ラッシュの郷愁
帰省ラッシュ、Uターンラッシュのニュース映像を見るのが好きだ。「お盆をふるさとや行楽地で過ごし…」と始まると、なんだか気持ちを持っていかれて毎回、高速道路、新幹線ホーム、空港の映像を見入ってしまう。
私はラジオを聴くのが常で、映像でニュースを見るのはニュースサイトで気になったものをいくつかという日々なのだけど、お盆と年末年始は必ず帰省ラッシュ、Uターンラッシュのニュース映像を選んで流してしまう。
なかでも一番好きなのは、高速道路の映像だ。上から車の行列を固定カメラがとらえているだけで、子どもたちの笑顔も、孫に手をふるおじいちゃん、おばあちゃんの姿も映らない。最も淡々としている映像なのだけど、うちは子どもの頃から連休となると、たいてい母の運転で家族旅行に出かけていたので、あの地味な映像にこそ郷愁を覚える。
朝もやの帰省ラッシュ映像にも趣きがあるし、テールランプが光るUターンラッシュ映像も味わい深い。一つひとつの旅行を鮮明に覚えているわけじゃないけど、だからこそ何度も家族とともに行き来した高速道路になじみ深さを感じてしまうのかもしれない。静かな映像に相対するからこそ、自分の内側の動きを感じやすいのかもしれない。
今となっては、それをニュースで眺めて、昔はあの中によくいたよなぁと懐かしむほうが圧倒的に多いのだけど、まれに今でも妹の運転で、父と私と3人で旅する機会をもつと、積み重なった子どもの頃の思い出と入り混じって、なんとも味わい深い時間が流れる。
昨日も、妹の帰省にあわせて、銚子のほうまで父と一緒に日帰り旅行に出かけた(妹がいるとドライブ旅行に出かけられる…)。子どもの頃は、運転席に母、助手席に父、後ろに子ども3人が並んでいたのだけど、今は運転席に妹、助手席に私、後ろに父が座る。
音はラジオ。昔はラジオのほか、母の持ち込んだカセットテープやCDを流していることも多かったけど、音楽はさすがに揺さぶりが強すぎて、まだな、どうかな、と、今のところ持ち込まずじまいでいる。
銚子に着いて、海岸線をドライブして、久しぶりにだだっ広い太平洋を見渡して、素朴な千葉の波音に聴覚を飲み込まれて。展望台にのぼったり、お刺し身食べたり、眼前に海が広がる露天風呂につかったり。
日帰りだったので、のんびりとはいかなかったけど、狙いどおり銚子方面はさほど混雑なく、車通りも人通りも少ない(というか全然いない)通りを走り抜ける時間が長くあって、いい旅だった。お天気はくもり空だったけど、雨にもほぼ降られず済んだし。
地元に帰ってくると、晩は兄一家と落ち合って食事会。孫たちに中華料理の回るテーブルを体験させたいという父の指令を受けて、近場の銀座アスターを手配。予約の電話で「回るテーブルの席を…」とお願いしておいた。甥っ子が楽しげに回していて、ミッション完了。
ちょこちょこと兄一家との食事会は開いているけど、今回は帰省中の妹も参加できて良かった。お盆中だったから、母も参加していたかもしれない。とりあえずお墓参りで会えたので、今夏は家族みんなに会えた感がある。
みんな元気に集まれるのは、身にしみて嬉しい。みんな元気で健康だったら、もう十分だという気持ちで心満たされるようになって早幾年か。この間古い友人と会ったときにも、そんな話をして、歳かねぇと笑った。足るを知るというやつですかな。
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