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2017-02-05

母の七回忌

もう丸6年も会っていないとは…。久しぶりにこの母の写真を見て、ぽろっとこぼれたのは、そんな思いだった。

この写真は、母が撮ってくれと言って、亡くなる1ヶ月前に私が撮った写真。新年明けて早々、2011年1月2日の彼女。年末に癌が見つかって、唐突な余命宣告から1週間も経っていない。

入院から数日で正月を迎え、元旦に病院の外泊許可がおりて、おうちに戻ってきた翌日のこと。彼女は洗面所でしっかりメイクをすると、写真を撮って!と笑顔でリビングに入ってきた。一瞬にして、遺影を…と察し、笑顔でうなずき引き受けた。そして、このひと月後に彼女は逝ってしまった。

今日は、母の七回忌法要だった。三回忌のときは、締めの挨拶を急にふられてお話ししたのだっけ。どんな挨拶をしたのか書き残してあるのを読み返すと、懐かしいと言えるくらいに時が経過していて驚く。

彼女に最後に会ってからは、もう丸6年か。こうやって振り返ると、そのすべてを時間という概念が呑み込んでいくように感じられる。私が抱えこんでいた彼女を失う苦しみも、当時はあんなに私を支配していたというのに、6年経って、穏やかで異質なものへと変わってしまった。

100年も経てば、たいがいのことは時間に呑み込まれてしまうのかもしれない。後に残されるものは、一個の人間が視界に収めるにはちょっと大きすぎる類いのものばかりなのかもしれない。

今日は、伯母夫婦や、いとこが子どもを連れて来てくれて、わいわいにぎやかに御斎の時間を過ごせた。

20年前の古いプリンタがうまく動かないんだけど、ストーブで温めると動くのよねぇとか、インターネットってピーヒョロヒョロってつなぐのでしょとか、ふぉーとうなってしまうおしゃべりも堪能できて、伯母たちの話に聴き入ってしまった。

伯母たち用に母の子ども時代のアルバムを、いとこ用に私たちが子ども時代のアルバムを厳選して持っていったのだけど、どのアルバムを持っていくか選ぶのに、実家で数十冊のアルバムをめくり、1時間たらずでやったものの、それもまた豊かな時間となった。

親戚で集う機会もなかなかなくなってしまったけれど、今日は久しぶりの面々に会えて尊い時間を過ごせた。親戚から母との思い出話を聴かせてもらう度、彼女のさりげない優しさに触れる。「思慮深く、人を大事にする」という彼女の当たり前を、静かに受け継いでいきたいと、その度思う。

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コメント

もう、そんなに経ちましたか…。
お通夜の日は寒かったような記憶があります。
色々悩みがあっても生きていることの幸せをかみしめないとね!
最近、大学時代の友人と疎遠になっているので、それこそ生きているうちにしかできない、会って飲んでくだらない話して、ってのをやらないとなと思います。

そうそう、お通夜の日に来てくれたね。
本当にありがとう。
冠婚葬祭じゃない普段に、会って飲んでおしゃべりしたいね。
昨年はKさんに会ったんだよー。って年賀状に書きましたね。
色々悩みがあるお年頃かしら。ぜひ今年は会いましょう。

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