなで一緒に頑張りましょうとか、そういうノリは一切ないのだけど、とにかくほぼほぼ触れていない生活から英語に触れる世界に身を移した。

さしあたって、一番好きな分野が英文法なので、分厚いが分かりやすくておもしろい英文法の本を読んでいる。なんの圧迫感もなく、誰からも自分の内からも圧力を感じずに読んでいると、なかなか楽しい。この楽しさを維持するのだ!と私の中の司令塔が「全わたし」に通達する。

今はあまり、新しいことを覚えていっている感じはない。昔たしか覚えたよねぇという領域を掘り起こして、懐かしい、そんなのあったねぇみたいな、遠い記憶の畑に分け入って芋掘りしているみたいな感覚である。

そこにちょいちょいと新しいことも入ってきて、ちょうどよく無理のない刺激を受けている。英語への抵抗感が薄れていく、読んでみようと思う、聞いてみようと思う、理解してみようと思う、話す&書くならどんな表現で?と思いを馳せる、そんな感じにちょっとなってきたぐらい。これまでどれだけスルーしてきたんだ…という話だが。

まぁでも、この積み重ねがこれから何年も続いたら、多少は今より英語に慣れ親しんだ自分になれるだろうと淡い期待を寄せている。

そのようにして私は、英語を学び直し始めたのだった。というふうに、今の自分に起こったことを起点として、未来の望ましい自分のありようをイメージし、仮の終点を未来に打ってみるのは、なかなか乙な遊びかもしれない。彼女とのやりとりは、ささやかな一件だった。けれど、まさかその10年後にこんなに英語に親しんでいるなんて!おめでたい遊びかもしれない…。

ちょっとした出来事が、未来の自分を作る後押ししてくれることもある。一つひとつの出来事は、それが起こった先の未来にもずっと、人の中で意味づけを変化させ、価値を変え続けられる潜在能力をもつものなんだ。

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