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2019-02-12

「すごくできる人」の講義を聴くだけでは、なぜ「できる人」になれないのか考

別にどこかで講演したとか取材を受けたとかじゃ全然ないのですが、

「すごくできる人」の講義を聴くだけでは、なぜ「できる人」になれないのか

という問いに対して、自分なりの回答をテキストに起こしながら整理してみようと思い、あれやこれや考えていたら、上のリンク先のような1ページができました。

話の流れとしては、「すごくできる人」の講義を聴くのはムダなのかっていうと、そんなことは全くなくて、これこれこういう価値があるんだけど、学習活動において「講義」って決して万能じゃないから、講義の生み出せる効果と限界を知って、「できる」ようになるまでを射程に入れて、講義を足場に、その先の学習活動をマネジメントしていく必要がある。そのステップとしては、学ぶ側にとっても、育てる側にとっても、こういうコンセプトでいくといいんじゃないか、というような話を展開しています。

読者想定としては、こういう方に何か参考にしてもらえるところがあればと。
●セミナーや勉強会、研修で「すごくできる人」の講義をよく聴いている方
●周囲から「すごくできる人」と思われていて、講義をよく引き受けている方
●「すごくできる人」を講師に招き、セミナーや勉強会、研修を企画している方

なのですが、これがどうにも、ひとりで脳内ぐるぐるした結果の産物なので、人にシェアして意味がある話になっているのか判別つかず。

ただ最近、日経クロストレンドのFacebook投稿で、レイ・イナモト氏が黒いTシャツ姿で「不完全でも世に出すスピードこそものを言う」と頻繁に語りかけてくるので(かって解釈…)、とりあえずネットの片隅に置いてみました。

素朴なテキストがメインですが、何かしら読んでくださった方の学習活動なり育成活動の一歩を進めるお役に立てば幸いです。

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