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2019-05-31

「Web系キャリア探訪」第11回、欲しい経験を取りに行くキャリア

インタビュアを担当しているWeb担当者Forumの連載「Web系キャリア探訪」第11回が公開されました。今回は、広報やマーケティングコミュニケーションがご専門の庄かなえさんを取材。この連載では、3人目となる女性へのインタビューです。

幸福度重視の仕事選び。50代以降の選択肢を広げるための戦略的転職

1998年に社会に出て、6回の転職を経験。現在は、公益財団法人 地球環境戦略研究機関(IGES)の戦略マネージメントオフィス マーケティング・コミュニケーションズ マネージャーを務めるというキャリア。

所属や肩書きはごっつい感じなのですが、お会いしてみると、取材にうかがった葉山の街なみに調和するような朗らかさ、しなやかさや聡明さをあわせもった趣きの素敵な女性でした。

自分の中で大事にしたいものをクリアに把握されていて、それを大事にするってことを丁寧にやってこられたんだろうなぁという印象で、朗らかな語り口の中にも、芯の強さが一貫して感じられる取材でした。

自分の意思をしっかり自覚しているから、「同業種のほうが転職しやすいかな」とか「今の住まいから通える範囲で」とか「今より高い給与で」といった一般論に振り回されず、異業種転職も、東京を離れることも厭わず、給与が下がっても欲しい経験を取りに行く、自分ならではのキャリア選択をしてこられたのだろうと思います。

なかなか自分が望む役割を担えない職場・境遇にあったときも、その時期はインプットに精を出すというように、決して投げやりにならず、「今、自分ができること」を大事にしてこられたことも読み取れて、後から振り返っても含蓄あるお話だったなと思います。

取材日には、これまでのキャリア変遷を、「幸福度」と「給与」でグラフ化して図示してくださって、何をどう考えて仕事経験を積んでこられたのか、どうして次に移る決断をしたのか、丁寧にひも解きながらお話しくださいました。

20年に渡るキャリア話の中には自ずと、ネットをどうPRに活用していくかとか、組織におけるマーケティング・コミュニケーション部門の役割の変遷についても話題にあがり、代理店で働くか事業会社で働くかといった話題も。いろんな刺激が詰まっている記事かと思いますので、ご興味がわきましたら、ぜひお目通しくださいませ。

締めには、「40代の現在地から、50代のキャリアをどう展望し、今をどう生きているのか」にも言及くださって、これは同じ現在地に立つ自分ごととして結構効きました。じぶん、大雑把だなぁと…。

2019-05-15

続:腰痛とフリーアドレス制導入

ゴールデンウィーク中に弱音を書きつづっていた腰痛の件は、その後持ち直している向きはあるものの、まだまだ予断を許さない状態。歩くペースは早まったものの、足早に歩くとか、重たい荷物をもって歩くとかは、なかなか厳しい。その割りに、重たいノートPCを持ち歩いてしまうこともままあって、腰の容態は日ごとに異なる。

整体クリニックには週一ペースで通い続けていて、次で4回目。腕のいい方だなと信頼して通えているものの、毎度支払う額もばかにならないので、今週あたりでストップするなりペースダウンするなり移行したいところ。あとは自然治癒でどうにかなれば嬉しい。水泳の習慣も、早く通常に戻したいけれども、とにかく焦らず着実に…。

会社のフリーアドレス制のほうはどうかというと、ゴールデンウィーク明けから予定どおり導入されて、今はみんな手探りで体に慣らしているところ、なのか、たぶん。実際のところ皆がどんな感想をもち、どんな感じで過ごしているのか、よくわかってはいない。

ゴールデンウィーク明けから今日まで、いや、この先もしばらくそうなのだけど、いついつまでに作らなきゃ!仕上げなきゃ!出さなきゃ!な提案書やら原稿やら教材やらに追われて余裕がない。「あれをやったらこれ、これが終わったらあれをやらねば…」と一人で切羽詰まっている。

居場所も、皆がいる大部屋ではなく、(うまくすれば一時的に)集中スペースっぽくなる小部屋にこもって壁に向かっていることが多いので、会社の雰囲気に疎いのは相変わらずだ。

今日は、背中越しのミーティングスペース(が、なぜかある)から、「だいたいこの集中スペースを使う人も決まってきてるよねぇ、林さんとか…」という小声が聞こえてきたので、導入2週目にしてすでに「こもり部屋の住人」認定されつつあると言えよう。

とはいえ、GW前の自分比でいうと、会社の情報がなんとなく入ってきたり、社内の人となんとなく顔を合わす機会が増えた気はする。GW前は、毎日通っているものの本当にほとんど会社との接触がないくらいの勢いだったので、いくらかここの会社員っぽさが増した気がする。

そこそこ古株ではあるものの、長いこと隅っこでひっそり仕事しているので、社内で私のことを知っている人も限られており、さらに外向けの仕事をしていて、あまり社内と絡む用事もなければ、まま自分の仕事でいっぱいいっぱいだったりするので、仕事スタイルはあまり変わらない気もするけれども、余裕が出てきたら同僚とのさりげない会話も楽しみたい…。

戦々恐々としていた「椅子」問題は、初日出勤してみたら逃げ道があって胸をなでおろした。集中スペースにある数席は、前に使っていた椅子よりいいかも?と思えるくらい座りやすいものだったのだ。

GW中は、SNSを通じてアドバイスくださった兄さま姉さまがたの知恵をかりて、椅子にあうクッションなりサポートシートを用意しようか、ノートPC画面と目線の位置合わせをするスタンドも手配しようかと物色していたのだけど、とりあえず、こもり部屋の住人と化して事なきを得ている。

大部屋にある多くの椅子はどうにも体と相性があわないので、その意味でも私は小部屋にこもるほうに流れてしまわざるをえないのだけど、ぼちぼちこの環境に慣れて、うまく活かしていきたい。いつもにまして、だいぶ日記。

2019-05-06

「寛容になろう」が生みだす不寛容

最近は「寛容になろう」とか「多様性を受け入れよう」という発信がいたるところで見られるけれど、「寛容になろう」というスローガンが、かえって不寛容を生みだしている問題というのがあって、なかなか取り扱いが難しい。

TBSラジオリスナーにはおなじみのジェーン・スーさんが出した対談本「私がオバさんになったよ」*の中で、脳科学者で医学博士の中野信子さんと話している内容が分かりやすい。二人がどんな話をしているか、ざっくりその部分を要約しちゃうと、

「寛容になる」の最善の解は「放置」。「仲良くしましょう」じゃなくて「放っておきましょう」「他人のことには口を出さないでおきましょう」なんだけど、そこを放置できないのが、ヒトの脳にある「社会性の罠」で、仲良くしようとしちゃう。そうすると同調圧力が働いてきて、みんなの和を乱したり、和から外れた人を許さないという閉鎖性が生まれる。結果的に、「寛容」になるつもりが「不寛容」になっちゃってる。仲間意識と排外意識はセット。

というような話。中野信子さんいわく、

実際、仲間意識を高めるためのホルモンをヒトに投与すると、みんなのルールに従わない者に対する攻撃が行われる。つまり、逸脱者を排除したいという気持ちも同時に高まることがわかってます。

とのこと。うん、寛容になるって、「仲良く」じゃなくて「放っておく」のほうがフィットするよなっていうのは納得感がある。わりと自分がやっていることだよなって、読んでいて安堵感も覚えた。

一方で、じゃあこれを皆が自覚して「そうですね、放置がいいですね」って一斉にそっちに振り切ったら一件落着するかというと、話はそう単純ではない。

スーさんが問題提起する。放置ってなるとそれはそれで、干渉しないものに対して人はなかなか愛着を持てない、「自己責任」と突き放しがちになる問題が出てくる。「過干渉しない」と「社会で見守り、助ける」をセットにするのは難しいねって話が展開される。

ほんとに人の世界というのは、どっちつかずのバランスをとって舵取りしていく難しさを抱えるのが常だなと思う。その難しさが面白さや豊かさも生んでいるし、ややこしさや争いも生んでいる。

私も、寛容になる訓練は望むと望まざるとに関わらず人並みにはやってきたけれど、寛容になるって、「放置する」「干渉しない」と近しいところに「期待しない」という態度もあって、あんまり振り切りすぎないで途中で踏みとどまったところに健全な立ち方があるんだろうなぁと思うことがある。

放置する態度をズンズン突き進んでいくと、人に期待しなくなる状態に通じる実感があって、そっちの際に近づきすぎるのも不健全な気がするなと警戒心がわいてくる。

たとえば、人に声をかけたら反応を返してほしいと期待する。ごく一般的なことだと思うのだけど、反応が返ってこない、無視されることが続くと、向こうには向こうの事情があるんだろうというので、苛立たずに距離をとって平静に放置することを覚える。寛容であろうとする。連絡が返ってきたら、あら嬉しいわ、くらいの感じにしちゃうのだ。

そうすると、楽は楽である。期待を裏切られて傷つかなくて済む。でも、そこに安住しだすと、何事も誰からも一切の見返りを求めない、人に期待を寄せない、自分にも期待しない、人から称賛されたいとも思わない、人との関わりを絶っていく…と、先へ先へ進んで頑なになっていく病が見え隠れしてくるのだ。例が極端かな。でも、言わばこういうこと。

寛容になろうとして、自分勝手な期待を人に向けなくなる、それはそれで、いいだろう。でも自分勝手かどうかは常に曖昧だから、境い目がわからないだけに、どんどん寛容さを突き詰めていくと、気づいたときには、あれ、これって寛容な態度であってるんだっけ?ってところに流れ着いていたりする。

途中でバランスを欠いて、何を目指して今どこに自分がいるかわからなくなり、自分の無意識下で働き出した卑屈さとか臆病さとか無知な判断に飲まれて方位磁石がおかしくなっちゃって、だいぶ遠いところまで流されてしまって…みたいなこともあるかなぁと。

まぁ、私はわりと「健全でありたい」欲求が無意識に働くめでたい性格なので、下手に頭使って理屈をこねくり回すより、そこに舵とりを任せているほうが勝手にうまい按配でバランスをとってくれて良さそうという役割分担をしているのだけど、ときどきそこの担当が体調を崩したりすると偏屈おやじ化したりするので、気をつけたいところ。

寛容と不寛容。放置、干渉、期待、見返り。現実世界では、こういう概念・コンセプトが明確に区画整理されているわけじゃない。それどころか、対立する概念とおぼしきものが入り乱れてつながっていたり表裏一体だったりするのが世の常だ。

実際には何の境い目もないぐにゃぐにゃの世界に対して、人が自分都合で名前をつけていて、勝手に名づけて使っているうちに、あれもこれも、さもこの世に人がいるいないに関わらず、もともと存在するかのように捉えてしまっていたりする。

けれど、名前も言葉も概念も、それを分かつ境界線も、どれも人ありきだし、人によっても何を認めて、どういう境界線を引っ張って、何という名前をつけて、あれとこれを区別するかって違う。自分専用のメガネをとおして、自分が指し示したい概念・コンセプトを勝手に知覚して、勝手に自分の解釈を加えているだけだ。

メガネをはずせば、そこにあるのはやっぱりぐにゃぐにゃの境い目ない世界でしかない。自分が自家製メガネをかけて見ていることを忘れずに、自分がどんなメガネをかけて、今何を目指して、どこにいるのか慎重にモニタリングし続けないと、わけがわからなくなってしまう。気づいたときには目指すところと対極に自分が立っているなんてことが簡単に起こってしまう。

抽象と具象世界を行ったり来たり、メガネをとったりはずしたり、人のを借りて見たりしながら、力まず中庸であることを大事にしていきたい。という覚え書き。

*ジェーン・スー他「私がオバさんになったよ」 (幻冬舎)

2019-05-02

「メールが美しい」という褒め言葉

新卒社員研修を提供したお客さんから、振り返りの会の後にお食事をご一緒しませんか?とお誘いいただき、先月末、先方の役員の方、人事の方、私の3人で夕食をともにした。

気さくな飲み会のような感じで、多くは人事の女性の前職の武勇伝をあれこれ聴かせてもらっておしゃべりを堪能する会だったのだけど(めちゃめちゃ面白かった)、今回の仕事のやり取りについても、いくらか話題に挙がった。

その中で、お二人から、私の書くメールがどれも美しいという謎の褒め言葉を頂戴した。メールの文面を美しいと形容されたのはたぶん初めてで、すごい嬉しかったのと同時に、どういう意味なんだろう?と、最初よく意味を汲み取れなかった。

「メールが美しいとは?」と疑問符を打ちながら、続く話を聴いていると、「特に、あのときの…」と例に挙げてくださったのが、研修の助成金について相談されたときに私が返答したメールだった。

助成金について書かれた美しいメール…。謎は深まるばかりだ。これに顕著に出ていたというのであれば、"てにをは"のことを言っているわけではなさそう。あのメールで顕著なのは…と考えてみた。

あれに顕著な特長を挙げるとすれば、自分が調べられるかぎりのことを調べて、表現できるかぎり分かりやすい表現を選んで、その会社の、その研修でどう助成金が使えそうかを、できるだけ個別具体的に絞りこんで、メールにしたためたというところだ。

この会社が今回の研修で国の助成金を使おうとした場合、どの助成金をどの範囲で使えて、どこに対象外となる落とし穴がありうるか、後から「使えなかった」「想定より低い額しかおりなかった」ということがないように、どの部分をどこに直接確認したほうが安全かとか、そういうのをできるだけ具体的に、できるだけ簡潔に、できるだけ平易な言い回しで、対面で直接説明するような流れに構成だてて、仕上げたメールである。

そのお客さんは、新卒社員研修を体系立ててやるのが今回初めてで、助成金の手続きについても手探りなことがうかがえたので、私も勉強がてら厚生労働省のサイトを調べたり、ややこしそうな所を東京労働局に電話して確認したりして整理した結果をメールにしたためた。

それが向こうに届いたとき、「美しい」という印象をもって受け取られるということが起こった。そんな化学反応があるのか…と、不思議な感じがした。

助成金のメールに顕著だったけれど、あれにかぎらず普段のメールのやり取りがどれも美しかったと、お二人に言ってもらえて、気持ちがホクホクした。決して格好よかったり華美な言葉や流麗な表現を採用しているわけではない(当たり前だけど…)、この地味な言葉の連なりに、そんな印象をもってもらえるなんて、ありがたいことだ。

メールは、考えてみると、大事に書くようにはしている。メールって、つまり、お便りである。大事なコミュニケーションが中に収められるもので、何かをわかりやすく伝達したり、教えたり、 教わったり、意識合わせしたり。

だから、これまで一切「メールを処理する」という表現を使ったことはないし、「メール対応だけで1日が終わった」とかで不毛感を覚えたこともない。そこにどれだけの意味を生み出せるかは、書き手にかかっているし、時と場合によっては、何をどう伝えるかという下準備やら推敲やらに、大変な時間がかかったりするものだろうと思っている。

私のアウトプットは、提案書とか設計書とか、メール文面とか、打ち合わせや電話での会話とか、案件途中にあって、次につないでは消えていくものが大半で、最終成果物としては世に出ないことがほとんどだけど、ときどき、こんなふうに言葉をかけてもらえることがあって、なんだか幸せなことだなぁと思う。

でも、もう一歩さがって考えてみれば、こんな地味な働きから、そんな印象を受け取って言葉をかけてくださる方の心の目とかアウトプットのほうが、ずっとずっと美しいよなぁと敬服。気分よくなって、言葉をもらうだけもらってルンルン帰ってきてしまって、まだまだである。

2019-05-01

サポートの原型にふれつつ令和時代へ

平成最後の日は、キャリアカウンセリングを引き受けていた。カウンセリングというか、キャリアカウンセラーとして、MBTIという性格検査のフィードバック・セッションを行っていた。

とある喫茶店の個室を借りて、お昼どきから夕方までの4時間、1対1で話しこんだ。前半はMBTIがどんなふうに性格をとらえるかといった解説が中心、後半はワークを取り入れながらその人の自己洞察をサポートする。

複雑な概念をわかりやすく解説するという難題がまず立ちはだかるのだけど、そこが決してゴールではなく、あくまで、その後その人にとっての発見なり整理なり、自己洞察の深まりがなくては意味がない。

なので、だいぶ知力、体力、精神力を使うのだけど、こうした時間をもつことは自分にとっても、とても豊かに感じられる。ご本人もいろいろ有益なところがあったようで、快い疲労感を覚えつつ、安堵して帰途についた。

自分が解説なりなんなりを提示した後、相手がそれを聞いて考えたこととか、思い出したこととか、これはどういうふうに解釈したらいいんだろうとか、思うところを自由に話してくれて、その受け取り方を一緒にひも解いていくやりとり、そうした時間が、すごく好きだ。

深淵な海に、ゆっくり安全確認しながら一緒に潜っていく感じ。そこに同行して、本人が自分の心の風景を見渡したり仔細に検証したりするさまを、そばでサポートする感じ。

あくまで、本人が見つける、探っていく、その力を信じて、邪魔しないように、勝手な決めつけで誘導しないように、分をわきまえながら丁寧にそばで関わり続ける、なんだかサポートの原型のように感じられる。

平成最後の日とは意図せず、こういう一日になったのだけど、なかなか良い時代の超え方だったなぁと振り返る。

その後、友人とごはんを食べ、おうちに帰ってから少し体(とくに腰)を休めていたら(つまり寝ていた…)、気づいたときには0時をまわっていて、時代が令和に移っていた。

NHKのニュースサイトで、天皇陛下の最後のおことばを拝聴して、街の声なども動画で観た。若者が渋谷や新宿に繰り出し、大きな声でカウントダウンしている。いい時代にしたいですと20代の女性が笑顔で取材に応じている。

そうした映像をみて、あぁこういう国民の笑顔をもって一つの時代の幕を下ろし、新たな時代を迎えられているのは、明仁天皇の大きな、大きなご決断(というか訴えというか)あってのことだなぁと、目頭が熱くなってしまった。最後の最後まで、国民の平和に尽くされた天皇だったなぁと、感謝の念をもって令和を迎えた。平和で、寛容で、多様性豊かな時代となりますように。

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