« 「すごくできる人」の講義を聴くだけでは、なぜ「できる人」になれないのか考 | トップページ | ワークショップ冒頭に参加者が全員に自己紹介することの考察 »

2019-02-19

歩くペースで本を読む

私は本を読むのが、めっぽう遅い。ただ、本を読んでいる時間は好きだ。なので読書には、そこそこ時間を割いている(読書時間のわりに、あきれるほど読んでいる本の数が少ないということになる)。

本を読んでいるとき独特の、あの感じは、どう表現したらいいのだろう。というのは、ときどき考えることだ。ちなみに、ここで「本」とは、紙に印刷された書籍をざっくりイメージしている。

デジタルメディアに取って代わられたり、映像や音声メディアに全面的に移行したら困ることって何なんだろうか。逆に言えば、本というメディアのどんな特性が引き継がれるなら、従来の「本」という媒体が、デジタルメディアや映像・音声メディアに形を変えても、さしたる損失はないのだろうか。

それが最近、「こういうことかもなぁ」と合点がいくような一節に出会った。なんとなく気分転換に買ってみた苅谷剛彦さんの「知的複眼思考法 誰でも持っている創造力のスイッチ」*の中にあった。

本を通じて得られるものは、知識、情報、教養、楽しみ、興奮、感動など、いろいろあるけれど、そういうものはどれも本でなくとも得られると前置きをした上で、

それでも本でなければ得られないものは何か。それは、知識の獲得の過程を通じて、じっくり考える機会を得ることにある─つまり、考える力を養うための情報や知識との格闘の時間を与えてくれるということだと私は思います。

本を読むのが遅い私には、とりわけ、この「じっくり考える機会を得ることにある」という本の特性の表しようが、染み入るように本質的に感じられた。心にやさしく響いた。

苅谷さんは「受け手のペースに合わせて、メッセージを追っていくことができ」る、とも書いている。文章を行ったり来たりできるし、斜め読みもできる、一足飛びに別の章を開くこともできるし、途中で放り出すこともできると。

確かに、自分が意識を閉ざした瞬間に、ぱっと本から自分の脳内への情報の流れが止まる。これは、どんどんお話が進んでいく映像や音声メディアにはないことだなと思う。自分と本の関係って、自分主導&手動でいかようにも、かなり感覚的に瞬時に操作できる感じがある。

私の大好きなラジオも、映像メディアに比べると、こうした自在性が高いメディアだと思うのだけど、「意識を他へ向けたかったら、スパッと遮断できる」切り離し自在性の高さがラジオだとしたら、本というのは、「本の中身に意識を向けたまま、それについて深堀りしたり、少し離れた所からみてみたり、別の角度からみてみたり」そのテーマであれこれじっくり考えられる自在性が高いように感じられる。

活字メディアの場合、読み手が自分のペースで、文章を行ったり来たりしながら、「行間を読んだり」「論の進め方をたどったり」することができるのです。いい換えれば、他のメディアに比べて、時間のかけかたが自由であるということです。

立ち止まってじっくり考えることもできるし、もっともらしいせりふを十分吟味しないまま納得してしまわずに疑ってかかることもできるし、これまで読んできたところを読み返して、この著者がこれから何をいおうとしているのか予想を立てることもできる、そうした余裕がある、と説く。

これは電車や車、自転車などの乗り物を使わず、自分の足で歩いているときの自在感に近しい。立ち止まりたければ、すぐ立ち止まれる。目に止まった何かに近寄りたければ、すぐ体をそれに近寄せられる。

歩くペースで本を読む。道草しながら、ゆっくり読む。それでいいじゃないか、それしかできないし、そういうふうに読んでいこうと、まぁもうずいぶん前から開き直ってはいたのだけど、これを読んで救われたような、許されたような気持ちになった。

…のと、映像や音声メディアと活字メディアでは、やはりそれぞれに独自の魅力があるから共存していったほうがいいよなと思う一方、紙メディアかデジタルメディアかということでいうと、デジタルに移行しようと、ここで挙げた性質は確保できるかなと思った。

慣れの問題はあるけれど、じっくり考える機会を得ること、時間のかけかたの自由を確保することは、デジタルメディアでもできるかなと。あとは、読むデジタルデバイス&メディアに「文章を行ったり来たりできる」「一足飛びに別の章を開くこともできる」あたりの自由が紙レベルで利くといいのだけど。

*苅谷剛彦「知的複眼思考法 誰でも持っている創造力のスイッチ」(講談社)

« 「すごくできる人」の講義を聴くだけでは、なぜ「できる人」になれないのか考 | トップページ | ワークショップ冒頭に参加者が全員に自己紹介することの考察 »

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 歩くペースで本を読む:

« 「すごくできる人」の講義を聴くだけでは、なぜ「できる人」になれないのか考 | トップページ | ワークショップ冒頭に参加者が全員に自己紹介することの考察 »