仕事は人のため
久しぶりにブログを書きつけている。前の話が「忙しいよー」という話で、それからもずっと「忙しいよー」の日々だった。朝7時過ぎからあれこれやり出して、週に2〜3日は朝から研修を納めにいき、帰ってくると研修を作ったり、演習課題を作ったり、課題の評価をまとめたり、提案書や設計書やレポートを作ったり、それをもってプレゼンやレビューや打ち合わせに行ったりして夜が更ける。ゴールデンウィーク明けから昨日まで、ほぼほぼ休みなく仕事に明け暮れていて、気がついたら6月も最終週である。
今9割がた我が身を捧げているクライアントさんは、当初は6月までに全部!という案件だったけど、おおもとの案件を走らせている間に、中堅向けも、役員向けも、子会社向けも、研修後のスキルチェックも…と、いろいろ別件のご相談をいただいて、一つひとつ提案しているうち、7月以降も継続してサポートさせていただく感じに。なので、7月に入っても、呑めや歌えやという感じにはならなさそうだ(いや、もともとそういうキャラじゃないけど)。
とはいえ、ここんとこの土日なし、平日も遅くまで働きづくめみたいな日々は、昨日をもってちょいと落ち着いた気がしないでもない(けど油断大敵なので、気ははったまま)。5、6月よりは、いくらか穏やかにいけるかもしれない見通し。朝プールも再開できそうだ。
さて、こうして働きづくめでしばらく仕事している中で、自分にとっての仕事っていうものが、すごくシンプルに見えた。やりたい仕事を長くやらせてもらっているので、もともと私にとっての仕事は相当シンプルに位置づけられていたのだけど、このもみくちゃ状態を駆け抜けながら最近ぽつんと思ったのは、仕事は人のためにやるという、私にとっての当たり前だった。
「人は何のために仕事するのか」という問いを立てて、「自己実現」とか「生計を立てるため」とかいう論争を展開したいわけじゃない。人は人。何か掲げたければ掲げればいいし、掲げたくなければ掲げなくていい。そういうのに巻き込まれる系の話じゃなくて、私にとっての仕事の話だ。
あれやこれや、仕事するメリットとかはもう置いておいて、もっとプリミティブで、もっと大前提にあるもの。「人のために仕事する」っていうのが自然で、素朴で、自分にフィットして、もうそれで十分というか。
もちろん、それは、とはいえ体を壊さない程度のバランスをとってやれているとか、会社がきちんとお給料を毎月くれて安定的に生活できているとか、やりたい仕事をやらせてもらえているとか、そういう前提があって思えていることだと思うんだけど。
ただ、仕事の過程や結果を通じて、自分のスキルが上がるかとか、会社から特別な評価をされることに主眼を置いて仕事しているわけじゃないし、できるだけそういう説明に時間を費やさず、お客さんのために働く時間に仕事時間をあてたい。
相談くださったクライアントさんの役に立ったら嬉しいし、そのクライアントさんが果たす社会的役割が社会の誰かの役に立ったら嬉しい。そして、参加した一人ひとりが、それに対する興味・知識・スキル・経験値を高めて、その人のキャリア形成に良い風を送れたら、こんなに嬉しいことはない。
自分の仕事が、社会の利益や組織の事業と、個人のキャリアの両立に貢献するなら、こんなにありがたいことはない。私の仕事観は、そういうもんだなと、なんかすごくすっきりと心のうちに感じとれて、今の仕事、そういう働き方を許してくれている今の職場環境をすごくありがたく思った。
私も20代の頃は、もっと専門的に人のキャリアをサポートできるようになりたいとか、キャリアカウンセラーの資格を取ろうとか、自分の側に目を向けて仕事との関係を考えていた時期が多少はあった気がするんだけど、今はお客さんが叶えたいことや抱えている問題に目を向けて、その人のために自分ができることをやれるだけするというだけになって、すっきり自然体、すごく楽である。
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