意味を作るところ
愛聴しているTBSラジオの「ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル」で、これぞラジオ番組の特集っぽいのがやっていた。サタデーナイトラボ「『あれ?私、なにやってるんだろう……?』特集 by三宅隆太」 。
映画に出てくる、「あれ?私、なにやってるんだろう……?」に代表される、え、現実世界でそんなこと絶対言わないよねってセリフ、これだけは知っておいてほしい前提知識とか状況説明のセリフ、極端な例だとタイムボカンシリーズ(ヤッターマン)の「説明しよう!」とか、もうこっちに話しかけちゃってるよねってセリフなんかを取り上げて、その意味や奥の深さ、脚本家の匠の技などを面白おかしく解説、数々の事例を挙げて味わうという特集。面白かった。
映画の作り手や、作る過程に思いを馳せて、あちらこちらに埋め込まれた意味に目を向けてみることは、映画鑑賞の新たな味わい方につながるし、普段の生活で“向こう”の立場にまわって物事を捉えるための筋トレにもなる。
映画にかぎらず、物語のそういう愉しみ方は、もっと増やしたいなぁと思う。それがそこにあることの意味を問うていくこと。
二度三度と観てこそ味わえるのだろうけど、新しいものがどんどん出てくると、同じものを二度三度観ている場合じゃないかと、結局新しいものにいってしまう。といって、新しいものをたくさん観られているわけでも全然ないのだけど。
これは、なかなか再読ができない本も同じ。この間Twitterのタイムラインに流れてきて読んだ言葉につながった。
物語の中で雨が降れば、たかが雨でも必ず意味がある。その意味を探しなさい(*1)
これも二度三度読まないと、なかなか立ち止まったり振り返ったりして丁寧に味わえない領域な気がする。一度読んだ本にも、まだまだ発見できていない味わいがたくさん詰まっているんだろう。
と、これを書いていたら、ポール・オースターが「幽霊たち」の中で書いていた一節も思い出した。
書物はそれが書かれたときと同じ慎重さと冷静さとをもって読まれなければならない(*2)
いろんな言葉がつながっていって、自分の中で、そのことの意味が深まっていく。それもまた豊かだ。
意味を作り出すのも、一つひとつの意味にさらなる深みを与えていくのも、人の頭の中。私の頭の中、相手の頭の中。一つとして同じものはなく、同じものを同じタイミングで享受しても、それぞれが作り出す意味は、きっと少しずつ違うんだろう。
一方で必ず、自分と何か、自分と相手の間で交わした相互作用の結果として、そこに意味が生まれるんだろうな、とも思う。何もないところにポンと意味が生起することはないのだろうな、きっと。
ここ数日、いろいろと自問自答が続いていて、じわりじわり痛みを抱えながら過ごしていたのだけど、これもまた自分なりに昇華して、ぬくもりをもった意味を生起させて、育てていけたらいい。頭痛のほうは、良くなりました。
*1: ますぶち みなこさんのnote「その苦しみに、ひとつ角砂糖を」
*2: ポール・オースター「幽霊たち」
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