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2019-02-22

ワークショップ冒頭に参加者が全員に自己紹介することの考察

「私はワークショップの序盤に参加者全員に自己紹介をしてもらっています」から始まる長谷川恭久さんのブログを興味深く読んだ。こうした時間を冒頭に設けることの意義について、ここに挙げられているポイントはいずれも、私も深く賛同するところ。興味のある方はリンク先の「ワークショップをするときに自己紹介の時間を多く費やす理由」でご一読いただくとして、下に書き連ねるのは、これを読んだ後に自分があれこれ考えたことのメモ。

私も参加者が10名程度までであれば、必要に応じて参加者に自己紹介してもらう時間を入れたりする(私の場合は裏方が専門なので、講師は別にいて、こういうワークショップの構造を設計するという立ち回りが多いけれど)。けれど、「30人前後参加するイベント」でも全員の自己紹介タイムを組み込むというのは、なかなかやらない選択だ。

全体で何時間使えるうちの「20分以上とる」かによってもインパクトが全く変わってくるので、午前に始まって夕方までやるような終日イベントであればありかなとも思うし、参加者同士が初対面のイベントであれば、ネットワーキングの価値も高いとみればありよなぁという気もする。

長谷川さんが今回言及しているのは、このような参加者初対面イベントであることが窺える。一方で私の場合、一社向けの研修を提供する立場でワークショップの構造を組むことが多い。

そうすると、参加者同士はよく知る仲であって、自己紹介タイムを設けるとなると「講師が受講者を把握するためのもの」という意味づけが強まる。それだったら事前にヒアリングして受講者分析しておいて、講師にもあらかじめ整理して共有しておくのが裏方たる私の仕事だろうよという考えになる。受講者も本編に時間を割いてほしいと考える人が多くなるだろう。「講師ではなく参加者同士が、互いの自己紹介を必要としている状態か」というのは、一つのポイントになるだろうなと思った。

もちろん、参加者が互いに知っているつもりでも、実際はそれぞれの仕事について理解が浅いこともあるので、社員研修といえど自己紹介タイムをもつことが有意義なケースもあると思う、その辺は目的次第だし、伝え方次第だ。

長谷川さんの場合、表方も裏方もなく、ご自身で全部をやるのが常という違いもあるだろうし、本人から直接に話してもらうことで得られる情報は、間に人が入ってまとめたものとは違う情報の鮮度や濃度をもっているから、それも優先順位をみての時間配分ということになってくるだろう。

いろんな職場から希望者が集まったイベントということになると、参加者のアイスブレイク的にも、全体で「互いの文脈を共有する」という観点でも、全員に向けて自己紹介しあうことの有用性は高そうだ。また、イベントの当日までに、あらかじめ参加者の情報を詳細には得難いという事情もある。

私が手がけている社員研修案件だと、その組織の職種の定義や、現場の役割分担の実際、それぞれが担う職務や責任範囲、具体的な成果物あたりは、事前に現場マネージャーにヒアリングしておいて、講師にも共有しておくのが常。

その上で当日の冒頭でアイスブレイクを設けるなら、自己紹介のもう一歩先にフォーカスして、今回の研修で学習するテーマに関連するところで自分がどういうことをしているかとか、それにあたっての悩みや気になっていることをざっくばらんに話してもらうとか、そういう展開になる。

そして、その他諸々の優先順位を考慮して研修全体で使える時間を配分すると、参加者30人規模の場合は大方、アイスブレイク部分は数グループに分かれて少人数で話してもらうアプローチをとるだろうと思う。

最近読んだ本(*1)で、グループに小分けして自己紹介するということでは着地点が一緒ながら、その理由において別の視点が提示されているものがあった。ここでは「グループ内など少人数での自己紹介」を推奨し、「全員の前で1人ずつの自己紹介」をNG例として挙げていて、その理由にちょっとはっとさせられた。

全員の前で1人ずつ自己紹介を行うのは、とても緊張感の高いアクティビティです。過度なストレスや緊張状態を和らげるには逆効果と言えるでしょう。また、参加者は自分の話すことを考えるため、ほかの人の自己紹介を聞く余裕がなく、結果として自己紹介を行っても情報共有という観点からは効果が薄くなります。

この部分って、講師をよくする方や、私のように裏方でも前説なりなんだりで、人前に立つこと自体はけっこうやっている人にとって死角になりがちで、経験を積むほど考慮しづらくなる観点かもなぁと思ったのだ。

私の場合、人前で話す能力は決して高いわけではなく、本当にただ人前で話す機会がそこそこあるというだけだけど、いかにうまく伝えられるかという点では相変わらず緊張するものの、人前で話すこと自体に緊張を覚えることはあまりなくなった(相手にもよるが…)。

でも小学生の頃なんかは、数十人の同級生がいる教室の中で発言するだけでも過度な緊張をよくしたもの。顔が赤くなって、手に汗をかいて、そういえば「赤面症」という言葉を、小さい頃はよく使っていたよなって懐かしく思い出した。

つまり、これは慣れの問題ってことで、人前で話す機会が少ない仕事や生活スタイルの人にとっては年齢問わず、人前で話すということに、けっこうな抵抗感を覚える人があるかもしれない。過度なストレスがかかり、緊張状態に陥るということもあるかもしれないという点は、だから全員向けの自己紹介を止めるかどうかを別にして目配せしておきたいところ。

この観点でいうと、社員研修のほうが、そこそこ知り合っている間柄ということでは緊張もほどほどで済むかもしれない。参加者同士が初対面のイベントのほうが緊張を強いられるかも。あるいは強制参加の研修より、自分でエントリーしたイベント参加者のほうが、その場で発言することに前向きな傾向って見方もあるかもなぁ。

また過度な緊張はなかったとしても、何を話そうか…と考えをめぐらせているうちに順番がまわってきて、順番が遅い人なんかは、他の人の自己紹介をほとんど聴けずじまいということもありそうではある。

では、そんな緊張は与えてはならぬものかというと、それも決して答えは一つじゃない。学習活動と緊張度の度合いを示した「ヤーキーズ・ドッドソンの法則」(*2)を振り返ってみる。

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図のとおり、横軸に覚醒レベル(緊張度)、縦軸にパフォーマンスレベルをとっていて、難しい課題にあたるには、「緊張度が低くてもダメだが、高すぎてもダメ。ほどよい緊張感が最大のパフォーマンスを発揮できるのであって、過度な緊張感を与えては逆効果になる」という話だ。

ただ、単純な課題であれば話は別。緊張感が増しても、パフォーマンスは下がらない。取り組む課題が簡単な場合は、多少ぎくしゃくしても何とかなるものだし、むしろ緊張感が足りずに気が緩んでミスをしでかすほうにリスクがある。

さて、じゃあ「冒頭で自己紹介してもらう」課題は、単純なのか、難しいのか。過度な緊張となるのかどうなのか。これはもう相手次第だ。

大人の勉強会ということになると、多くの場合、そこはほどよい緊張感をもって乗り越えよう!というレベルの課題設定とは言えそう。そう無茶を言っているわけではない。でもまぁ、ケースバイケースだ。

つまるところ、やり方は固定ではない。これは何のためにやるのであって、その会終了時点のゴールはどこまでで、集まっている人たちはどういう人たちで、時間や空間などの実施条件を照らし合わせると何が一番いいかという視点をあわせもって、今回はこうしようという最適解を都度決める。

そのとき、いろんな人の緊張のもち方に意識を向けて考えたいし、そこにいる人たちにとって適切な難易度の課題設定を導きたいし、何が参加者にとってより有意義で、能率的で、のめりこめるかというのを軸に据えて、丁寧に構造づくりしていけるように目を肥やし、知識を活かしていかねばと考えたりした。

*1: 中村文子、ボブ・パイク「研修デザインハンドブック」(日本能率協会マネジメントセンター)
*2: Yerkes and Dodson 1908 [CC0]

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