私のことを「まりりーん」と呼ぶ彼の訃報
4月25日、会社で仕事している昼どきに、元上司から連絡が入った。Facebook Messengerに、今から電話していいか?と。メッセンジャーで言うには躊躇することなのだな…と不穏な空気をよみとり、胸をきゅっとひきしめて電話を受けた。元同僚の訃報だった。私の1学年下で同い年、まだ43歳だ。
その日の午前中に亡くなったと言う。くも膜下出血で3日前に倒れて、そこからおそらく危篤状態が続いて、そのまま亡くなってしまったようなのだと。元上司もそうだったが、私もあまりにびっくりして、言葉がなかった。
彼がうちの会社にいたのは、10年前とか、もうそれくらい昔のことだけれど、同じ部署ではなかったものの、なんだか懐いてくれて、職場でよく声をかけてくれた。彼が転職した後も、数年に一度くらいのペースながら、一緒にご飯を食べる機会をもっていた。
会うといつも、わんころのように人懐こい顔をして、しっぽを振るように手を振って、「まりりーん」と近づいてくるのだった。私のことを「まりりーん」と呼ぶのは彼くらいのもので、私は彼にとってどういうキャラ設定だったんだ?と今さらながら思うけれども、私はその呼びかけにいつも快く応じて、会えばとにかくてんこ盛りのおしゃべりをしてくれる彼の話に耳を傾けた。
数年に一度の"直近"は、つい数ヶ月前のことだ。ちょうど彼が勤める会社から仕事の相談をもらって鎌倉まで行くことになったので、事前に連絡を入れたら、都合がつくので、その打ち合わせの後に一緒にランチをしようと誘ってくれたのだ。
それで昨年末、暮れも押し詰まる12月26日に、鎌倉で一緒にランチをした。今からちょうど4ヶ月前になる。
何を食べたいか訊かれて、たぶん私がお蕎麦とか?と応えたんだろう、彼が少し駅からは離れるけど、いいお店があるというので、観光客の喧騒から遠ざかるようにしばらく歩いたところにある蕎麦屋に連れて行ってくれた。
それは自然と鎌倉散歩になった。天気が良くて、ちょっとした移動なのに、その光景がキラキラした印象として今、思い出される。
彼は向かう道中も、お蕎麦屋さんに着いてからも、やっぱりたくさんたくさん話した。今やっている仕事のこと、鎌倉暮らしの魅力など、あれこれあれこれ、終始はずんだ声で話を聞かせてくれた。
帰り道、私が駅に向かい、彼が会社に向かう分かれ道で、じゃあここで、と私たちは手を振って別れた。まさか、それが最期になるなんて、思いもよらなかった。
「まりりーん」と、また人懐こい顔をして手を振って近づいてきて、たくさんたくさん話を聞かせてくれる日が来ると思っていた。無意識にそう思っていたから、意識的に「思っていた」とは言えないくらい、そう信じていた。
この世界にもういないなんて、二度と会えないなんて、なかなか信じられるものじゃない。3日ほど自問を続けるも、今も了解できていない。
それをきちんと受け止めるために、残された者は儀式を行うのか。お通夜に行くことで、私はいくらかでも、彼の死を受け止めることに近づけるのではないかと思うのだけど、こんなときにかぎって腰痛がかなりひどい。遠出できるかは直前の判断になりそうだ。
儀式を目の当たりにしないと、私は彼の死を曖昧なものにしてしまうのではないか。信じたくないもの、信じられないものを曖昧な記憶にして、受け止めたような受け止めていないような状態で時間を送ってやり過ごしてしまうのではないかと、それを恐れている。それをするのは違う気がすると、働きかける自分がいる。
あなたが確かに生きたこと、私の人生にも登場してくれて、そう長い時間ではなかったにせよ一緒に過ごす尊い時間をもてたことを曖昧にしないために、私はあなたの死を今きちんと受け止めるよう促されている。あなたが確かに生きたから、私は今あなたの死を悲しんでいる。その悲しみを遠のけたら、あなたが生きたことに対する感謝や、出会えた喜びも一緒に遠のけてしまう気がして、それは違うよなって気がしている。それなら感謝と喜びと一緒に、この悲しい気持ちもまるっと全部ひきうけて、この先もずっと大切に私の中に抱えていくほうが、自分の答えだというふうに感じる。だから、ここに書いている。やっぱりまだ全然信じていない気持ちのまま。
当たり前が、どんどん当たり前じゃなくなっていく。当たり前が、どんどん尊くなっていくなぁ。
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