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2019-02-05

ウイルス性胃腸炎から、初インフルエンザ検査

土曜の晩に就寝してしばらくすると、急な吐き気に襲われた。「え、まさかノロとか…?いや、インフルエンザということも?」と思いつつ、とりあえず体の言うとおりにして。

しばらくして横になって熱を測ってみると、37度台。私はふだん35度台なので、確かに「熱がある」状態。体調が悪くなる急激さからいって、こりゃウイルス性っぽいなぁと素人診断しつつ、厚着して首にタオルを巻き、ひたすら寝ることにする。熱が出たら、とりあえず水飲んで汗かいて寝るのだ。

しかし、日曜の朝を迎えて熱を測ってみると、38度に上がっている。今日は寝通すと腹を決め、着替えて水飲んで床につくサイクルをまわして様子をみる。しかし寝ても覚めても日中はずっと38度台から落ちることなく、日が暮れていく。着替えもやっとこさ。

とりあえず月曜の仕事は無理だと判断し、陽の高いうちに外出予定の関係者にベッドからスマホで連絡&お詫びを入れる。

日曜の晩遅くになると、一日中汗かいた甲斐あって37度台まで熱が落ちた。のっそりのっそり近所のコンビニに買い物に出られるくらいまで回復。「雑炊とりんご」で、一日ぶりのゴハンをおいしくいただく。塩味と甘味が最高にしみる。

明けて月曜。会社にメールをいれて、最新の体調情報とともに休暇の連絡。インフルエンザかどうかを会社に報告しないといけないので、この日のどこかで近所のクリニックに行って検査を受けなければ…。

治りつつあるのに、インフルエンザの人とかいっぱいいるだろう場所に行って、痛いと聞くインフルエンザ検査を受けなきゃいけない辛みを抱えつつ、これは極力近場のクリニックが良かろうとネットで探す。ネットで調べられるのは便利だが、やはりくたびれる。

探し出すと、えーっと思うような口コミも書いてあって、そういうのを読むと、調べるのはくたびれはするものの口コミを読まずしてはなかなか病院も選べないなぁという心境になる。

ひとつ、親切そうで近所のクリニックを見つけ、よし、ここにしようと決め、支度をして家を出る。トコトコ歩いて、建物に到着してエレベーターを上がっていって、開いた途端の視界に広がるシャッターにたじろぐ。張り紙に「患者様へ 医師が亡くなりましたので、閉院致します」の文字。

とりあえず下の階に下りて、人気(ひとけ)のある明るい雰囲気のところで悩む。うーん、他行く?なら、どこ?このまま直接別のところに向かえたほうが話は早いけど、ぱっと適当なところも思いつかないしなぁ。とりあえずお腹すいたし、買い物して家に帰ってご飯でも食べながら、次のアテを考えようということに。

しかし、あれは、やっぱりないんじゃないか。エレベーター開いた瞬間、誰もが「ひぃー」となるだろうよ。薄暗い無音のエレベーターに一人で乗っていってだよ、具合も悪いんだよ、具合が悪いからクリニックに向かってるんだ、それが扉が開くと、シャッター閉まってて行き止まりで、そしてあの張り紙よ。病気の人間には堪えるだろう。

あれはもう、その階は降りられないようにエレベーター側でしておいて、各階のエレベーターホールのところに「◯階は閉院しております」と張り紙しておくほうがいいのではないだろうか、などと考えながら帰途につく。

評判の良さそうなクリニックも少し遠いところに見つけたが、とにかく今回は「近さ」が一番。出直しとあって、その思いもさらに強化されたので、当たり障りのない近くのクリニックに足を運ぶ。

ここの待ち時間が長かった。1時間弱だろうか、時計見ずにただじっと目を閉じていたが、どんどん具合が悪くなっていくほど長く待った。この後の薬屋さんでも同じくらい待った。やはり医療系サービスは待ち時間がしんどい。UXデザインといったら、私は何より医療系からぜひ攻めていただきたいと常々思っている。

クリニックの待合室では、待ちくたびれた男性が、パソコンのタッチパッドに手をおいたまま眠りに入ったらしい。ものすごい勢いで画面をスクロールし続けている。それにしても、待ち時間も長すぎるが、このページも長すぎてすごい。数分スクロールし続けても一向に最後に行き着く気配がない。これは何のページなんだ、こんなに右側の垂直スクロールバーが縮まったページ、初めて見たかもしれない。

ようやっと呼ばれて症状を説明し、「会社にインフルエンザかどうかを報告せねばならない」との事情を説明すると、診察の前に検査をしてくれることに。検査士の女性がやってきて、奥に通される。

受付の女性に、私が「痛いんですよね?」と質問し、「ちょっと痛いですね」とやりとりしていたのを聞いていた検査士の女性が、「検査、初めてですか?」と私に問う。「初めてです。どうやって検査するんですか?」とこわごわした顔で問うと、丁寧に説明してくれた。

私は普段の諸々手続きには静かに淡々と言われたとおり対応するほうだが、検査や治療の際にはキャラが変わる。先のとおり「私は痛いことがたいそう苦手な人間です」という理解を率先して先方に仰ぐのが癖になっている…。こういう状況下では、限られた短い時間の中で、可能なかぎり相手と、私のもつ恐怖感の共通認識化を図るのが肝要である。

インフルエンザの検査というのは、つまるところ、細長い綿棒を使って、鼻の奥の鼻水をぐるりんとぬぐり取って、それで検査をするものらしい。彼女は「綿棒のようなもの」と言っていたが、綿棒より先が鋭利である。針ほど尖ってはいないが、茹でる前のマロニーちゃんくらいの細さである。

私が痛がりだと察した検査士の女性は、丁寧に説明を加える。「鼻の奥って、水が入っても痛いですよね」と彼女。ああいう感じか、と、ちょっとイメージがつく。

続けて彼女、「ちょっと、これまでにない、初めての方には想像しがたい痛みだと思うんですけど、私も初めてやったときには、えっ?ていう…」という、なんとも飲み込みようのない説明を加えてくれた。

「わかりました、頑張ります」としか言いようはなかったけれども、とにかくこちらに気持ちを寄せてくださっていることが伝わってきて感謝した。それも一つの救いになるのだ。

最後に私から「1秒以内ですかね」と、痛みの時間数を確認。気持ちの歩み寄りも大事だが、一方でこういう情報も、また大事なんである。よく「一瞬」というけれど、人のいう「一瞬」というのは、まったくあてにならない。なかには「一瞬いいですか」と言って、15秒とか1分とか5分とか使う人もいるから、ここはしっかり踏み込んでおきたい。

「えぇ、ただ右と左とありますけど」と彼女。「わかりました、頑張ります」と臨む決意を固める私。こんなに説明に時間をかける患者も少なかろうと思うけれども、すみませんが、それもこみこみで医療サービスということにしてください。

検査はやっぱり痛かった。が、本当に左右を各1秒以内でぐるりんとやって終わった。何が起こるかという情報を知っておくことは、やはり大事だ。小さい子どもに対しても、そうだ。友人が自分の子を医者に連れて行くときは、「これからこうこうこういうことをする」とか「ちょっと痛いけど」とか、うやむやにせず事前に説明するようにしているという話を聞いたときは、本当に素晴らしいと思った。「いやぁ、ほんと、そうしていただけると助かります」と、完全に「痛がりの子ども」目線で友人を称えた(注:望ましい情報の量と質には個人差あり、無駄に多くても困る…)。

インフルエンザの結果は、5分待つと結果が出る。それがお医者さんのほうにまわって、しばらくすると診察に呼ばれる。

結果、インフルエンザではなかった。A型にもB型にも該当せず、ウイルス性胃腸炎でしょうという診断に。5日間の薬を処方され、近所の薬屋さんで再び待ちくたびれてぐったりして帰宅。

火曜はしばらくの36度台を経て、35度台後半まで熱が下がった。あとは無理せず快復を待つのみ。やれやれ。体力を回復しないといけないのと、人にうつりやすいので、そこはしばらく気をつけないといけないが、体調的には日曜が山場、月曜で快方に向かい、火曜いっぱいでもとに戻りそう。3日間の急な旅が終わりつつある。

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