« 2019年3月 | トップページ | 2019年5月 »

2019-04-30

腰痛とフリーアドレス制導入

腰が痛くて、たまらない。数週間前から痛みが出てきて、1週間くらい前から、だいぶひどくなった。よぼよぼとしか歩けない。先日、人生で初めて「よっこいしょういち」と言ってしまった。しかも朝起きあがるとき、一人でいるときにだ。これは相当まずい。

原因は…といって明確に1つ挙げられるものがあるわけじゃないが、そもそもの日頃の姿勢とか歩き方とかストレッチ不足とか体の硬さとかが土台となって、4月上旬に仕事で5日連続キャリーバッグを引きずって都内を行き来していたところ痛みが出てきた。

そこに、5月のゴールデンウィーク(GW)明けから会社がフリーアドレス制になるため、それ関連の対応が積み重なってのイタタタかなと思う。

会社の固定席に置いてある本を整理しなきゃいけないとなると、私物を家に送るかということになり、となると家の本棚をまず片づけなきゃいけないってことになり、家の本棚の整理&数十冊の本の処分を、4月半ばの週末に執り行った。結局、収納スペースを確保できたので会社に置いたままで良くなったのだけど…。

それから、固定席を手放すにあたって、貸与されているパソコンがデスクトップからノートPCに変わり、これもデスクワーク中の姿勢や視線が明らかに下向きになったので影響あるような気がしないでもない。

さらに、GWに入る直前は、これまで固定席に置いていた荷物の処分やら荷づくりの作業があれこれ。

GW明けからは、椅子も変わることになる。これが、私の首と腰と相性が悪く、数十分座っているだけでも体がバキバキになることがわかっている。この椅子は、もう何年も前に会社が一斉導入した椅子なのだけど、私は当時座ってみて数十分で根をあげ、古い椅子のままにさせてもらっていたのだ。

これを今回のフリーアドレス制導入で手放し、5月からは共用の椅子に座ることになる(ことに先週気がついた)。ダンボールか何か積み上げて勝手にスタンディングデスクで仕事することにするか、持ち歩けるクッション的なものでどうにかなるものか、来月に入ったら真剣に考えねばならない課題である。

ともかく、今の腰の状態は改善させてGW明けをむかえたい。というか1日も早く、この状態から脱してGWを過ごしたい。

というわけで、休みに入る前の先週半ば、前に首が痛くなったときに診てもらった整形外科に足を運んだ。

医師の診断は、「椎間板ヘルニアなどの損傷系の問題はない。腕のいいセラピストにかかれば一回の施術で治るかもしれないし、腕の悪いのだと数ヶ月かかるかもしれない」といった微妙なもの。

そこは1Fが診断する医師がいるフロア、2Fがリハビリをする理学療法士がいるフロアで体育館のような設えになっている。患者は1Fの診断の後、2Fに引き渡される。

私は食い下がる。「え、じゃあ、どなたにお願いすれば?」、すると先生「一番うまいのは誰々って副院長。だけど、彼は1ヶ月待ちとかだからね。若い奴の中でうまいのは誰々。こいつは、まぁでもうまいから、今からだとー、4人待ちだね(たぶん2時間以上待つ)。そんなに待てないってことだったら、今日のところは予約なしでとれる人にやってもらって、今日の終わりに受付で、次回の指名予約をとって帰ることもできるから」と。

この日は、会社で所属部署メンバーが集まっての期初ミーティングがあったので、2時間待ちして施術して帰るほどのんびりしているわけにもいかず、結局予約なしで割り振られた人にリハビリをお願いすることに。

これが、首のときにも面倒をみてもらった若手の女性で、お互い顔を覚えていた。私はそのとき、1〜2回で通うのをやめてしまったので、ちょいとばつが悪い。しかし、やっぱり今回も即効性は何もなく、腰にチャンピオンベルトみたいなのを巻いて、とぼとぼ帰途についた。

こうなると、もうここ自体通うのが難しくなる。1Fの医師に紹介してもらった若手の誰々さんに次回から乗り換えるのは、なかなかきつい。乗り換えた私と、乗り換えられた彼女は、そう広くない2Fフロアできっと顔を合わせることになるわけで、そんなの双方めちゃめちゃ居心地悪いではないか。彼女が休みの日を選んで…といっても、ここはGW中休みだから、次は5月7日だしなぁ。

そんな状態で、腰をいたわりながら会社内の引越し作業みたいなあれこれをやって、GWに突入。通勤しているときに比べれば体は安静にできているものの、これでは悪化はせずとも回復もしない感じ。ここはひとつ、面倒くさがらずに攻めの姿勢で打って出ねばなるまい!

ということで、ネットで検索。都内の整体とかカイロプラクティック系の情報を集め、Googleのレビューなど読んで、怪しくなさそう、痛くなさそう、効果がありそう、さほど移動距離がない、目が飛び出るほど高額じゃない、GW中もやっていそう、っていうかすぐ対応してくれそうなところをいくつかピックアップ。優先順位をつけて、朝一番、連絡を入れてみることに。

即日OKでありますように!と願いながら、受付時刻9時ちょうどに電話を入れると、午後いちでOKという。そんなわけで恐る恐る、代々木のとあるマンションの一室にあるという整体クリニックへ足を運んだ。

最上階までエレベーターで上がり、扉を開けてみると、明るく清潔感があって落ち着いた雰囲気。ほっと胸をなでおろし、問診&施術をしてもらう。

ご指摘がいちいちごもっともで、全身鏡の前に立ち、おろした状態の右手と左手の長さ、全然違うでしょう?と言われて見てみると、ほ、ほんまやー!という驚き。肩が張っているとか、足首が硬いとか、呼吸が浅いとか、あちらもこちらも全身に異常を指摘される始末。

とりあえず、初日は全体のバランスを整えて骨盤を調整するとかで、10分かそこらの施術をしてもらう。肩とかおなかとか、それぞれ数秒程度ポイントを押したりさすったりするだけなのに、確かに施術前と比べると、少し状態が回復している気がする。

一回ですっかり良くなったという魔法はなかったけれども、根本的なところから改善を図ってくれているような気もする。ということで、しばらく通ってみようと思う。次の回で、ぐーんと回復するといいんだけどなぁ。

健康で身軽な状態を保ち、必要なときに、さささっと人知れず動けることが、私の役回りにはとても大事なことだと思っていて、そこが損なわれている状態というのは、非常にまずい。どうにかして早々に、ここを脱却したい。早期回復を祈りつつ、平成から令和へ。

2019-04-28

私のことを「まりりーん」と呼ぶ彼の訃報

4月25日、会社で仕事している昼どきに、元上司から連絡が入った。Facebook Messengerに、今から電話していいか?と。メッセンジャーで言うには躊躇することなのだな…と不穏な空気をよみとり、胸をきゅっとひきしめて電話を受けた。元同僚の訃報だった。私の1学年下で同い年、まだ43歳だ。

その日の午前中に亡くなったと言う。くも膜下出血で3日前に倒れて、そこからおそらく危篤状態が続いて、そのまま亡くなってしまったようなのだと。元上司もそうだったが、私もあまりにびっくりして、言葉がなかった。

彼がうちの会社にいたのは、10年前とか、もうそれくらい昔のことだけれど、同じ部署ではなかったものの、なんだか懐いてくれて、職場でよく声をかけてくれた。彼が転職した後も、数年に一度くらいのペースながら、一緒にご飯を食べる機会をもっていた。

会うといつも、わんころのように人懐こい顔をして、しっぽを振るように手を振って、「まりりーん」と近づいてくるのだった。私のことを「まりりーん」と呼ぶのは彼くらいのもので、私は彼にとってどういうキャラ設定だったんだ?と今さらながら思うけれども、私はその呼びかけにいつも快く応じて、会えばとにかくてんこ盛りのおしゃべりをしてくれる彼の話に耳を傾けた。

数年に一度の"直近"は、つい数ヶ月前のことだ。ちょうど彼が勤める会社から仕事の相談をもらって鎌倉まで行くことになったので、事前に連絡を入れたら、都合がつくので、その打ち合わせの後に一緒にランチをしようと誘ってくれたのだ。

それで昨年末、暮れも押し詰まる12月26日に、鎌倉で一緒にランチをした。今からちょうど4ヶ月前になる。

何を食べたいか訊かれて、たぶん私がお蕎麦とか?と応えたんだろう、彼が少し駅からは離れるけど、いいお店があるというので、観光客の喧騒から遠ざかるようにしばらく歩いたところにある蕎麦屋に連れて行ってくれた。

それは自然と鎌倉散歩になった。天気が良くて、ちょっとした移動なのに、その光景がキラキラした印象として今、思い出される。

彼は向かう道中も、お蕎麦屋さんに着いてからも、やっぱりたくさんたくさん話した。今やっている仕事のこと、鎌倉暮らしの魅力など、あれこれあれこれ、終始はずんだ声で話を聞かせてくれた。

帰り道、私が駅に向かい、彼が会社に向かう分かれ道で、じゃあここで、と私たちは手を振って別れた。まさか、それが最期になるなんて、思いもよらなかった。

「まりりーん」と、また人懐こい顔をして手を振って近づいてきて、たくさんたくさん話を聞かせてくれる日が来ると思っていた。無意識にそう思っていたから、意識的に「思っていた」とは言えないくらい、そう信じていた。

この世界にもういないなんて、二度と会えないなんて、なかなか信じられるものじゃない。3日ほど自問を続けるも、今も了解できていない。

それをきちんと受け止めるために、残された者は儀式を行うのか。お通夜に行くことで、私はいくらかでも、彼の死を受け止めることに近づけるのではないかと思うのだけど、こんなときにかぎって腰痛がかなりひどい。遠出できるかは直前の判断になりそうだ。

儀式を目の当たりにしないと、私は彼の死を曖昧なものにしてしまうのではないか。信じたくないもの、信じられないものを曖昧な記憶にして、受け止めたような受け止めていないような状態で時間を送ってやり過ごしてしまうのではないかと、それを恐れている。それをするのは違う気がすると、働きかける自分がいる。

あなたが確かに生きたこと、私の人生にも登場してくれて、そう長い時間ではなかったにせよ一緒に過ごす尊い時間をもてたことを曖昧にしないために、私はあなたの死を今きちんと受け止めるよう促されている。あなたが確かに生きたから、私は今あなたの死を悲しんでいる。その悲しみを遠のけたら、あなたが生きたことに対する感謝や、出会えた喜びも一緒に遠のけてしまう気がして、それは違うよなって気がしている。それなら感謝と喜びと一緒に、この悲しい気持ちもまるっと全部ひきうけて、この先もずっと大切に私の中に抱えていくほうが、自分の答えだというふうに感じる。だから、ここに書いている。やっぱりまだ全然信じていない気持ちのまま。

当たり前が、どんどん当たり前じゃなくなっていく。当たり前が、どんどん尊くなっていくなぁ。

2019-04-16

「Web系キャリア探訪」第10回、キャリアの棚卸し考

インタビュアを担当しているWeb担当者Forumの連載「Web系キャリア探訪」第10回が公開されました。今回は、P&G、Adobeなど外資系企業を渡り歩いた後、一転?日本の伝統的な大企業に転職、現在KDDIでデジタルマーケティング部長を務める井上慎也さんのキャリア話を伺いました。

40代で外資系から日本企業に転職。数年おきにキャリアの棚卸、自らの価値は「経験値の掛け算」で考える

なかなか真似できない「輝かしいキャリア」というふうに特徴づけるのは簡単なんですが、井上さんのキャリアの最たる魅力はむしろ、誰でも真似しうる「創造的で堅実なキャリアの積み方」にあるのかも、とも思います。

「外資系企業か日本企業か」「プレイヤーから管理職への転向」など、わりといろんな人が直面する課題にすごく丁寧に向き合ってこられて、その時々で自分のことやその状況下をどういうフレームで分析して、どう結論して、どう次を方向づけて行動してきたか、すごく「わかる」ようにお話しくださるんですよね。

2~3年ごとにキャリアの棚卸しをして舵取りしてきたという井上さん。「キャリアの棚卸し」ってよくいうけれど、自分のキャリア遍歴を“多面的に”解釈し直してみる、そこに今までみてきたものと違う自分の価値を読み取っていく機会づくりみたいなものかなぁと思いました。ご興味ありましたら、ぜひお目通しくださいませ。

2019-04-15

研修運営に明け暮れた跡

先週1週間は、クライアント先に通いづめだった。月曜から金曜まで5日間の新卒社員研修を提供していたのだ。朝8時半に先方オフィスに入って、17時過ぎに片づけて表に出てくると、もう日暮れどき。

最終日の金曜は午前中で研修を終えたものの、自分の勤め先が毎期初に行なっている半日の全社員イベントにそのまま向かって合流し、あわただしい1週間が終わった。

移動距離はさほどでもないのだけど、研修に使うあれこれを詰め込んだキャスター付きバッグを引きずって都心を西へ東へ移動し、地下鉄やらJRやら乗り継いで駅を上り下り、立ち仕事が多かったこともあってか、週末になって腰にきた。ご老体である。

が、快い疲労と元気をもらった。もっとあの準備を念入りにやっておけばとか、この辺のすりあわせを講師ともっと詰められていればとか反省もあるのだけど、そういう考えに及ぶのも、みんなによりよい学習機会を提供したいという欲がわいてこそ。

本番1週間を終えた週末に心にぽかんと浮かんだのは、「あぁ、これが私の仕事の原点だよな」という感慨だった。

私の仕事は、研修の相談をクライアントからもらって、調査分析→企画提案→設計して教材開発→研修運営→レビューと全工程にわたる。講師に委託する以外の仕事領域は自分(とクライアント側)でまかなう小規模なプロジェクト、あるいは自分ひとりで風呂敷をたためる提案しか書いていないとも言えるが…。

そのため時期によって、案件によって、自分がやる仕事領域は変わっていく。それでいうと先週はほぼほぼ「現場の研修運営」という1週間だった。当日にクライアント先に行って、受講者に相対して研修を提供する。

その研修では、これからディレクターやデザイナー、コーダーとして働く人たちのWeb制作技能を基礎固めする研修プログラムを提供したのだけど、「作る仕事」をする人の学習・キャリアを支援する仕事の、まさに今・現場に自分が立っていることに強い引力を感じた。20代の頃からずっと、これが自分の仕事の幹にあることを全身で確認する1週間だった。

後ろからみんなのPC画面をみていると、講師がみんなに同じ働きかけをしても、一人ひとりいろんな画面になって、いろんなものを作って、スピードもさまざまで、どこにこだわるかも様々。どんどん先に進んで、あれこれ応用して好きなものを描き出す人もいれば、テキストをみながら先に駒を進める人もいる。いずれにせよ、みんな作っている。

長方形一つ描くのでも、それをどこに、どんな大きさで、どんな縦横比で配置するかはみんな違う。ど真ん中に置く人もいれば、端っこに置く人もいて、でっかいのもあれば、ちっちゃいのもある。塗りの色も、線の色も太さもバラバラだし、中に書くテキストもそれぞれだし、文字の性格の与え方もみんな違う。

同じようなスーツ姿をしていても、個々のディスプレイには、秘めた個性が浮かび上がってくる。私はこうした光景を後ろから眺めるのが昔から好きだった。

一人ひとりの画面からは、どこで理解がつまずいて困っているかも、わりと窺い知れる。そういう情報を汲み取っては、今サポートに動くべきか、しばらく様子をみるべきかと逡巡する。

少しおいておくと、自分で乗り越えていくこともある。いちいち外野からサポートを入れられてもうざったいだろうし、自分で乗り越えて「なるほど!」と突破する体験を奪いたくもない。私が個別に声をかけることは、遅れをとっていることを周囲に知られる副作用ももつので、安易に自己満足的サポートに手を出すことも避けたい。

講師もちょいちょい進行を止められてはやりづらい。あくまで「受講者の学び」と「講師の教え・関わり」を、より能率化するために黒子として自分が何をすると有効で、何をするとマイナスに作用するかを、複雑な変数をあれこれ考慮しながら、素早く一手に決めて、さりげなくサポートを施す必要がある。割って入って悪目立ちするのは最悪だ。

そんなポリシーをもちつつ、受講者の背後に立っていると、PC実習なんかは1日の間に分岐点が何十回も訪れる。ささっとそばにいって個別に声をかけることもあれば、講師に声をかけて全体進行に手を入れるケースもある。一方、黙って見守ることも多い。

最適解を答え合わせできるものは何もなく、運営者の立ち回りはいつだってすごく難しい。頭と心をフル稼働させて、洞察し、推論を立て、判断し、行動したり、踏みとどまったりを繰り返す。1日の終わりには、地味に一人で勝手に疲労している。

研修に参加すると、現場に立ち会う運営者がいるのを見たことがある人は多いと思うけれど、だいたい、そこにさほどの価値は見出していないのが一般的だと思う。始めと終わりにちょっと話をして、あとは後方で何かあったら声をかけてという感じで着席している、あの人である。管理者なり雑務担当として現場に居合わせている「事務局の人」的な感じ。

研修を運営する当事者の中にも、そういうスタンスでとりあえずその場にいる人を見たことは何度となくある。自分が参加者として受講した講座で、運営者が会場後方でノートパソコンを開き、明らかに他の仕事をやっているのを見たことがあるし、ひどいケースだとそのキーボードの打つ音がうるさくて受講者の集中を欠いていることに気づいていない運営者にも遭遇したことがある。

仕事としての市場性もさしてなく、「私が研修当日に張り付かなければ、いくらかお安くなります」と言ったら、多くのクライアントは「じゃあ林さんは当日いらっしゃらなくて結構です」と言うのではないか。「林さんは研修当日、終日いらっしゃるんですか」とクライアントや講師に聞かれたこともある。「大変ですね」という気遣いで訊いてくれているのだけど、なぜ訊くかといえば、私が、あるいは運営者が当日そこにいる意味を特に見出していないからである。

私も言葉を尽くして、自分がそこでどういう働きをしたいと思っているか、あるいは私の出来不出来を別としても、現場に立ち会う運営者がどういう働きをするのかを説明することはしてこなかった。

なんでだろうと改めて考えてみると、「その仕事に価値がある」ことと、「その仕事にお金を支払うだけの市場価値や、時間を割くだけの意義が認められる」ことは別だと割り切っているから、という気がした。

そういうことって、いくらでもある。あらゆる仕事の価値が、きちんと話せばあらゆる人に理解されるとは、とうてい思えない。人の価値観、物さしなんていろいろだし、説いても説いても伝わらないことってある。話せば伝わることや人もあるだろうけれど、そこにはそれなりの労力や頭脳や説得材料や話力が求められる。

説明が長引いた上に失敗すると、聞き手は不毛に時間を奪われて、はた迷惑に感じるだろうし、白けていくばかり。話し手は話し手で心を消耗する。なにも生産的でない。

となると自分の中で、運営者の立ち回りが学習効果に影響を及ぼすことがわかっていて、それに向けて自分がどうよりよい創意工夫をするかに焦点をあてて頑張れれば御の字。自分が立ち会うことはオプションではなく前提事項として提案すれば、来ないでくださいとは言われないのだし、行ったら行ったで自分なりにいろいろできることはある。

これは、逃げだろうか。もっと、運営という仕事が何を果たすか訴えて、その価値を見積もりに含めるべきなのか。べき論でいったら、まぁそうなんだろうけれど、いやぁ、なかなか、そこに気力がわいてこない…。そうやってさらに自分の腹のうちを探ってみるに…。

自分がタンカを切って価値を説けるほど運営者の働きをできていないのが真因だろうと我が身を振り返る。あれを言えばよかった、あの準備をしておけばよかった、あそこですぐ判断して動くべきだった、あの動きはいらなかったのではないか。そんな反省がごろごろ出てくる。やっぱり自分がまだ運営の仕事を、自分が評価できるレベルでできていないのが一番の課題だな。なんだかいろいろ考えさせられて、春先に姿勢を正してもらえた感じがする。今年度も気持ち新たに頑張ろう。腰痛いけど。

2019-04-12

Youtube番組「とうふメンタルラボ」を始める

あれよあれよと、なんとなく話の成り行きで、Youtube番組を始めることになった。とうふメンタルラボという番組。

「なった」と言っても、撮影や編集は首謀者たる若き女子たちにお任せ状態だし、メンバーがみんな主体的に企画だてて才能を発揮していくので、私は端っこで、どういう番組にしようかとか、どんな話題を話そうかとか、そういう下打ち合わせにアイディアを出したり、相槌をうったり、みんなの話を踏まえてざっくりした番組の構成・時間割を書いてみたり、収録当日にテーブルや椅子を動かして会場づくりしたり、いきおい本番であれこれしゃべってしまったり、合いの手を入れたり…。だいぶ散漫でテキトーな働きの寄せ集めで、なんとなく居る…という感じなのだけど。

それで申し訳なさが募るかというと、そうでもなく、居心地の悪さを覚えるかというと、そういうのもない。しばらく様子をうかがってみるに、闊達な彼女らにとって、私のそんなありようは特段気に障らないらしく、むしろ「私あれやりたい」「私これやるね」というのを、どうぞどうぞ!と快く受け入れる私のような者もいたほうがバランスがいいのではないかとすら都合よく考えてしまう…、それくらいみんな快活に動くのだ。

私がボーッとしている間に、ことは順調に進んでいく。私は「そこにいると、ちょうどいい人」くらいのあんばいで役目を果たしていったら十分じゃないか!みたいなスタンスに早くも落ち着いている。

そんなわけで、ちょいちょい合いの手を入れながら、みんなのエネルギーに触れ、それぞれの個性を味わっている。これを作っている女子たちは私のちょうどひと回り年下。このメンバーたちの「作りたい」「表現したい」というプリミティブな気持ちと、それを形にしていくエネルギーに触れている時間は、私に新鮮で心地よい体験をもたらすのだった。

しかしまぁ、収録中はみんなの話が面白いので、それでいいのだけど、後に編集された映像を見せてもらったり、公開して人様に見られる状態に身をおくのは、なんともそわそわして落ち着かない。自分じゃ冷静な評価のしようもなく、ただただ腰がひける。自分たちで内輪で話していると面白いことも、喫茶店でよそから聞こえてくるとちょっと白けちゃうって、あるあるじゃないですか…(誰ともなく)。

心臓に悪いので、頃合いをみて私は裏方にまわって構成作家のような役目に集中できたらと企んでいるのだけど、最初から「私できません!」という齢でもなし、出端を折るようなこともしたくない、何事も経験だろうとも思う…というわけで、一通りやってみようとひとまず出演している次第。話し下手でしどろもどろな私のトーク部分はだいぶあれですが、しばしご容赦を。

いずれは、私がこよなく愛するAMラジオ番組のトークバラエティで、わしゃわしゃとパーソナリティのそばで笑い声を立てる構成作家のような役回りに転じて番組づくりに参加したいかなぁ(心臓にも良さそうである)。私はラジオをPodcastでよく聴くので、映像ではなく声だけのPodcast番組もいいなぁと思っているのだけど(心臓にも良さそうである)。

でも今回のメンバー的には映像づくりを本当に楽しんでいて、その笑顔がまぶしいので、この番組は映像のほうがいいのだろうなぁと思ったりしている。そうするとやっぱり、狙いどころは裏方の構成作家もどきか。

それにしても、まさか自分がYoutubeの番組に出るような事態が訪れようとはまったく想定外で、人の出会いとは面白いものだなと思う。他者との出会いやふれ合いによってこそ、自分というのは変わっていったり、新しくなっていったりするものだなと。

zoomでのオンラインミーティングも初めて体験させてもらったし、slackでのやりとりも彼女らの提案で初体験。新しいほうへ、面白いほうへ、私を導いてくれる。そういえばメッセンジャーでのやりとりで「了解」を「りょ」と略す軽快な若者コトバを目にしたのも今回初。本当だったんだ!と。

やはり春というのはいろんな人にとって節目の季節で、周囲をみまわしても、いろんな人がいろんな節目を迎えているんだなと、特に今年は思うところがあった。我が身を振り返ると、わかりやすい変化がない状態をわりと長く続けている気がするんだけど、ここひと月ほどは、わりといろいろな人と会ったりおしゃべりする機会に恵まれて、すこし凝り固まっていたものが融け出している感じもする。変化を感じられるのは、健やかなことですな。

あと、行き当たりばったり感はあるけど、自分の選ぶ活動ってやっぱり「作り手を支援したい」という自分の軸となるものにはなっていて、そういうところに自分の人生の時間を使っているのを事後的に認識して、なるほどなぁと思ったりするのだった。老子の「無為自然」である。

さて、そんなわけでYoutube番組「とうふメンタルラボ」の第1回「とうふメンタルラボとは?はじめての企画会議」 。こちらに公開されました。たぶん週1ペースくらいで更新されていくかなと。

おしゃべりをエンターテインメントにするっていうのは、やっぱりプロの技。CGMとしてコンシューマーの作るコンテンツの意味性は、もう少しいろんな種類の価値を寄せ集めて成り立っていくものかもしれないと思っている。続けていく中で見えてくる、そういう意味を一つひとつ丁寧に感じとりながら、関わり方も柔軟にやっていけたらいいかなぁと思っております。お時間に余裕あるとき、一息いれたいときなどに、よろしければ…、お手柔らかにみてやってください。

関連して、こちらは首謀者るみちゃんの紹介記事。タイトルは強烈だけど、彼女がこれまでを振り返って今語る言葉には、心救われるような読み応えがあります。
父の自殺。母との関係。生きている気がしなくなった17歳【竹内瑠美さん】┃Reme(リミー)

« 2019年3月 | トップページ | 2019年5月 »