11月下旬の3連休は、父と妹を誘って長崎を旅した。父と一緒に飛行機に乗って羽田から長崎まで行って、九州に住む妹と長崎空港でおちあい、3人で長崎を旅する計画。と、ここまでは前に書いた。大切な思い出になったので、人の役に立つ旅行記にはならないが、この記憶を書きとめておきたい。
初日。仕事が、旅行計画段階では予期していなかった切迫した状態で連休突入となり、ぐぬぬぬ…という感じだったのだけど、自分が東京にいればなんとかなるというわけでもない「待ち」状態がほとんどだったので、そわそわする気持ちをなだめて日中はひとまず、家族と過ごす時間を大切にする。
行きの飛行機、父が少し前のめりになって小窓から景色を望む横顔をみて、あぁやっぱり旅を計画して良かったと心から自分を許す。3年前、同じように父と一緒に九州の妹のところに会いに行って3人で旅行したのだけど、その帰りみち、羽田からのモノレールに乗っているときに父が、「飛行機旅行はなかなかもう一人じゃできないものなぁ」というようなことを言っていたので、また近いうちに妹のところへ一緒に行く計画を立てようと思っていたのだけど、あっという間に3年経過…。これは2018年のうちにやるっきゃない!と一念発起して実行に移したのだった。
2時間のフライトは、富士山が見える席と逆だったものの、よいお天気だったので、日本列島の初冬の山々を眼下に楽しめた。
途中、父がCAさんに「この飛行機は今、どれくらいの高度で飛んでるの?」と、試験問題のような質問をした。CAさんが「○○フィートです」と答えるまでは良かったが、父が「何メートル?」と聞き返すと、CAさん側の空気がかたまった。
そういうのってなにげに、新人さんほど答えられて、ベテランほど答えられない質問なんじゃ…と、父の隣りで通路側に座る私は恐る恐るCAさんの顔を見上げた。ベテランふうじゃないの…。
ペアを組んでいる向かいのCAさんに「1フィートって何メートルでしたっけ」と小声で聞いているのが耳に届く。ごにょごにょ相談して何かしらの計算をしたらしく、「4千メートルくらいですね、富士山のちょっと上くらいを飛んでいます」って答えが返ってきた。
父は「あ、そう」と返す。え?その計算あってる?富士山のちょっと上くらいって飛んでいいのか?と思いつつ、静かにCAさんを見送る。
一呼吸おいて、「計算まちがってない?富士山のすぐ上すぎない?」と父にこそこそ話しかけると、「年寄りの質問なんてテキトーに返されるんだよ」と、でかい声で言うので、いかん、ここはもう掘り下げるとこじゃないと撤収。
後で調べてみると、普通は飛行機って高度1万メートルくらいを飛んでいるとか。4千メートルはさすがに、CAさんの計算間違えだったのではないか。酷な質問であった…。が、別に父もいじめたくてそんな質問したわけじゃない。素でそういうことが気になる人なのだ、という気がする。私はそんな質問、ひとりじゃしないので面白いなと思う。
さて長崎に着くと、空港を出たところに妹が車で乗りつけて待っていてくれた。長崎空港は海にぽっかり浮かぶようにしてあるので、そこから橋を渡って、すぐの大村市でお魚料理を食した。到着が14時頃、晩は宿で夕食をとる予定だったので、軽く…と言いながら、あれこれ注文。
言わんこっちゃないと思うのだけど、妹がうなぎの骨をのどにつまらせて、しばらく辛そうにしていた。あんな涙目で苦しむリスクを負ってまで、人はなぜうなぎを食べるのか。うなぎが偉大なことは、認めざるをえない。
そこから雲仙温泉まで、2時間ほどのドライブ。妹が運転手、父は後部座席を希望するので、私は助手席に。3人で車に乗るときは、これが定位置。宿に着く頃には日が暮れていた。部屋からは海が一望できた。
二人をお風呂に送り出し、私はこそこそ仕事。その後、部屋に用意してくれたそこそこの夕食を楽しむ。わが家族は寝静まるのが早いので、晩はこつこつ仕事。0時前には就寝。
朝までに途中なんどか目が覚める。はじめは高い空にあった月が、目を開くたびに海に近づいていく。日の入りは見逃したけれど、月の入りはこの部屋から楽しめそうだと思う。
そうして、ちょこちょこ目を覚ましては、月がその位置とともに表情を変えていくのを眺めた。闇夜に浮かぶ月の存在は大きい。海は、夜空の主役をたてるようにして、光の線を海面に走らせていた。
朝に近づくにつれ、月の放つ光は薄白く控えめになっていく。地球の表面に近づくほど月は大きくなって、鷹揚さが増してくる。最後は見えるか見えないか、ぎりぎりまで薄まって空の色と見分けがつかなくなって、こちらに気づかれぬようにひっそり姿を消した。毎朝こうして力強さを手放し、おおらかに消えていっているのか。
2日目は、雲仙普賢岳に行って、寒い寒い言いながら、すばらしい景色をたのしむ。ここまで景色が良かったら、もうロープウェイであそこまで登らなくても十分だよね、寒いしね、お金もかかるし…ということになって、ロープウェイ乗り場で十分満足して山を下った。安上がり一家。あと雲仙地獄なる湯気で一帯もくもくしたところを観光したりした後、長崎市街にドライブ。
ランチは「二見」という料亭へ。長崎に住むグルメな方に旅行の話をしたら、「ここに行くといいよ」と薦めてくださったお店。女将さんによれば、小泉元首相も何度か足を運んでいるとか。大きな生簀(いけす)があって、そこも見学させてくれ、これが真鯛で、これが鰻でと、いろいろ紹介してくださった。
お部屋に入ると、旅館の客室みたいになっていて、窓の外には橘湾が広がる。ベランダのようになっていて外にも出られる。海がとってもきれい。底まで見えるし、魚が泳いでいるのも見えた。天気も良かったので、最高の眺め。
そして、お料理がまたすごい。ボリュームたっぷりで、豪華。どれも新鮮で、おいしい。お魚好きの人で、「ここは奮発して!」というときには、ものすごいお薦め。父も大満足で、いちいち前日の宿の料理と比べては、ここの料理を褒め称えていた。
そこからグラバー園や大浦天主堂など、長崎市街を観光。あちこち急坂がすごい。2日目にとった宿は大浴場がないホテルだったので、日帰りで利用できる稲佐山のホテルアマンディに寄ってお風呂&夕食をとっていくことに。
お風呂もいろいろ種類があってゆったり。からだを洗って館内のジャグジーにつかった後、もう十分お風呂にはつかったなと思ったのだけど、ずっと外の露天風呂につかっている妹のほうに全く顔を出さずにお風呂をあがるのも、姉としていかがなものかと思ったのがまずかった。
外に出て露天風呂にちゃぷん。夜景をみながら妹と二言三言会話を交わして数分。まだまだ入っている様子の妹を残して、「先にあがります」と出ていったまでは良かったが、お風呂場から出てきて、数人が鏡越しに髪を乾かしたりとかしたりしているあたりで、あれ、これ、まずい感じでは…と思い始める。
水、飲まないと、倒れる。あと、数歩、行けるか。お金、出して、自販機へ。ひとまず、ロッカー、どこ?私の、ロッカー、どこだっけ。わ、無理。見つけるまで、もたない。倒れる。これは、まずい。
というところで、両膝ががくっと折れて床につく。「すいませーん」と人を呼ぶ。反応得られず。もう一回、「すいませーん」と声を出す。直後、力尽きてロッカースペースで、ばたんと全身倒れ込んだ。
2度目の「すいませーん」のおかげか、バタッ音のおかげか、気づいてくれた女性が2、3人やってきてくれた。そのうちの一人が幸いにも看護師さんだったために、ものすごい落ち着いて面倒をみてくれた。
「水、ください」と懇願し、スポーツドリンクのようなものを持ってきてもらってストローからごくごく飲むと、一気に楽になった。大ごとにならないようにと起き上がろうとするも、「もう少し横になっていなさい」と看護師のお姉さんが制するので、言うことを聞く。
お店の人などがわさわさやってきて、バスタオルでぐるぐる巻きにされて、恥ずかしすぎる状態から脱する。
「誰かと一緒に来てるの?一人?」と訊かれたので、「妹が、中に、います」と答える。「妹さん、名前は?」と訊かれたので、フルネームで答える。数人が妹のフルネームを呼びながら、お風呂場のほうへ向かっていく。あぁ、こりゃびっくりさせますね、すみませんねと思いつつ、引き続きぐったり倒れている自分。
意識はある。過呼吸にもなっていない。起き上がれと言われれば、たぶんゆっくり起き上がって動き出すこともできなくはないくらい。両膝をついてから倒れたので、ケガもひざ小僧の青あざくらいで済むはず。
集まってくるお店の人たちが救急車を呼んだほうがいいかというのを制して、看護師さんが「大丈夫、大丈夫、息もしているし、脈も正常だから。血圧って測れるかしら」などとやって、その場をうまくコントロールしてくださっている。ありがたすぎる。
しばらくして、その場でゆっくり起き上がると、とにかく平身低頭で謝ってお礼を言う。最初からだいぶ低い体勢にあるわけだけど…。目の前にいる人が看護師さんというのは途中からわかっていたので、「たのしい旅行中に仕事モードにしてしまって本当に申し訳なかったです」と謝ると、「地元の利用客だから気にしないで」とあったかい笑顔で返してくれた。180度ぐるりと見回すと、ホテルの人など5〜6人が私たちを取り囲んでいた。もう平謝り。
大ごとにはならずに済んで、本当によかった。お風呂上がりの父とおちあってご飯をともにする頃には、笑い話になった。父は話を3倍にして親戚に話すネタに仕立てあげそうだけど。
そこに入っているレストランで、稲佐山からの夜景をながめながら晩ごはん。ここもかなり良かった。父も満足げだった。
ホテル着。着く前から妹が「レトロなホテルじゃなくて、ただの古いホテル」というので(予約したの私…)、あれー、そうだったかなぁと思いつつも恐る恐る行ってみると、普通にいい感じのホテルで、最上階のすばらしい景色の部屋。どうやら妹は「ユニットバス」と書いてあるのを読んで、その印象だけで「ただの古い」に結びつけていたらしい。すごいな、それ。
3日目。当初は長崎観光の後、福岡までドライブして妹のパートナーとおちあい、九州場所の千秋楽を4人でみる予定だったのだけど、チケットがうまいこととれていないというのが発覚。それならまぁ夜遅くの福岡発の飛行機を待たず、もっと早い飛行機で切り上げるかということに。
とはいえ福岡発は満席で前倒しがきかなかったので、今いる長崎発の飛行機をチェック。こっちはとれたので、福岡に行かず長崎からお昼に東京へ発つことに。午前中、長崎原爆資料館と平和公園に行き、この日も良いお天気の中、3人で歩いた。
妹に長崎空港まで車で送ってもらい、父と私は羽田へ。妹は福岡に戻って、パートナーと無事に九州場所の千秋楽を観られた。横綱不在で、貴景勝が18年ぶりの小結優勝を果たすのを観戦したようだ。
父と妹とよい時間を過ごせて、姉さん満足。せっぱつまっていた仕事のほうも、向こうで皆がふとんに入った後やったのと、東京に戻ってきてからあれこれやったのとで、どうにかうまいところに着地。よかった。旅の起案と宿の手配は私だけど、あっちでの旅程は妹まかせ。すばらしいコーディネートに感謝、感謝。あと運転もおまかせすぎた。
こちらに戻ってきてから、富士フイルムのサービスで、とった写真の20枚くらいをフォトブックにして、父にプレゼントした。母にもいいおみやげができたと喜んでくれた。父は母の写真をかばんにいれて旅行につれてきていたので、二晩連続であわびを食べたことも、ずっとお天気が良くて楽しい旅行だったことも、一部始終知っているかもしれないけれど。
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