俺の娘の日記
三連休に入る前の金曜の夕方に、父から電話があった。家のiPadがネットにつながらなくなったという。電話のやりとりで、とりあえず再起動してもらうも変化なし。Wi-Fiの親機は変わらず緑色のランプをピコピコさせているという。いつから、何が原因かというのもアテがつかない。
20分近く電話でやりとりしたものの解決をみず、ちょうど三連休だし、この休みのうちに帰って見てみるよと話す。直せるかどうかはわからないけれど。
父は、別につながらなくてもどうにでもなるからと返すも、ちょうど父の弟(私の叔父)が京都から車を走らせて、この三連休のどこかでやってくるというので、じゃあそれにあわせて帰ります、ということに。
一夜明けると、連休初日の土曜日に来られるというので、電話をきるや、そのまま帰省。昼下がりに電車を乗り継ぎ、東京から千葉へ。最寄り駅からはタクシーで実家近くまで移動し、残り1〜2分は猛暑の中、日傘をさして近所を歩く。実家の前までやってくると、ちょうど叔父と叔母がうちの駐車場に車を止めているところだった。
そのまま車から出てくるのを待って声をかけると、私が戻ってきているとは想定外で(というか、いきなり通りに出現)、びっくりの再会。まさか同じタイミングで家に到着するなんて、やはり親戚というのは縁の深い間柄なのかしら…などとしみじみ思いながら家の中へ。
父が出迎え、挨拶を交わすと、ほどなく二人とも和室に入って、母にお線香をあげてくれた。お茶を入れて、しばらくあれこれ近況をおしゃべり。
私は途中からiPadと格闘するも直らず。この後みんなでゴハンに行こうというので、こっちは日を改めることに。まぁスマホもあるしね…ということで、iPadでよく見るサイトを見られるように応急処置など。
すると父がiPadの、あるアイコンを指さして、「これでさ、俺の娘の日記が読めるんだよ。何考えてるのか、わかるの。前に○○(父の姪、私の従姉妹)が遊びに来たとき、これで見られるようにしてもらったんだ」って、唐突なカミングアウト。
そう、父のiPadには、私の、このブログに到達するアイコンがあって、私はずっと見てみぬふりをしていたのだ。父のiPadでうっかりブラウザを開くと、全面に私のブログが表示されて面食らったこともあったけれど、それも見て見ぬふりして、以降、父が目の前にいるときにはiPadのブラウザを開かぬようにして、父が気まずくならないように配慮していた。
というのに、父にしてみれば、別に隠れて読んでいたわけではなく、単に言う機会がなかっただけらしい。確かに、父はそういう人である。iPadがネットにつながらないと、娘の日記が読めないんだよなと、当の本人を前に言う人なんである。
いや、スマホでも読めますけれども…とは思いつつ、父がiPadでよくチェックするサイトをスマホで見られるようにセッティングする中に、自分のブログを含めて、ここでこうすると読めるからと案内するのもさすがにどうかと思い、叔父と叔母とも会食に出かける流れだったので、とりあえずそのままにしてきた…。
それにしても、なんて開けっぴろげなんだ。私は6〜7割、父似だと思っているけれど、こういうことを言うか言わないかでいうと、開けっぴろげより思慮深さを優先する母似である。
そこはわかりやすく、父と母の真逆なところだなぁと今回改めて思いつつ、まぁでも、だから母は父と結婚したんだろうなぁという気がして、またしみじみするのだった。さて、これを父が読むのはいつになるだろう。早くiPadをネットにつなげてあげないと。
その後は、おいしいものを食べに行こうと叔父が誘い、叔母がスマホで店を探してくれ。私が気の利いた候補を提示すべきところなんだけど、結果的に叔母に任せて大正解。叔母のネット検索力はスゴかった。まったく土地勘のないところなのに、実家から数十分車を走らせたところにある、とっても素敵な小料理屋に連れて行ってくれた。
暖簾をくぐって戸をひくと、所狭しと銘酒がずらり並んでいる。手前のカウンター席は右も左も予約席のプレートが立っている。が、店員さんが襖を開けると、奥の小上がりに通してくれて、予約なしで行ったけど、ゆったりおいしい時間を愉しめた。
そこで私が、小学生だか中学生のとき、母が父の昇進を誇らしげに教えてくれた思い出を話すと、叔父が、ほらほら、こういう話が出てくるんだよ、だからこういう場が大事なんだよと、身を乗り出した。そういう場を作ってくれたのは、このあったかい叔父と叔母である。
私はこれに重ねて、母はなくなる前、病院に入院しちゃう前にも、「お父さんのこと、頼むね」って寝床から私に言っていたことを言い添えたかったけれど、それを口にしたら、たぶん涙出ちゃうなぁと思ったので言えなかった。だって、あのとき母は、入院が長引くかもしれないからって意味で、そう言ったのだ。でも、ちゃんとお父さんのこと、心配していたよ。ちゃんとってのも、なんだけど…笑。
2時間ほどして、おなかいっぱいになると、駅前にカラオケ屋があるらしいからと店員さんから情報を得た叔父の誘導で、4人で歌いに行くことに。これは選曲が難しいですねぇと言いながら、何を歌おうかなぁと思案していると、叔父が一番手でAKB48を歌いだした。すごいな、私知らない曲だ…。
私は私で、この層にあわせて何か縁のある曲を…と思い、私が小学生の頃に母が台所で調理しながらカセットテープを流していた日野美歌の「氷雨」を1曲目に歌う。なんか互いに気をつかいあって、日本語をしゃべるアメリカ人と、英語をしゃべる日本人の会話みたいに始まったけれど、なんやかやで時間いっぱいの1時間半。
締めのほうで、叔父と叔母がふたりでAKB48の「恋するフォーチュンクッキー」を、いーとーまきまきみたいな手をぐるぐるさせる振り付きで歌ってくれ、じーんと来てしまった。
さりげなく選曲していたけれど、「未来はそんな悪くないよ〜♪」とは、きっと父への応援歌だ。叔父と叔母は、父と母に特別な恩義を感じているらしく、私たち家族にいつも温かい。母がなくなったときにも、京都から車を出して、千葉まですっとんできてくれた。情に厚くて、キュートで、知性的で、ユーモアがあって、とっても素敵な人たちだ。iPadの気まぐれで、心豊かなひとときを過ごせた。
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ご無沙汰しています。
お父様や叔母様も、iPadやスマホを使いこなされているご様子に感服します。
ツールが進化してもそれを使うのは人。まりさんのブログを拝見すると、そこにつながる人のご縁にほっとします。最近私の業界でもAIが採用に絡んできて、なんだかなぁと思う反面、時代の流れを先取りしないといけないのだろうな、、と少しモヤモヤしていました。
お父様がブログを読まれていたというお話、自分事のようにほっこりしました。娘としては恥ずかしくもあり、でも親としては観たいし、知りたいし、そして嬉しいのだろうなぁと。。ここにはお母様やご家族への温かい思いや、普段ご覧になれないお仕事への思いも沢山つづられていますものね。
息子たちは私のブログを知りませんが、もし見たらどんな気持ちになるのかなぁ、、など思わず想像してみました。もしも父だったら(そもそもネット媒体使えませんでしたが)嬉しかったかもしれないな、、と想像します。なのできっとまりさんのお父様も、こそばゆい気持ちも少しありながらも嬉しいのではないかなと勝手に推測させていただいています。
例年にない猛暑ですね。お忙しい毎日でしょうが、体調を崩されないようにしてくださいね。
投稿: ベル | 2018-07-20 09:44
ベルさん
ご無沙汰しています。コメント嬉しく拝読しました。私もベルさんのブログに足しげく通っていますよ。
叔母は使いこなしてるなぁ!という感じでしたが、父は限られた用途で、うまいことつきあっているようです。まぁ全機能使い倒してやろうという気合いは私にも全くないので、父にも一つ、二つでも役に立つなぁと思うところがあって、それを使ってハッピーになれたらそれで万々歳ではないかというスタンスで話しています。
デジタルだのITだのAIだの、いろいろ出てきますが、もとを辿ると人の思惑ありきで。ならば、それを使って殺伐となるのではなくて、人が豊かになるように使っていくのが自然だなと思うのですが、まぁ必ずしもそうでなかったりややこしいですね。
ベルさんのブログをご家族がご覧になったら、きっとすごく気持ちがほぐされ、あったかになるのではないかしら。そう思いました。本当に、すてきな文章をいつも拝読しています。
今年はほんと暑い暑い日が続いていますが、ベルさんもくれぐれもご無理なさらずに、休息を大事にしてお過ごしくださいね。
投稿: hysmrk | 2018-07-20 15:17