男の子だけで決めた結論
先月、父が急に「手術をする」と言い出した。急といっても、それなりにステップはあったのだけど、もともと治したいといっていた症状(足のほう)の原因は特定できておらず、検査で発見された症状(頭のほう)を処置する手術で、症状(足のほう)が改善する可能性はあるけど、変わらないかもしれない。症状(頭のほう)は、絶対手術しないとまずいレベルではない。さて、どうしますか?ということになった。
けっこう大きな手術なので、判断をする前に簡易の実験(簡単にできるが、もし効き目があったとしても1週間しか効果が見込めない)をはさんでみて症状(足のほう)がどう変化するか見てみようということになったのだけど、ある程度予想したとおり、んー、なんとも言えない、はっきり良くなった自覚症状はないけど、もしかしたら多少良くなっているのかもしれないし…という結果。
で、簡易の処置から一週間経ち、翌日には病院に行って、医師に「症状がどう変化したかレポート、手術するのかしないのか意思表明する」という前夜になった。私は父に電話をかけて、明日どうお医者さんに話すのかと尋ねた。すると、まぁその時の気分やな…と言う。こりゃ明日診察を終えてから話聞かないとわからんな…と思い、翌日改めてTEL。
「で、どう言ったの?」と尋ねると、「手術する」と言ったという。私の第一声は「あぁ、男の子だけで決めたって感じねぇ…」だった。この件では兄が全面的に診察とか検査とかの立ち会いをしてくれていて、この席も、父と、男性医師と、つきそいの兄の三者面談。そのシーンを想像するに、なんとなく、そういう流れにしかならない気がした…。
すると、どうやら図星だったらしく、父は苦笑して「そんな大きな手術とは思わなかった」と、少し揺れる想いを吐露したように思われたので、私は「大事な体のことなんだから、今からでも嫌だったら全然やめていいんだよ!」と二度三度伝えた。が、まぁ一度言っちゃったものはやっぱりなかなか…なのだった。
加えて、兄に話を聞くと、先述したとおり「症状(頭のほう)を手術して、症状(足のほう)の改善をも見込む」という話をするんだけど、父から別に話を聞くと、「症状(頭のほう)を放っておくと、認知症になるリスクがあるっていうんだよ」と言う。それで、どうやら父の中では、この段で論点が認知症リスクに置き換わっていることを察した。父は、認知症になって子どもたちに迷惑をかけるのが嫌だという気持ちを前々から強くもっているふうなので、これが判断の決め手になったのではないかとも思われた。
ということで、翌10月をむかえて先日手術をした。手術はしっかりと成功して、家族一同、心からほっとした。術後に見舞いに行くと、開き直ったのか、おしゃべりの中で「いやぁ、長男坊がいて、どうするかって判断迫られて、そりゃ引くに引けなくなるだろ」と、こぼしていた。お気にめしたのか、「おまえが言う、男の子だけでってあれだ」と、あのフレーズを持ち出して笑っていた。
男女の別を言いたいわけじゃない、実際どちらの性別にも多様な選択があって当然で、それは人によっても、その時々でも違う。ともあれ、まぁ大事な結論はうまく「男の子的・男性的・父性的」なのと「女の子的・女性的・母性的」なのと、両者引き合わせて導きたいもの。そして、自分の大切な人が素直な気持ちをこぼせる関係とか時間とかを大事につくりたいと改めて思った。とにかく、無事に手術が成功して良かった!
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