記憶を脳内にしまうか脳外にしまうか
「何が書いてあったか」は忘れちゃったんだけど、「どこに書いてあったか」は覚えているってことが、ままある。ヤフー知恵袋に書いてあった、ウィキペディアで読んだというように、どこのWebサイトに書いてあったかは覚えているんだけど、調べていた情報の肝心なところは記憶にとどめていない、そういうこと。
ベッツィ・スパロウらの研究によると、Google検索した情報は、「調べたかった情報そのもの」より、「インターネット上のどこに情報があったか」のほうが記憶に残りやすいという。
心あたりがありすぎて怖い…。
さらに、TwitterやFacebookの投稿で知ったという情報だと、「何が書いてあったか」という情報の中身だけでなく、「誰の投稿だったか」という情報の出どころすら曖昧模糊としている場合がある。
これはSmartnewsで見たとかスマホで見たとかいう、より大ぶりな粒度にもなりえて、それじゃもはやネットのどこかにあるレベルじゃないか…と思うのだけど、まぁそういうときは下手に記憶をたどろうとせずに、大海に目を向けてGoogle検索するのが一番手っ取り早い、ということになろうか。
マスメディア全盛の時代にも、「おはよう日本」でやってたとか、NHKで見たとか、ラジオで聴いたとか、詳しいことは覚えていないけれど、どこで得た情報かは覚えているという状態はあったと思う。
だけど昔は録音・録画でもしていないかぎり、それは後でなかなか調べられない状況にあるという一定の緊張感が、そこはかとなく働いていたかもしれない。覚えておきたいことは、今ここで覚えておかなきゃと。
それに比べると今は、「後でまたネット上の情報にあたれば調べられる」のが前提の世の中に身をおいて、その緊張がほどけてしまっているようにも思える。
先の研究をしたスパロウらは、「私たちはコンピュータ・ツールと共生するようになりつつある」という。私たちは、
情報そのものより情報が見つかる場所を知ることによって記憶の量を減らす、相互システムの一部になりつつある
思い当たる節が…。たしかに情報そのものを覚えるより、「ここにある」という場所の情報だけ覚えるほうが圧倒的に楽ちんだ。負荷が軽減されるとあらば、易きに流れるのが自然の成り行きである。
しかしなぁ、知らず知らずにそうなっちゃっているというのも困りものだ。「自分の記憶」のことなのに、知らぬ間に記憶媒体が自分の脳内から脳外に移っているって、どうも都合が悪いではないか。
よく使うものは、すぐ開閉できる引き出しにしまっておきたいし、さほどでもないものは押入れやら外の物置きにしまっておいても構わないというように、自分のものの置き場は自分で選択的に決めたい。
もちろん、それすらできず「忘却の彼方」行きというのが圧倒的に多いのではあるけれども、それはとりあえずおいておいて。
意識していないと、どんどん「情報そのものは覚えられず、その情報のありかだけ覚えている」状態に偏っていってしまいそうだ。
となると、ここはどうにか抗う方法というのを意識的に仕掛けていきたい。ものの本(*)からちょっとメモったところを列挙すると、たとえば何かを読んでいて、それを「脳内の記憶領域に収めたいとき」は、こういう方法が役立ちそうである。
●問いかける、自分に問題を出す
「このテキストは何についてのものか?」
「筆者が伝えたいポイントは?」
「わかりにくいと思われるところは?」
「なぜこれが正しいのだろうか?」
「これは他の概念とどのようにつながるのだろうか?」
「この概念を説明するのに、類似の例はないか?」
「他の分野やテーマとの関連性はないか?」(何とどう似ているが、どう違うか)
●思い描く
読んでいることを頭の中に思い描く
●自分に説明してみる、反復する
学んだことを自分の言葉で説明してみる、要約してみる
●分散させる
時間をおいて学習を繰り返す
心理学者のリッチ・メイヤーによれば、「学習とは生産活動である」とのこと。
1.学ぶ対象を絞り込む
2.今ある知識と、学びたい情報の結びつきを頭の中に作る
3.その情報を自分の知識に統合する(自分の中で意味をもたせる)
というステップを踏まないと脳内に入らないので、「外にある情報を、自分の脳に入れる」って受け身では事は済まされない。
知識習得とは、今ある知識の上にただ積みあげていくものではなくて、今ある知識にうまく編み込んでいくものであり、どう編み込むかを思考するスキルも求められる生産活動である、そんな感じだ(学んだことを自分の言葉で説明してみた)。
ちなみに、漫然と「繰り返し読む」「蛍光ペンでマーカーを引く」だけでは記憶する効果を発揮しない。よく考えてみると、そりゃそうだよなっていう感じなのだけど、わりとやって満足しがち。これはどちらかというと、「どこそこに書いてあった」って場所だけ覚えているコースに行きそうだ…。思い当たる節がありすぎる話だった。
*アーリック・ボーザー「Learn Better 頭の使い方が変わり、学びが深まる6つのステップ」
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