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2018-09-30

エンジニアがマネージャーになるキャリアパスの再考

及川卓也さんが「まえがき」を寄せているというので興味をもって買ってみた「エンジニアのためのマネジメントキャリアパス ―テックリードからCTOまでマネジメントスキル向上ガイド」(*1)。

この本を読み始めてまず気づいたのは、自分が「エンジニアが経験を積んでマネージャーになる」というキャリアパスに対して、ちょっと距離をおいて見ていたんだなということだ。

なぜ?いつから?と記憶をたどってみたところ、当時NHN Japan執行役員/CTOだった池邉智洋さんをインタビュー(*2)したときのことを思い出した。その席で池邉さんから聴いた組織づくりの話に、私はとても共感したのだ。

「うっかりすると,エンジニアとして評価の高い人を“マネージャー”にしてしまう」けれど、「研鑽を積んだエンジニアは,単に“⁠すごいエンジニア⁠”でいいんじゃないか」「技術が優れているなら,人を束ねるより自分で書いて一騎で突っ込んだほうが効率いい」「あんまりマネージャーの数を増やしてもしょうがないかなとも」という話。

それ以前から、エンジニアがマネジメントへの転向に抵抗を示す傾向、願わくばずっと現場で開発を続けたいという志向をもつ人の声はよく聞いていたし、「エンジニアが評価されると、マネージャーに上がる」一択しか組織として昇格のしようがないのはどうなのかと思っていたので、そうじゃない組織づくりをしているところが現にあるのだなと印象深かった。

そんなことから、エンジニアを続けたい人がエンジニアであり続けられる組織づくりとかキャリアパスの整備のほうに、自分の意識も寄っていたのかなと振り返る。

でも、池邉さんも「もちろんマネージャーも1つの大事な役割⁠で」と話しているとおり、エンジニアリングマネジメントという役割・機能は、それはそれで必要不可欠なわけだし、この本の及川さんの「まえがき」によれば、エンジニアリングマネージャーは不足している状況にある。

エンジニアとしてずっとやっていけるキャリアパスの整備も大事だけど、一方でエンジニアがマネジメントを志向し、そこにやりがいをもって取り組めるような環境づくりや支援も大事なんだよなと、そういう認識を新たにした。

及川さんの「まえがき」から一部引用させてていただくと、

日本でエンジニアがマネージャーになることを嫌うのは、尊敬できるマネージャーに出会ったことがなかったとか、ついこの間まで一緒に開発していた先輩がマネージャーになったらすっかり変わってしまったとか、自分の上司は営業からの要求と部下からの要求の板挟みになり、いつもため息ばかりついているなど、エンジニアから見て、マネージャーが楽しく、やりがいのある仕事に見えていないからです。

と、そのものずばりな「あるある」感が漂う。しかし、この文章は次のように続く。

実際には、エンジニアリングマネージャーのエンジニアリング組織を健全に発展させるという役割は、ソフトウェア開発に対して技術を駆使し難局を打開していくのと共通する面白さがあります。スキル面においても類似点は少なくありません。

こう言い切って、なるほどと思わせる力をもつのは、及川さんのキャリアあってこそ。また、この本の内容も著者Camille Fournier氏の積み重ねてきたエンジニア軸のキャリアに下支えされ、説得力をもって伝わってくる。

この本は、章が進むごとに管理職のランクが上がっていく構成になっている。
1.部下(の目線でマネジメントの基本を押さえる)
2.コーチ役/メンター
3.テックリード(技術者のまとめ役)
4.人の管理
5.チームの管理
6.複数チームの管理
7.複数の管理者の管理
8.経営幹部
9.チームの文化を構築する管理者
と、はしごをのぼっていく。

新任管理者なら1〜2が該当。9はスタートアップとかの採用・評価を手がける人事担当者も良さそう。

著者が経験してきたこと、考えてきたことが丁寧に言葉に起こされて話に説得力をもたせているものの、彼女個人の経験に偏っているわけでもないし、精神論に依っているわけでもない。

エンジニアリングの世界で現場からマネジメントまで実践してきた経験なしには書けない内容だし、マネジメントに必要なスキルを分解してノウハウを解説するところもあれば、心のもち方や人への関わり方をやわらかい言葉を使って解きほぐしていくところもあり、どう振る舞うと自身のキャリア形成上どういう利があるかを理知的に語るところもあれば、こういうことを本当にあなたはできているのか?こんな考えに陥っていないか?とえぐるように詰め寄ってくる文章もある。

エンジニアという人種をよくよく理解しつつ、またその中にも多様な志向性があることを承知して、いろんな人に届くようにバランスよく言葉が編まれている感じがした。

すごく特別なことが書いてあるかというと、そうではない気もするけれど、タイトルにガイドとある通り、網羅的にエンジニアのキャリアパスを捉えて類型化してあるので、全体イメージをもつ羅針盤とするのにちょうど良い本なのではないか。

一つの職種にフォーカスしてそういうガイドが出るというのは、やはりエンジニアという職業が社会にとって存在価値があるからなんだろうなぁと思う。私はエンジニアではなく、エンジニアのキャリアを支援する舞台袖の立場だけど、うまくこの本の内容を吸収して役立てていきたい。

*1:Camille Fournier著「エンジニアのためのマネジメントキャリアパス ―テックリードからCTOまでマネジメントスキル向上ガイド」(オライリー・ジャパン)
*2: 第10回 NHN Japan執行役員/CTO 池邉智洋氏に訊く(後編)│Webクリエイティブ職の学び場研究(gihyo.jp)

2018-09-28

「Web系キャリア探訪」第6回、転職から移籍へ

Web担当者Forumの連載「Web系キャリア探訪」第6回が掲載されました。今回はインフォバーンの田中準也さんを取材。

6回の転職はジョブホッパー?「広告業界で部署異動してるだけだよ byジュンカム」田中準也氏のキャリア観

JR東日本企画で14年間勤めた後は、電通、トランス・コスモス、メトロアドエージェンシー、電通レイザーフィッシュ、インフォバーンと転職を重ねていますが、田中さんからすると「転職」というより「部署異動」のような感覚と言います。

この感覚、近しい業界に身をおいて同時代に働いてきた私も共感を覚えるところがあります。私の場合「○○業界で部署異動している」と思えるほど大舞台で働いている感覚はもちえないのですが、ここ20年ほど働いてきた中で、
1.企業間の壁が薄くなり、
2.企業間・企業と個人のコラボレーションが活発になり、
3.プロフェッショナルとしての個人の存在感が増していって、
4.人材の流動性も高まってきた
のは大いに肌で感じるところです。

数年単位で会社を渡り歩き、新しい職場で新しい仲間と新しいチャレンジをする人を見るにつけ、「転職」というより「移籍」という言葉のほうがフィットするなぁなんて思ったりしていました。

さて、今回の田中さんは、ネット黎明期から、その前線で仕事経験をもたれてきたわりに、「デジタルを主戦場にしよう」と決意された時期は、けっこう最近なんだなというのが驚きでした。

90年代に一度ネットの仕事に足を踏み入れた開拓者精神旺盛な当時の若者って、周囲の大人にビジネスにならんとか言われて理解を示されなくとも、どんどんデジタル、インターネットのビジネスに邁進していった印象があって。

そこでデジタル一辺倒とならずに、アナログ×デジタル双方の見通しよいところに立ち続けて、また双方の前線に立ち続けてきたところに、田中さんのキャリアのユニークさが際立つのかなと思ったりしました。

また、それは確かな田中さんの志向の表れであり、ご自身が選んできた道であり、そこに惹き寄せられるように仕事の誘いが都度やってきたと考えると、必然と偶然の絶妙なバランスの中に田中さんのキャリアが成り立っているように感じられます。

確かな志しや自律心をもってキャリアを舵取りするデザイン性も感じられれば、未知の可能性や人の縁に人生を預けるドリフト性も感じられて。どっちに依らずバランスをとりながら進んでいくのが人の道かなぁなどと思ったりしました。

というのは私の勝手な蛇足ということで、ぜひ本編をお楽しみください。編集後記にあたる「二人の帰り道」まで、ぜひご一読いただければ幸いです。

2018-09-26

問題をじっくり決める感覚

私とはまったく別の業界で専門家として働いている友人とゴハンを食べていたときのこと。友人の話の中に「自分よりもずっと手際よく筋道を固めてゴールまでもっていけちゃう人がいて、いいなぁって思うんだけど」って一言がはさまった。

あれはきっと「はさまった」というくらいが正しい。それで卑屈になっていたり、羨ましがる気持ちに足元をすくわれている感じではない。私が書きたいのは、そういうことではなくて、それを受けて私が考えたことのほうだ。

私たちはその前からあれやこれや話し込んでいて、その一言を聞いたときに私がまず思ったのは、それは友人が手際が悪いからではないだろうな、ということだった。

なぜか。それまでの話を聴くに、友人がゴールをすぐに固めないのは、一つもこれというゴールが思いつかないからではなく、他にもゴールの見出しようがあるという可能性に目を向けて、時間の許すかぎり考え抜いて最良のものを選ぼうとしているからだった。それは手際の悪さによるものではなく、妥協のなさによるものだ。

過去の経験則から、瞬時にゴールをこれと決めこんで解決の道筋を既知のパターンに当てはめるのは、経験を積めば積むほど易しくなる。そこで易きに流れることなく毎回新しい案件として向き合い、拙速に目的地を決めようとする自分に抗うのは、経験を重ねるごとに難しくなっていくのかもしれない。

友人は丁寧だった。相当に難しい問題を、相当に短期間で対処しているのは想像に難くないのだけど、本当にこれか?こういう捉え方もできるのではないか?と、一つひとつ慎重に事にあたっていることが窺えた。

私はそういうふうに思うので、それは大事にしたままでいいのでは、と門外漢ながら応じて、またあれやこれやとおしゃべりに興じた。

それから日が経ち、次のような一節に出くわした。

このようなメタ認知を専門家は容易に行っている。スペシャリストがある課題に取り組むときには、問題をどのような視点からとらえるかをじっくり考える。自分の考えに筋が通っているかどうかに感覚を研ぎすませる。どうやって答えにたどりついたかを内省する。*1

あぁ、まさにこれだなと思い、その友人のことを思い出した。

「これはどういう問題なんだろう?」というステイタスはフワフワしていて、不安に駆られると早々に問題を特定して目的地を定めてしまいたくもなる。そこをちょいと踏みとどまって、一度アイデアを拡散する可能性の旅に出てみる冒険家の精神は尊い。期限内におさまるように探索の旅から戻ってきて一つに収束させる仕事もあわせもってなんぼなんだけど。しかも旅に出られる時間はかぎりなく短いのが常だけど…。

もちろん、ゴールをどこに定めるのか検討した上で結論を出すのがものすごく速い人もいるだろう。ゴールをどこに定めるのか検討しなくてもそのとき最善のゴールをパッと導き出せる人もいるのかもしれない。

でもまぁ無い物ねだりはやめて、自分なりの歩幅で、自分なりに感覚を研ぎすませて、じっくり丁寧な仕事をしていこう。歳を重ねて経験を積むほどに、既知のパターンに瞬時に当てはめられる直観力が磨かれていくなら、未知の可能性を探索しにいく冒険心も意識的にもちこんで、うまいことバランスさせていきたい。

*関連リンク:「問題と課題を区別する話」(問題も課題も自分で決めるものだよなという4コマ話)
*1: アーリック・ボーザー「Learn Better―頭の使い方が変わり、学びが深まる6つのステップ」(英治出版)

2018-09-25

読書メモ:「著作権トラブル解決のバイブル!クリエイターのための権利の本」

これは買おう!と思っていた「著作権トラブル解決のバイブル!クリエイターのための権利の本」*をご恵贈いただいてしまった。本の編集者が元上司なのだ。実際に手にとってみてもタイトルどおりにコンセプト立った良い本だと思ったし、クリエイター個々人が備えておくべき基礎知識だと思うので、私なりに本の中身と魅力を紹介してみます。自分は無問題という方も、部下や後輩にいいかも?ということで。

身近なところだと「フリー素材」の扱いとか。フリーといったって、なんでもかんでも無料で自由に使っていいわけじゃなくて、大方は使用許諾する範囲が設定されているから、それを守らないといけないよっていうのが具体的にどういうことかとか。主だったところだと、次のような制限があるなぁと読みながら整理。

●商用利用はNG
個人利用に限る。自社ビジネスの利用に限らず、デザイナーやライターとしてクライアントに制作物をおさめる場合も、お金を払って使ってねというもの

●使い方を制限
モデルの写真を何か特定の商品を試しているように見せて使ってはダメとか。あとはアダルト、公序良俗に反するものには使っちゃダメなど

●使用点数を制限
素材何個までは無料で使っていいというもの。何個を超えたら有料で使ってねというもの

●ロイヤリティフリー
最初に使用料を払うなどの使用許諾手続きをしたら、あとは何度でも使っていいよというもの

●ライツマネージド
使用媒体や期間を特定した使用許諾を受けたら、その範囲内で自由に使えるよというもの

結論、フリー素材を使うときは必ず利用規約を確認すること。

「あらゆる自由は制限の中に在る」という有名な言葉がありまして(今作った)、人間が認識しうる自由は常に何かしらの制限の中にあって、その不自由を知ってこそ自由を謳歌できるものだなぁなどと想いを馳せながら読みました。死という概念を知ってこその生を生き、使用制限を知ってこそフリー素材を活かせる私たち…。

さて、「転載」と「引用」の概念も、クリエイティブ職ならしっかり押さえておきたい基礎知識。

例えば、Webサイトやアプリのスクリーンショットとか、書籍の表紙や中身を撮影した写真をSNSにアップロードとかはよく見かける。けれど、こうした他媒体への「転載」は複製権を侵害しているので原則NG。でも、「引用」の範囲内ならOK。じゃあ、引用って何?どういう条件をクリアしたら引用扱いになるの?ということになる。

本を読みつつの私なりの整理だと、このあたりがポイントか。(以下は引用でも転載でもなく、読んで整理した個人的メモのつもり)

●引用部分と、オリジナルの文章を明確に区別してあるか(カギカッコとか斜体とかで)
●オリジナルの文章(主)と引用部分(従)の主従関係が逆転していないか(量的にも、質的にも)
●引用する必然性があるか(主となるオリジナルの文章を書くのに、そこを引用する必要が本当にある?必要最低限の量にとどめてある?)
●出典が明記されているか(タイトルとURL、著者と書籍名と出版社名など)
●引用部分を改変していないか(変えちゃだめ)
●そもそも公表された著作物か(メールとか手紙とかはそもそも未公表で対象外)

プレゼンや講演資料でも、出典名の抜け落ちなんかは結構ある。クリエイターとして人前で話すときに、他のクリエイターの権利を侵害するような落ち度は避けたいもの。「そんな法律知らなかった」もまずいし、「知っていたけど軽視してor不注意でやっちゃった」もまずい。どっちにしても、すごくまずい。

あと、街並みを撮った写真に道行く人が写り込んじゃったくらいは問題ないよね、ネットにあげても。も、ちょっと待った!人物が特定できる写真は肖像権を侵害する恐れがあるし、子どもの映り込みなんかは特に慎重に扱わないと大ごとになりかねない。写真だけじゃなくて、本人とわかる似顔絵も肖像権&著作権的にNGになる恐れがある。有名人だと、パブリシティ権も要配慮。

この辺も「法的にグレイでしょ」とか「みんなやってるでしょ」とかで軽視すると、静かにクリエイティブ職としての信用を失って、無言で周りから人と仕事が去っていくので自ら注意しておきたい職業倫理。

えー、じゃあフォントやレイアウト、配色に著作権はあるの?キャッチコピーは?写真のトレースは?Googleマップは自由に使っていいの?オープンソースは無料&自由なんでしょ?

などなどに一通り答えてくれる一冊。まえがきによると、イラストレーター、Webデザイナー、ブロガー、プログラマーあたりの職種の方を読者層にイメージしているもよう。章立ても「写真・イラスト・デザイン」「文章・コピー」「プログラマーコード・ライセンス」に分かれていて、ものすごく具体的で「あるある!」なシチュエーションを取り上げて、いいのか悪いのか、どういう著作権侵害の恐れがあるのか、実際どういう判例があるか、どう使えば侵害にあたらないのかなど、丁寧に解説されています。

クライアントさんから権利関係が怪しい素材を提供されて「これ使って」って言われたら、どう対応する?とかの実務ノウハウにも言及しているし、契約書や見積もりはどう作る?とかも解説とサンプルがそろっている。法的にどうこうだけじゃなくて、各社のサービスの利用規約上こういう制限がされていることがあるので注意!とかも記述あり。自分が権利を侵害されたときの対処法もあります。

こうした知識は、もっていないと悪意なく他人の著作権を侵害してしまうリスクがあり、訴えられれば損害賠償だったり、信用失墜だったり、会社やクライアントに大打撃を与えてしまう問題にも発展しうるから、職業上しっかり押さえておきたい基礎知識。

「現場あるある!」「そう、それどうなってるの?」な問いに対して2or4ページで答えていく構成なので、ざっと目を通した後は、都度「逆引き」的に使えそう。語り口も平易だし、かわいいイラストが随所に散りばめられているのも読みやすさを後押ししています。よろしければ手にとってみてくださいませ。

*: 木村 剛大 (共著、監修)、大串 肇、北村 崇、染谷 昌利、古賀 海人、齋木 弘樹、角田 綾佳(共著)、小関 匡 (編集)「著作権トラブル解決のバイブル!クリエイターのための権利の本」(ボーンデジタル)

2018-09-22

円グラフと帯グラフは使い分けるものだった

お恥ずかしながら、円グラフと帯グラフの使い分けが、ずっと曖昧なままだった。両方とも全体における部分の割合を示すもんでしょ、A部分とB部分とC部分の割合を見比べるもんでしょと。円と帯をどう使い分けるか、さぁそれは個人の好きずき?と。

違った…。それぞれ使い分けねばならない明白な違いがあった。ということを教えてくれたのは、「説明がなくても伝わる図解の教科書」*という桐山岳寛さんの本。

いやいや、超お薦めである。メッセージがシンプルで分かりやすいし、例がいちいち的を射ていて、ズバっ!と理解できる。

そこで数ページ割いて説明しているのが、円グラフと帯グラフの使い分けである。この本では、帯グラフではなく分割棒グラフと呼んでいるけれども、とりあえずここでは(30年くらい前)小学生のときに覚えた帯グラフのまま書き進める。

まず、著者は「円グラフほど誤った用途に使われているグラフはない」と記している。

円グラフが伝えるのは「全体に対してどれだけの割合が占めるか」であり、ある割合が他の部分より大きいか小さいかを伝えるものではない。

説明を読んでみると、納得である。円グラフでA部分とB部分の量感を比較しようとすると、向きの異なる扇形の面積をもって比べなければならないので難しい。

円グラフ(Aが55%、Bが28%、Cが11%、Dが6%)

AはCの何倍か、直感的にわからない。BはAの半分より大きいか小さいか、わからない。

でも、Aの割合をみるには効果的な表現だ。半分をちょっと超える程度と瞬時に伝わる。円グラフが伝えられるのは「全体に占める割合」だけ、「部分と部分の割合を比較するには適さない」のだ。

そこで、帯グラフ(分割棒グラフ)の出番である。部分と部分の割合を比較するには、こっちを使う。

円グラフがつくり出す二次元の“広さ”よりも、一次元の“長さ”のほうが比較が簡単なのだ。

って、言われてみれば当たり前の話だ。それにしても説明の仕方が秀逸である。

上の図は帯グラフ(Aが33%、Bが25%、Cが22%、Dが20%)、下の図は円グラフ(割合は帯グラフと同じ)

CとDは2%の差しかないが、帯グラフだとCのほうがDより大きいと、パッと見でわかる。円グラフのほうだと、CとDを見比べても、その差に瞬時に気づくのは難しい。

一方、帯グラフでは「全体に占める割合」は把握しづらい。B部分の割合をざっくり1/4だなって把握するには、円グラフのほうが瞬時に読み取りやすい。

ちなみに折れ線グラフと棒グラフの使い分けも、わかりやすく説明されていた。折れ線グラフは"時系列に沿った動き”を伝えるときに限って使うのが間違いがない。数値と数値の間に見える関連性や連続性を示したいときは、折り線グラフ。一方、“数値の差”を直感的&正確に伝えたいときには棒グラフを使う。

よくリンク先のような折れ線グラフ(総務省「平成30年版情報通信白書のポイント」より)を見かけることがあるけれど、例えばピンク色(英国)の線の「自社内の組織の見直し」60%弱と「ICT人材の育成や雇用」30%強の間に引かれている、60%から30%に下落している線に意味はないわけで。こういう使い方は良くないなぁと思う。

この本は、図解する重要性、図解の役割・機能、実際にどう図解したら伝わりやすくなるのかが、驚くほど理解しやすくシャープにまとめられている。図解がうまい人でも、もともとセンスのある人は「悪い例」「失敗例」と合わせて良いアプローチを解説することができなかったりするんだけど、この本ではこれでもか!これでもか!というぐらい、「悪い例/失敗例」と「良い例/改善例」をセットにしてポイントを解説してくれているので、ものすごくわかりやすいのだ。

しかも、「悪い例/失敗例」がよく見かけるものであり、「良い例/改善例」が明らかに見違えるほど良くなっている。こういう一つひとつの教材を良質に作り上げるのは、実際のところたいそう骨の折れる仕事だ。

さらに、この本自体が、この本の中で紹介している図解のポイントを実践した作りになっていて、そのために大変伝わりやすい本に仕上がっている。二段構えで分かりやすく説得力のある本で、ほんと敬服する。なんらか資料を作って人に伝える仕事をする(けどデザインは門外漢という)あらゆる人に役立つ本だと思う、いい本でした。

*: 桐山岳寛著「説明がなくても伝わる図解の教科書」(かんき出版)

2018-09-17

棚に上がる前のセブンプレミアム事情

セブンイレブンの、というかセブン&アイのプライベートブランド「セブンプレミアム」は12年目を迎えているようだけど、私には長いこと、ちょっと気がかりな相手である。6年前にユニ・チャームが不憫である旨は、このブログにも書いたのだけど、あのあたりからずっと気にかけている。

ユニ・チャームの件はざっくりいうと、セブンイレブンに行くとマスクの棚にユニ・チャームの「超立体」と、セブンプレミアムの「立体型」と、ともに極太ゴシック体で書かれたパッケージが並べて陳列されていて、セブンプレミアムのほうが枚数が多くて価格が安い状態で売られているんだけど、箱の裏をみてみるとこっちもユニ・チャームが作っていて不憫である、という話。しかもユニ・チャーム純正は「5枚で398円」、セブンプレミアムは「7枚で298円」。しかも当然セブンプレミアムも手を抜かずに作っているから、ユニ・チャーム品質で素晴らしく使い心地が良い。「これで十分」な品質なのだ。

あれから6年、その後もセブンプレミアムはぐんぐん商品数を増やしてきて、最上級ブランドと位置づける「金のハンバーグ」とか「金の食パン」なんかも出てきて、2019年度には売上1兆5000億円を目指し、4200品目へ拡大すると発表している。生鮮食品、洗剤などの日用品や衣類まで扱うらしい。ノリノリなのだ。

私の行きつけのセブンイレブンは、レジ待ちしてぼーっとしているときに目に入る棚がおつまみ系である。柿ピーとか、さきいかとか、あたりめとか、ビーフジャーキーとか。この辺は全部セブンプレミアムで出ていて、自然と目に入る高さは今や一帯セブンプレミアム商品群が掛けられている。しょんぼりして目線を下に向けると、しゃがんだ最下層に平積みされているのが、ナショナルブランドの豆菓子だ。

柿ピーといえば幼少の頃からお世話になってきたのが亀田製菓の柿ピー(オレンジ色の)だけれど、これはずっと目にすることがなかった。

それが最近、亀田製菓のオレンジ色が陳列されるようになり、しかも自然と目に入る高さの上等な席次になっている。これは!と目に止まったのだけど、なんと“ピーナッツなしの”柿の種だけが袋詰めされている商品である。そしてすかさず、その隣りには、セブンプレミアムのバタピー(柿の種なしでビーナッツだけが詰まっているもの)が掛かっている。

なんだろう、これは。柿の種だけで食べる人ってどれくらいいるのだろうか。柿ピーに一方を追加補充したい人用としても、ピーナッツ比率を高めたい人はいる気がするけれど、柿の種比率を高めたい人ってどれくらいいるのだろうか。まぁいろんな趣味があるからなんとも言えないけれども。

亀田製菓にユニ・チャームと同じ想いが募る。それでもセブンプレミアムと、何らかの関係をもっておいて機会を狙うのが得策ということなのか。ちなみに現在、柿ピーのセブンプレミアムを作っているのは亀田製菓ではなく、でん六である。

セブンさんの弁では、セブンプレミアムは「各商品分野で技術力のあるNBメーカーとの共同開発」「そのクオリティの証しとしてあえて生産者(製造元)のメーカー名を商品に明記」しているとのこと。販売者名だけを表示した従来のPBの常識を打ち破るものと評されているのだけど、でもなぁ、お客さんの問合せ先だってセブンではなくて製造・販売元が負っているわけで、いいとこ取りって気もしないではない。

製造・販売元、セブン&アイ、消費者の「三方良し」なのかっていうと、んんーというところもあるんだけど、まぁ強いからこそできているわけで、その強さを築いてきたのは他ならぬ彼ら自身なのであって、強さを存分に活かしていますねってことでしかないのかもしれない。大変お世話になっているし。とにかく、そんなこんなで、気になる相手であり続けているのだった。

そこで近況をざざっと調べてみると、本当にいろんなところと共同開発していて、ポテトチップスはカルビーだし、バタークッキーはブルボンだし、ビーフジャーキーは伊藤ハムだし、チーズタルトは不二家、羊羹は井村屋だ。

調味料はさらに混沌としていて、マヨネーズは味の素、こしょうと唐がらしはハウス食品、みりんとトマトケチャップはキッコーマン食品、ソース類はカゴメ、みりんはミツカン、すき焼きのたれとごまだれはエバラ食品工業、だしの素はヤマキ。ここまでは、まだ良いとして。

キャノーラ油とオリーブオイルはJ-オイルミルズなんだけど、ごま油はかどや製油。しょうゆと白だしとそばつゆはヤマサ醤油なんだけど、こいくちしょうゆと味付けぽんずはヒゲタ醤油。そして生にんにくのチューブはエスビー食品なんだけど、生しょうがと練りからしのチューブはハウス食品。

味噌に至っては、何の味噌だったらココという分けもなく、赤だしもこうじもマルサンアイ、ハナマルキともに出していて、さらにフンドーキン醤油とか、山永味噌とかもあって、勝手な妄想だけど熾烈な競争を強いられているのかしらとそわそわしてしまう。

商品棚で戦わせるのではなく、店頭に並ぶ前のほうが主戦場なんじゃないかしら…。まぁそっちのリングで戦わせたほうが自社のコントロール下においてレフリー役をしやすいのか。

これだけえげつないことするなら(って勝手な妄想で書いているだけだけど)、いっそのこと複数のメーカーの商品を少量ずつ詰め合わせて飲み比べ、食べ比べ、使い比べできるセット売りとかしてくれたらユニークなのに…とか思ってしまうが、まぁ言うは易しというものかしら。

個包装できるものに限られるかもしれないけれど、ドリップコーヒーの飲み比べ詰め合わせセットとか、おつまみ豆菓子の食べ比べセットとか、ヨーグルト食べ比べセットとか?

習慣的に買うからちょっとこだわりたい、けど買い回るほどではないという、買い回り品と最寄り品のちょうど間くらいのもの。飲み食べ続けたいブランド探しする買い物客にはありがたいのでは。まぁ手間ばかりかかって儲からないか。ともあれ、いろいろ取りそろえて、私の暮らしを応援していただいており、感謝しております。

2018-09-13

読書メモ:ピーター・モービル氏「UX・情報設計から学ぶ計画づくりの道しるべ」

情報設計とかUXデザインに関わる人たちに話題の本「UX・情報設計から学ぶ計画づくりの道しるべ」を手にとってみた。プランニングとは「パスとゴールのデザイン」として、広い解釈でのプランニングの原則と実践を記した本。構成も文章も言葉選びも、さすが洗練されていて美しい。翻訳も読みやすい。

著者のピーター・モービル氏は、世界的に知られる情報アーキテクチャの第一人者。原著のタイトルが「Planning for Everything」だそうで、情報アーキテクチャの専門家がその知見をもって、あらゆる人に向けた、あらゆる事柄のためのプランニングを指南する本かな、という印象をもって読み始めた。

が、それにしてはハイコンテキストというか、あらゆる一般市民向けのメッセージとしては堅すぎるというか。著者が引き合いに出す例は確かに、山登りだったり旅の計画、車の運転、釣り、朝食づくりなど、自分が専門とするビジネス領域を意図的に避けて、市民生活の話題を取り上げているように見受けられる。この「誰にでもわかる例」を引こうとしているのが裏目に出て、「誰にとっても遠くもないが近くもない」感じになっている感もあるかなぁと。例の引き方はバラエティ豊かで、その博識さには敬服するほかないのだけど。

それで改めて本の帯に目をやってみたら、「より良いサービス/デジタルプロダクトを開発し、プロジェクトを成功させたいと願うすべての人に贈る星座盤」とある。なので、誰でも彼でもっていうよりは、「その界隈の人向けってことではありつつも、デザイナー寄りに限定しないあらゆる職域の人へ」ってくらいが読者ターゲットなのかもしれない。日本での売り出し方は、そこに焦点化したってことなのかもしれないけど。

というわけで、指南している内容自体はビジネス的なのに、引いている例は思い切りプライベートに寄せているのがちょっとちぐはぐ感あるなぁと思いつつ読み進めていったのだけど、そう思うのは私がプライベートで計画めいたことをほとんどやらずに生きているって自分の偏りにあるのかもしれない…。どうだろう。計画づくりをどこで適用しているかって、人それぞれだからな。

ともあれ、仕事の方法論やノウハウを教示するならやっぱり、たとえあらゆる領域に普遍的なことを指南するのであっても、何らかの業界や職域に焦点を絞り込んで、その文脈に沿った実際的な話に展開し、抽象的な思考モデルと具象的な現場話を行ったり来たりしながら語り伝えるのが、それだけで価値だなぁと再認識する機会にもなった。

そういう強固な結びつきを埋め込まないと、例えば

大切な目標があるなら、時間の許す限り情報や体験、豊かな想像力を駆使して、パスをつくる自らの考え方を吟味し、洗練させよう

と言われても「実にその通りだ」と思うまでで、実際に自分の実務パフォーマンスを何か変えるアクションにはつながらないだろうなと。受け取る先の人がぐっと親しみを覚える「つながり」を埋め込んで橋渡ししてこそ、届けたい本質をうまく伝えられることって多分にあるんだろう。それが自分が生業とするインストラクショナルデザインの役割でもある。

この本の位置づけでいうと、抽象的だなと思うところは、自分の仕事分野では具体的にどういう落とし込みができるかと、自分で自分のほうに引き寄せて解きほぐす時間をもってみると、より意味が深まりそうだ。そういうところは読者に委ねられている本なのだとも思った。書かれている内容を、自分の過去を振り返ってつなげられる実体験の豊かな人ほど、その体系的な整理やノウハウ化に役立ちそうだ。

ノウハウ本というより、視野を広げてくれる本、自分の死角に気づかせてくれる本というふうに捉えたほうが合っているようにも、途中で思い直す。こうやって読み進める途中途中で、その本の意味づけを見直してリフレーミングしていくのも、読書の愉しみの一つかもしれない。

あと、ピーター・モービル氏のエッセイ的な本という捉え方もできて、とくに終わりのほうになると読み物としても愉しめた。

以下、気になった言葉のメモを書き留めておく。

●「プランは無意味だが、プランニングは大切だ」(第34代アメリカ大統領のドワイト・D・アイゼンハワー)

この複雑で不確かな世界では、完璧な計画など作りえないけれど、それでも計画を立てることは大事なのだと。うまいこと言う。計画を立てるプロセスを経験することによって、いつでも方向転換できる力が備わることって多分にある。作られたプランに沿って動く人と、そのプランを自ら作って動く人では、同じプランを遂行するのでも対応力に雲泥の差があると思うので、いいコピーだなと思った。

●プランは本質的に、柔軟性を失わせる性質がある。方向性を確立し、組織を安定させるものだからだ。プランニングは、組織内にすでにあるものを軸に行われる。(*1)

概念の本質を語るのが、欧米人はうまいよなぁと、ここでも感嘆。とはいえ、プランを軽視してはいけない。計画性と即興性のバランスをとることが大事とも、この後に説いている。大事、大事。

●ものを正しくデザインできるようになるには、正しいものをデザインしているという確信がいる。それには、分岐(可能性を広げる作業)と収束(選択肢を絞り込む作業)を2回行う必要がある。

20180913

「ダブルダイヤモンド」で表している(分岐と収束の矢印は私が付け足したもの)。だいたいの場合、欧米から輸入したモデル図をみて、そのままそれに従おうと取り組むとおかしくなる。実際は分岐と収束を行ったり来たり。それを単純化してうまく表している。実際には2回と言わず、反復的にやっていくものだとも言えるだろうな。

●問題の見え方や認識は、実は自分がその時点で持っている解決策によって決まってくる

この視点、すごく大事。問題の見え方や認識は、「自分がその時点で持っている」という限界を背負っていることをわきまえると、だからこそ自分ができることをできるかぎりやろうとも思えるし、そこから脱した視点はもてないかと外に目を向ける意識ももちうる。私は20代の頃にこのことを人に教わって、本当に助かった。

●「計測できるもののすべてが肝心なわけではないし、肝心なものはどれも計測できるかというと、そういうわけでもない」

うまいこと言う。ほんと、そのとおりだ。けど、この共通認識がもてていない現場で、それを共通化するのはすごく難しい。

●解決策を決める前には、プランのどの要素が固定で、どの要素がフレキシブルかを確かめるといい。ウォーターフォールモデルでは、プロジェクトの締め切りとコストには柔軟性がある一方、スコープ(規模、目的)は確定している。プロジェクトの目的がきっちり決まっているから、納期や予算に苦しむ羽目になる。対してアジャイルな枠組みでは、時間枠とコストをきっちり定め、スコープのほうに柔軟性を持たせる。ゴールは進捗の度合いやフィードバック次第で変えていく。

スコープの中に「目的」って入るのか?スコープの中にゴールが入っていて、状況に応じてゴールを変えていくのはわかるけど、目的も変えていくっていうのは、なかなかすごいなって思った。まぁ現実、そういうこともあるだろうけど。それをモデル化しちゃっていいのか。

●コピー待ちの列に割り込もうとする人が、「先に使わせてもらってもいいですか?」から「先に使わせてもらってもいいですか?ちょっとコピーしたいので」に言葉を少し変えるだけで、順番を譲る人が6割から9割以上に増えたという。人間は理由を示されると、仮にその理由がまったく中身のないものだったとしても反応してしまう。(*2)

そういうことって、ありますよねぇって思った。

●「恐怖は、真実に近づくことで起こる自然な反応です」(チベット仏教の尼僧のペマ・チョドロン)

ふむー。人を包み込む、やさしい言葉。

●人か企業かに関わらず、幅広い選択肢を長く残しておくのは非常に疲れる。だから、選択肢を絞るふるいとなるドライバー(条件)、レバー(てこ)、コスト、リスクを効率的に特定する必要がある。

疲れます。だからこそ、絞り込むタイミングと、選択肢の絞り方を大事に。

●人間には見積もりをよい方向に予測する楽天的なバイアスがある(行動経済学者のダニエル・カーネマンとエイモス・トヴェルスキーの研究)。どれくらいかかりそうかと自問したときは、たいてい実際よりも短い時間を予測する。これは自分がそのタスクに関わっている場合で、外から見ている人間は、逆に長く見積もる傾向がある。

●9.11の直後、アメリカ人の多くが恐怖から飛行機よりも車を移動手段に選び、交通事故による死者が1600人増えたという。(中略)統計的には飛行機のほうがはるかに安全なのに、数字は人の心を動かさない。

●賢明な判断をするには、確かに感情の助けは必要だ。しかしそれには、直感の出どころがどこにあるのかを慎重に見定めなくてはならない。

●決断を下すには、確率(知りようがないもの)よりも帰結(わかるもの)に集中しなければならない。これが、不確定性という考え方の軸だ(*3)

●対立するものには相補性がある(アインシュタイン)

●プランは「なぜ」と「どうやって」のあいだのスペクトルのような領域に存在する

美しい文章だなぁと。

●大手メーカーでも、スタートアップでも、実行を実験としてフレーミングすると、それと同時進行でプランニングができるようになり、成功の確率も高まる。

「実行を実験としてフレーミングする」って、いい捉え方。

●直感は習得済みのパターンを利用すること、対して洞察は新たなパターンを発見すること(*4)

これは「直感」ではなく「直観」のほうが訳として妥当かも?

●新しい経験から基本原則やルールを抽出するのが習慣になっている人は、学習効率が高い。対して経験をただそのまま受け取るだけの人は、そこから教訓をなかなか引き出せず、あとで似た状況に出くわしたときの対応もつかない(*5)

●培ってきた考え方は、変化の一番の障害になることが多い(*6)

●ネイティブアメリカンは、時間は川ではなく、過去と現在、そして未来が混在する湖だと考える。創造することは現在進行形の作業で、物語は歴史であると同時に、予言でもある(植物学者ロビン・ウォール・キマラー)

*1: ヘンリー・ミンツバーグ、ブルース・アルストランド、ジョセフ・ランベル「戦略サファリ:戦略マネジメント・コンプレート・ガイドブック(第2版)」(東洋経済新報社, 2012年)
*2: ロバート・チャルディーニ「影響力の武器」(誠心書房, 2014年)
*3: ナシーム・タレブ「ブラック・スワン」
*4: ゲイリー・クライン「『洞察力』があらゆる問題を解決する」(フォレスト出版, 2015年)
*5: ブラウン「使える脳の鍛え方」(2016年)
*6: ビジュアル思考の専門家デイヴ・グレイ「Liminal Thinking」(2016年)

2018-09-10

プレッシャーを与えるが吉か、取り除くが吉か

人をマネジメントするとか、人に仕事を教える立場の方にお会いすると、人のモチベーションをアップさせる方法に関心を示す方が多い。やる気になってほしい、モチベーション高く仕事にあたってほしい、もっと貪欲に自分から勉強してほしい。

こうした「人に何かさせたい、動機づけたい」というときに、プレッシャーを与えるが吉か、取り除くが吉かというのは、一度立ち止まって考えたいポイントだ。

先日アップロードしたスライドでも、「後でテストするよ!」は学習成果を向上させるのかという問題を取り上げたけれど、それ以外でも例えば、鹿毛雅治氏が日本で行った公立中学校の実験(*)がある。

中学生に対して小テストを行うのに、1つは「小テストを教師が採点し、成績の評価に用いる」と告げる、もう1つは「生徒自らが学習成果を確認するためにテストをし、その結果は成績評価としてはまったく用いない」と告げる。結果、小テストの結果が成績評価に結びつくとした前者のほうが、内発的動機づけと最終テストの得点が低かった。

「プレッシャーを与えたほうが効果が上がらなかった」という実験結果は、エドワード・L・デシ他の著作「人を伸ばす力」(*)に、これ以外もいろいろ紹介されている。

何かの学習を促すのに、部下なり後輩なりに「点数・順位をつけて競争させる」「○○ができたらご褒美をあげる」「○○ができなければ評価を下げる」「○○するまで××はお預け」「このままでは生き残っていけない」といった報酬、強要、脅し、監視、競争、評価のアプローチは、わりとポピュラーだ。

けれど、こうした外発的動機づけは、その効果の一方で、本人の「内発的動機づけを低減させる」リスクを考慮する必要がある。

内発的動機づけとは、活動することそれ自体がその活動の目的であるような行為の過程、つまり、活動それ自体に内在する報酬のために行う行為の過程を意味する。

つまり、外からの統制で何かしようとするのではなくて、それを知りたいとか、やりたいとか、もっと深掘りしたいとか、ずっとやっていたいとか、それ自体への興味関心や好奇心によって、本人が自己決定的にそれを欲し、それをやろうとするもの。

こうした内発的動機づけは、金銭的報酬を与えたり競争させたりといった外発的動機づけをむやみに与えると低められるとする研究が紹介されていて、確かになって思う。

デシは「もともと報酬なしで自発的に取り組んでいる活動に対して外的な報酬が提供されたとき、その活動に対する内発的動機づけはどうなるのだろうか」という問いを立てて実験をした。

実験当時の常識では、「内発的動機づけと外発的動機づけは互いに相容れないネガティブな関係ではなく、むしろ生産的なポジティブな関係とされていた。たとえば、興味をもって取り組んでいる活動に対して報酬がもらえたら、もっとその活動を楽しみ、さらに続けたいと思う」とされていた。

が、実験をしてみると、内発的動機づけは低下する結果となった。最初は報酬なしでも喜んでやっていたゲームなのに、いったん報酬が支払われる環境を体験した学生らは、その後報酬が支払われない環境下に戻ったとき、そのゲームに興味を示さなくなってしまった。「そのゲームは報酬を得るための手段にすぎないもの」というふうに、報酬が人の考えを変えてしまったのだ。

デシは「人はいったん報酬を受け取り始めると、その活動に対する興味を失う」「報酬は自由な行為を、外部から統制される行為へと変えてしまう」「人は自分自身の行動の源泉でありたいと願っている」として、外発的動機づけアプローチに反対する。(報酬の解釈によるけれど)

報酬にかぎらず、強要、脅し、監視、競争、評価といった外発的動機づけは、確かに効果を発揮するが、活動それ自体を楽しみながらするという欲求を失わせるというマイナス効果をもつとしている。

外発的動機づけによって効果が出たものは、一過性が高く、外部依存的だ。たとえば外から報酬が与えられなくなってしまえば持続しない。競争は、活動それ自体より勝つことに注意を向けさせる。強要や脅しは、いかに罰を逃れるかに注意を奪われる。本人の内からなる動機づけは一向に育まれず、外部にはずっと負担がかかり続け、危うさから抜けだせない。

デシは研究をこう振り返る。

外から動機づけられるよりも自分で自分を動機づけるほうが、創造性、責任感、健康な行動、変化の持続性といった点で優れていた

人の「創造性」を軸に学習支援の場づくりを生業とする自分には、共鳴するところが多分にある。プレッシャーを与えて人を統制しようとするより、プレッシャーを取り除いて相手に選択の機会を提供すること。学びたい欲、知りたい欲、わかりたい欲、やりたい欲、試してみたい欲、仕事に持ち込んでみたい欲がすくすく育つ環境をいかに作り出すか、邪魔をしないか。

競争させたり、点数をつけたりしてプレッシャーを与える方法が、なぜ採用されるか考えてみた一つに、“動機づけたい側にとって”施策が単純で、思いつきやすい、講じやすいからではないか、というのがある。けれど、学ぶ側の本人は生きた人間であり、単純な施策で事が済むほど甘くはない。

プレッシャーを与えて何かさせようという外的圧力は不自然で、もろく、軽薄にも感じる。学ぶ側一人ひとりには深淵な心が存在するし、生きたいとか知りたいとかできるようになりたいとか面白いとか達成したいとか、そういうシンプルな力が(たとえその時は眠っているとしても)内在していると信じている。一方で、そのシンプルな力の発揮を咎める何かしらを、人それぞれに抱えていたりもする。そういうことを前提においた上で、お客さんに向き合い、自分の仕事を丁寧に手がけたい。

「学習させるための支援」ではなく「自ら学習するための支援」を念頭に、動機づけたいクライアントに何を提案できるか、学習者からそれをどう自然に引き出していけるか、学習を後押しする場をどう実現できるかを、こまやかに編んでいく。それが自分の働きどころだよなと思った。

*: エドワード・L. デシ, リチャード フラスト「人を伸ばす力―内発と自律のすすめ」(新曜社)

2018-09-07

読書メモ:林雅之さん「デジタル時代の基礎知識『SNSマーケティング』」

コムニコの林雅之さんが著した「デジタル時代の基礎知識『SNSマーケティング』 『つながり』と『共感』で利益を生み出す新しいルール」(*1)を読んだ「感想」&「ん?」のメモ。

まず感想。

●タイトルどおり、SNSマーケティングの基礎知識がポイントを押さえて解説されている。これぞ入門書の王道という感じ

●文字も詰まっていないし、ページ数も200ページ足らず、本も小ぶり。気軽に読めて、一冊目にちょうどいい。一つのプラットフォームによらず、Twitter、Facebook、Instagram、LINEといった主要SNSを全部取り上げて解説しているし、語り口も軽快で、事例も図版も豊富でイメージしやすい

●こういうのが入っていてほしいという基礎知識が一通り構成立てられていて、手際よく解説されている印象。SNSマーケティングの何たるか、注目される背景、目標設定・投稿コンテンツの作り方・分析・運用・炎上予防&対策と、一連の関連事項が網羅されている。最後のおすすめツール紹介もGOOD。ありがたい

●「淡々と…」というよりは、基本的に「SNSはいいぞ!」というスタンスの語り口。オススメしている内容に、そりゃケースバイケースだろうけど…ってものもあるけれど、そういうのをいちいち書き込んでいくと、話がややこしくなり、文字量が増えて、入門書の良さがなくなってしまう。なので、ある程度割り切って「いいよ!」って言いきっているこうした本に、「必ずしもそうとは言えないんじゃないか」というツッコミは野暮というもの。そこから何を取捨選択し、何を応用展開させるか、何をより深掘りして学び調べるかは、読者に委ねられている。二冊目の本ではない。

●2018年2月発刊なので、他書に比べて情報も新しい安心感があって、良かった

次に、読んで「ん?」と思ったことメモ。

●Instagramってシェアできるのか?
p68: 「Instagramの表示アルゴリズム」に関わる要素として、Instagramの広報が「シェア(写真をシェアしたアカウントには興味ありと判断)」を挙げていると記してあるのだけど、Instagramってシェアできるのか?誤植?

●N=99の調査データって使えるものなのか?
p88-89:マクロミル/デジタルインファクトを出典とする「動画広告に対する反応」の調査結果があって、

媒体別に動画広告を視聴した人の反応を調査したところ、「視聴した内容を覚えている」と回答したユーザーの割合はSNSが20.2%で、他媒体に比べて最も高い結果

とあるのだけど、SNSがN=203(20.2%)、無料動画サイトがN=493(18.6%)、ニュース・ポータルサイトがN=213(14.6%)、キュレーションサイトやアプリがN=99(13.1%)の調査結果って有効?Nの差と絶対数の少なさが気になったのだけど、調査データ的には使えるものなのか?(そういうのに全然詳しくないので、ものは使いよう、それはそれってことなのかも)

●調理風景って書いてあるけど食事風景!
P91:瑣末すぎるツッコミなんだけど、「ユーザーから反応を得やすい動画の例」で、「美味しそうな料理の調理風景」ってキャプションがついているものの絵が、調理ではなくて、ナイフとフォークでステーキを食べている風景だったところに目がとまってしまった。われながら瑣末すぎる…

●利用ユーザーの盛り下がるタイミングで投稿?
P101:Facebookインサイトで、ユーザーが何曜日の何時にFacebookを利用しているのかが調べられる機能を紹介した後、

投稿後にすぐ「いいね!」やコメントがついた投稿は、その後リーチが上昇する傾向にあるため、利用ユーザーの多い盛り上がるタイミングを狙って投稿しましょう

と促しているのだけど、隣りに載せている「ファンがオンラインの時間帯」のキャプチャ画像は、日中ずっとオンラインのユーザーが多くて、21時を境に数が減少していく例。そこに「21時台が最適のタイミング!」って吹き出しがついているのは、なぜなのか、わからなかった…。上記の引用のアドバイスからすると、オンラインユーザーが増える朝6~7時に投稿するのが最適なのでは?と読めてしまったのだけど、これは私の理解力の問題なのか

●独立したものを折れ線グラフでつなげる意味は?
P137:消費者庁「平成28年度消費生活に関する意識調査」をもとに作成したとする折れ線グラフ。これは棒グラフのほうがいいのでは。消費者庁が提供した時点でこうだったのかもしれないけれど。

横軸が、15~19歳、20~24歳、25~29歳とか年齢別に分かれていて、それぞれの年齢層が「SNSでシェアされた情報がきっかけで商品購入orサービス利用した経験がある」率を縦軸で表しているのだけど、「15~19歳」と「20~24歳」の間に流れている線の意味ないよなぁと思うのだけど。これも私の読み方の問題かもしれないけれど、時々こういうグラフを見かけると、あれ?って思って未だ解決していない謎

以下、職業病的な文字校正メモ。

●P94:「情報収取手段」→「情報収集手段」

●P106:「その他のクリック(アイコン、ページ名、もっと見る、写真など)」→「その他のクリック(アイコン、ページ名、もっと見るなど)」※「写真」は、この上に「写真のクリック」が別途記載されているため不要では?

●P109:図9の中の「Instagramが定義するエンゲージメント」は、P108で

Instagramのエンゲージメントは、同社による正式な発表はありませんが

としている以上、「Instagramが定義する~」とするのは不適切では。「Instagramで筆者が推奨するエンゲージメント」とかに差し替える?

全体的に文字のおかしなところがすごく少なかったので、読みやすかったのも素晴らしい。

まとめると、SNSマーケティングをライトにざっと把握したい方の一冊目にお薦めだと思いました。

*1:林雅之「デジタル時代の基礎知識『SNSマーケティング』 『つながり』と『共感』で利益を生み出す新しいルール」(翔泳社)

2018-09-03

いちサラリーマンのキャリア考

最近立て続けに2つスライドを作ってネット共有したのは、別にどこかで壇上に上がって話す機会があったからとかではなく、ただただ一人で黙々と作っただけなんだけど、なんでそんなことをしたのかというのが、きっかけとしては2つあるかなと振り返る。

一つは、「そういう仕事が立て続いた」というやつで、この春・夏、お客さんに提供する研修の後に知識定着を図る&測るためのテスト問題も作っておさめる案件が立て続いたので、ここらでちょっと、その手のものを振り返って自分なりにポイントをまとめてみたいなと思ったこと。

今ひとつは、「どやされた」こと。年をとると、真正面からどやしてくれる人もなかなかいなくなるものだけど、私にはありがたいことに、時々どやしてくれるオトナがいて、先週どやされたというか、おしゃべりしながら発破をかけられた。

会社からもらっている年収(額面)×3倍の粗利くらい稼ぎなさいよ!とは、よく語られる目安だけれども、まぁそんな発破をかけられて。給与の3倍とか5倍とか、その辺は業種業態や会社によりけりだけれども、少なくとも2倍やそこらじゃ、自分を雇っていることが会社の利益に直結はしていないことに疑いの余地はない。

知ってはいたし、意識もしつつ働いてはきたのだけど、どこか開き直ってやってきてしまったところもあり、そこをずばり突かれたというか。正しすぎる!となり。

わがサラリーマン人生、なんだかんだいって目の前の案件に取り組むことに焦点があたっていて(それ自体は相変わらず大事なことだと思っているけれど)、いろいろ言い訳はたつにせよ、事業的な貢献(というか会社が自分を雇用していてマイナスにならない程度に稼いでいくこと)への意識は、いっぱしに稼いでいる人に比べれば常に低かった。

年をとって多少、常識的なビジネスマン感覚で自分をみられるようになり(遅い)、いやぁサラリーマンだなぁと思う。独立性高い環境で仕事したいとか偉そうなことを言っているわりに、独立できるほどの力量がないというのは、なんとも勝手な話だよなと(まぁそれでも、それは無いと困ってしまうので欲し続けてしまうと思うけれども…)。

とりあえずもっとそういう満たすべき前提条件に対して自覚をもって働くべきだと思うし、会社に感謝しないといけないし、自分の働きを今後どう展開していったらいいのか、どこでどういう形で働くのが良いのか、もうちょい意識高くもっていないと。なんて思い直すくらいじゃ、相変わらずだいぶ甘えているんだけど。

まぁそんなわけで、じゃあ具体的にって考えると、自分の提供するものをどう構造的に変えたら現実的に適うのかっていうのはいろいろ難しくて、それは模索を続けるとしても、じゃあもっと実直なところで直近どうするかっていうと。

課題分析や学習者分析、研修設計・開発はもとより、効果測定まわりとかももっと専門的にできる知識・力量をつけていって実践経験を積んでいくのが大事だなって思ったのと、もっといろんな専門性をもった方とのおつきあいを広げてパートナーを開拓していかないといけないなぁと思ったのと。

裏方頑張りたいんだったら、裏方力をもっと磨いていかないと。その辺の少し先を見据えた動きも最近ぼんやりしていた気がするので、すこしテンションをあげたほうがいいかなと思ったのだった。

で、ともかく自分がアウトプットできるものは、なけなしの頭を使って形にしてみようというので、夏休みの自由研究的にスライドを2つ作ってネット上に共有した次第。

それが人の役にはいまいち立たなかったとしても、良い仕事をするための筋トレとして自分のためになったことには違いないので、こういう鍛錬は表に出す出さないは別としても続けていこうと思った。自分がした仕事を振り返ってノウハウに展開してスライドに落とし込む作業は、私の職務上わりとど直球に良い訓練になり、仕事をみる解像度を上げられるのだ。

もちろん作ったものが誰かの何かしらの仕事に役立ったら嬉しいし、それをきっかけに関心ある人とつながって同志を得たり、意見交換できればさらに嬉しいし、「そういうことを生業にしているなら、これ手伝ってくれない?」と、クライアントさんや講師を務める実務スペシャリストに相談をもらえれば尚嬉しい。そういうものにつながっていくためにも研鑽を積むべし。やっぱり甘いサラリーマンなのだった。

2018-09-02

スライド共有:社内研修の事後テスト問題を作るとき

この間スライドを共有したのは、これの前置きが長くなってしまった版だったので改めて、もともと作りたかったほうのスライドをシェアします。

社内研修や勉強会の事後テストを作るとき気をつけたい9つのこと

クライアントさんに研修プログラムを提供する一環で、研修後のテスト問題を作ったり、講師に作ってもらった問題を手直しする中で、この辺がテスト問題を作るときのポイントだなぁと思ったことをまとめたスライドです。

内容がニッチすぎるかもしれませんが…、だからこそネット上に浮かべて漂わせておくが良しということで。テーマにご興味がある方は、お目通しいただければ幸いです。

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