「具体例」には階層がある
研修やセミナーのアンケートでは、「具体例がたくさんあって良かった」「話が抽象的で分かりづらかった」「もっと事例を聞きたい」といった受講者の感想が定番である。
これは言わば、表層的な意見の表明であって、必ずしも事例を増やしたら、これを書いた人の満足度や理解度が上がるわけではない。この人の抱える問題が「○○が十分に理解できなかった」のだとして、「より豊富な具体例のインプット」があれば本当に十分な理解に到達するのかはわからない。解決策として有効か、それはそれで議論はある。が、今回はそれはそれとして、別の論点を取り上げたい。
講師は、豊富な具体例を盛り込みながら話しているつもり。なのに、受講者側から、話が抽象的、具体例がもっと欲しいと言われるケースがある。これは、講師が提示する「具体例」と、受講者が望んでいる「具体例」に、階層のズレがあるからだろうと思う。
例えば企業のマーケティング手法かなにかをテーマにした講座で、講師が「とあるドラッグストアの売上が低下している要因を考えてみましょう」と、具体的に考えてみる手引きをしたとする。講師は、具体的なイメージをもってもらおう、具体例を示して理解を深めてもらおうとして、みんなに身近な「ドラッグストア」を引き合いに出す。
確かに、これは「企業の売上が低下している要因を考えてみましょう」よりも、「小売業の売上が〜」よりも具体性が高い。しかし、「マツキヨの売上が低下している要因を考えてみましょう」と比べると抽象的であり、これと比べると「具体例」には一歩届いていない気がしてくる。
最も抽象度が高い層を「抽象名詞レベル」だとすると、間に「具象名詞レベル」、一番低い層が「固有名詞レベル」という感じだろうか。
企業
小売業
ドラッグストア
マツモトキヨシ
というように、抽象度には階層があり、具体例にも階層がある(分けようによって、何層にも分けられる)。なので、固有名詞レベルの具体例を求めている受講者にとって、具象名詞レベルの具体例を提示する講師の話は抽象的に感じられる。
もちろん、あらゆる解説に「固有名詞レベル」の具体例が求められるわけではない。どこがちょうど良い加減かは、目的や相手や状況によりけりなので、一定の抽象度を保ったレベルのほうが適していることもある。
ただ、ここの認識のずれを双方がわかっていないためにすれ違っているケースがなきにしもあらずなので、とりあえず文章にしてみることにした。
演習課題などで、「とあるドラッグストア」とするか「マツキヨ」とするか「あなたは、くすりの福太郎 西船橋4丁目店の店長です」とするかじゃ、問題が大きく違う。全然違う問題になるから、状況設定には細心の注意が必要だ。
「とあるドラッグストア」に比べると「マツキヨ」の付帯情報の多さは圧倒的だ。全国区でドラッグストアをやっているとか、今は業界3位に転落しているとか、競合にウエルシアとかツルハとかサンドラッグがあって、ウエルシアとツルハはM&Aを活発にやっているけどマツキヨはやっていないんだなとか、そういう情報がごろごろ調べられる。
に比べると「とあるドラッグストア」は、極めて前提情報が曖昧だし、調べようがないから、なんでもありになってしまわざるを得ない。「とあるドラッグストアで売上が低下している要因を考えてみましょう」は、ああかもしれない、こうかもしれないと発想法を鍛えるような課題には有効かもしれない。その場合、「できるだけたくさん、ありうる要因を書き出してください」といった問い方が妥当だろう。
が、発想法とかではなく、ある企業とか店舗、あるいは商品の状況をしっかり読み取って、それを踏まえたマーケティング課題を設定して具体的な提案を作り出すスキルを磨く目的なら、企業や地域や店舗や商品を特定して話を進めないと、どうしようもなかったりする。
同じドラッグストア想定の課題でも、どういう前提情報を提示して、誰を主人公にして、どういう問いに対して答えを考えてもらうかで、鍛えるスキルはまったくずれてしまう。
マツキヨならマツキヨ、サンドラッグならサンドラッグと、具体的な企業名が出てこそ、実務的な演習課題として使い物になる。
とはいえ、企業や商品を特定すれば、そこにある程度、講師や運営する側が通じておかないと話にならない。マツキヨのお題にするなら、マツキヨの市場でのポジションとか、ドラッグストアのコンビニ・スーパーマーケット化とか、ネットでの医薬品の取り扱いスタートとか、市場動向をある程度は把握しておく必要が出てくる。自分ならこう考えるな、という回答例もこしらえないことには、なかなかどうして。
となると、下調べ、下準備が大変になる。手間暇がかかる。億劫である。時間がない。そんなこんなで、一段、二段、抽象度が高い事例解説や、演習課題の想定に着地することもあると思うのだけど、その抽象レベルの選択が、今回の学習テーマを習得するための事例や演習課題の提示の仕方として適切なのかどうかは、目を凝らして見定めないといけない。
必要なら、やっぱり下調べ・下準備して、筋の通った想定、問い、回答例をこしらえないと、鍛えるべきスキルを鍛える演習課題にならない(もちろん、そういうのではないワークショップもあるので、それはこの話の範囲外)。あと、講師が過去に手がけた案件を引き合いに出すなら、それをもとに十分通じた解説ができるだろうし、だからこそその講師が講師として立っているということも往々にしてあるだろう。
ともかく、実際に手がけた案件ではないものから具体例を示そうとするときには、抽象レベルの設定が妥当かというのをちょっと気にかけてみると良いのでは、という話でした。長く書いたわりに、言いたいことは小さい。
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