母の命日、あれから8年
昨日は母の命日だった。あの日から、まる8年経った。もう8年も会っていない。声も、聴いていない。久しぶりに、亡くなるひと月ほど前に撮った写真を見てみたが、歳とっていないんだな。あのときのまま、きれいで、やさしい顔をしていた。
今年はなんでだか、命日の数週間前から何度か、母が私の夢に登場した。私はあまり夢をみる(憶えている)ほうではないけれど、このところはちょこちょこ夢をみた。ウイルス性胃腸炎にかかって、そのうち数日はよく寝ていたこともあるだろうけれど…。
胃腸炎にかかる前、だから2週間ほど前にみた夢は、今でも描かれていた風景を思い出せるし、思い出す。私がみる夢にしては、ずいぶんと彩り豊かで、その着色はディズニー映画のようだった。「ファインディング・ニモ」が住んでいそうな青々とした海が、えんえんと遠くまで広がっていて、きらきらしていた。
私はどこかの島にいたのか、陸のほうから海に視線を向けていると、海の際からオットセイのような生き物が数頭、顔を出して、こちらに視線を向けてきた。大きいのと、子どものと、家族らしき何頭かがみんなこっちを向いて、雰囲気でいうと笑顔だった。
海面から急に顔を出したので、私は「おっ」と思って、そちらに目を向け顔を合わせた。彼らの背景に目をやると、40〜50メートルくらい先の海底まで、ぜんぶが透き通って見えた。一面ブルーの世界で、とにかく美しく、開放的なところだった。
そこから、ぽんと話はとんで、いや、とんでいないかもしれないが、絵が変わった。私は自分の家族と一緒にいた。さっきまでの絵をディズニー映画の人が担当していたとしたら、雰囲気が変わって今度は「ドラえもん」の人が担当しているような絵とアニメーションになった。
まさに「ドラえもん」に出てきそうなミニ潜水艦のような乗り物に、ぽんと飛び乗ると、一気にみんなの体が小さくそれに収まって、その乗り物は宙に飛び上がったかと思うと、きれいな水面に勢いよく飛び込んでいく。昔、家族旅行でボートに乗って川下りしたときの風景を思い出した。
というところで夢は終わった。人が読んでも、え、だから?という話だが、その風景と、色合い、ものの動きのコミカルさのようなものが頭に残っている。頭にあるうちに、とりあえずスケッチしておく。
あれは、久しぶりの家族旅行の夢ということだったのかしら。私たちが子どもの頃は、盆暮れ正月、少し長い休みがあると、たいてい旅行に出かけた。宿の手配、車の運転、旅の計画、なんでも母がやっていた。おんぶにだっこだったな。
うちは父も母も、「子どもの人生は、子どもの人生」と、親と子の人生を同一視せずに別人格として扱うのを当然としている感じで育ててもらった。でも、そんなこと一度も、「そう考えて育てています」なんて教育方針を語られたこともないから、大人になるまで、その貴重さやありがたさに気づかなかった。
大人になって、友人や知人から親とのあれこれに苦労した話を聴いたり、ニュースで取り上げられる親子間の問題にふれると、決してそれが当たり前ではないことがわかってきた。
うちは、私の人生について、こうしなさいとか、こうしてほしいとか言ってくることがなかったように思うし、無言のうちに「自分の人生でできなかったことをもって、親が自分にのしかかってくる」ようなことが何もなかった。
親がどれだけ意識的に、どれだけ半ば無意識にそうしていたのかはわからない。いずれにしても、自分の親の「育て方ポリシー」のようなものが私の中に意識化される機会が最近は多くあり、そのたびに、ははぁと頭を垂れるのだった。
この三連休は土曜と月曜に雪が降ったが、中日の日曜だけは晴れて、私は父と兄と一緒に、母のお墓参りにでかけた。今回は、チューリップの花束を贈った。稲の緑がきいている。
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