ひと月遅れた母のお墓参り
うわわ、ごめん、ごめんと思った。母のお墓の前に立って、あぁ来るの遅くなってしまったと、まず詫びた。お墓が、なんとなくくたびれて見えたのだ。自分の目に、母のお墓があのように映ったのは初めてだった。
悠長に構えている場合ではないと、さしていた傘をたたんでそばに置くと、以前に供えたお花のくたびれたのを、まず花筒から取り出した。父がなみなみと水をはった手桶を両手に1つずつさげて持ってきた。私はそれを全部使って、お墓をきれいにした。全身をお風呂に入れるようにして、きれいにした。
持ってきた向日葵(ひまわり)を供えると、ぱっと華やいだ。きれいになって、ほっとしたところで雨がやんだ。
父がお線香に火をつけてもってきて、手を合わせる頃には薄曇りの空から陽がさした。
ほんの5分前には雨が降っていたのにな…と思いながら、薄く陽がさす中、墓前で手を合わせる父の背中を見守った。
父が終えると、私もしゃがんで手を合わせた。まず謝った。目をつぶっている間に、わだかまりが解けたような気持ちになった。ここひと月くらいは、母のお墓参りに来られていないことが、ずっと気にかかっていた。なのに、来ていなかったのだった。
4ヶ月あけるのは、ないなと、よくわかった。これまでだいたい3ヶ月以内に足を運んでいたと思うのだけど、もうひと月、間があくと、いけないのだった。ということが、今回はっきりわかった。
行ったら、ぱっとわかるのだな、と思った。按配というのは、頭でもなく、心でもなく、分離して語れぬ自分の全部を丸ごと現地に持ち込めば、すぐ答えがわかるのだなと、なんとなくそういうことを了解して帰途についた。
「また来るね」と父が言い、私も「またね」と声をかけた。お墓から車へ向かう間も、薄日がさしていた。車に乗って走り出すと、また雨が戻ってきた。笑ってしまった。
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