« 2017年1月 | トップページ | 2017年3月 »

2017-02-09

2回目の目の手術、その後

私は両目に翼状片(よくじょうへん)という病気を患って、2年半前に右目、2ヶ月前に左目の手術をして、それを切除した。

その体験記をブログに書き残してきたので(「目の手術(翼状片)」というカテゴリーにまとまっています)、私のブログには「目の手術 怖い」とか「翼状片 云々…」といった検索ワードで訪れる人がけっこういる。

のだけど、特別そういう人たちに向けて書いたのでもない個人的な吐露に終始してきたため、このことを気に病んで検索してきた人にとってバランスのとれた文章にはまったくなっていない。私のおぞましい体験記を読んだとすると、「よっしゃ、手術受けよう」とは、なかなかならないだろう。どちらかと言えば、手術を踏みとどまるほうに作用するに違いない。というのが、ずっと気になっていた。

なので遅ればせながら、ここに書き残しておきたい。終わってしまえば、やっておいて良かったと思っています、ということを。両目とも術後は順調にきているし、目には今まったくカケラが見当たらない。再発率が低い手術をしてもらったおかげもあってか、右目は2年半再発していない。運よく、腕のいい先生に執刀してもらえて、術後もしっかり診てもらえたというのは大きい。その環境あってこそと思うけれど、手術した決断に後悔は一切ない。

最近手術した左目のほうは、今ひと月おきに眼科に行って経過を診てもらっている。昨日は術後2ヶ月経ったところの診察、「今のところ順調ですね」と言われて安堵。ちなみに先生はいつも「今のところ」という言葉を欠かさない…のを私も聞き逃さない。あ、でも、右目はいつからか「今のところ」が消えた、そういえば。

この2ヶ月間は、冷蔵保存しなきゃいけない目薬(リンデロン)をさす必要があって、最初の1ヶ月は日に5回、そこから1ヶ月は日に4回、時間を守って点眼していた。保冷剤にはさんで目薬を持ち運び、家と会社では冷蔵庫に入れておくのが地味に大変だったけど、今回の診察でリンデロンとはおさらばだ。

この後は、リンデロンの1/3くらいの効きの目薬(フルメトロン)を日に4回さして、また1ヶ月後に診察に行く。たぶん、もう数ヶ月良好に進めば、通院は2ヶ月に1回ペースになり、目薬はドライアイを防ぐヒアレインというのに変わる見込み。それで1年かそこら、様子を見ていくことになる。

あとは再発防止策で、紫外線を避けた生活(ハット型の帽子、サングラスなど)はずっと続く。どこまでやるかは人それぞれだろうけど、私はもうあの手術は嫌なので、わりとこまめに装着している。日中に外で会うと、ずいぶんと野暮ったい人である。

これに今は防寒対策のニット帽とか、これからしばらくは風邪防止と花粉症対策のマスクが加わって、カバンにはいろんなものが入っている。さすがに帽子とサングラスとマスクの3つ装備だとだいぶ怪しいので、場所に合わせて2つまでに収まるようにしている。

屋内や地下鉄ではマスクのみ、表を走る電車や地下鉄でも外に出る区間はマスクとサングラス、外を歩くときは帽子とサングラスなど、なんやかんや小まめな入れ替えが必要になる。それでも、あの手術に比べたらなんてことはない。

もちろん人によって気になるポイントも環境も様々だから、これは一体験記に過ぎない。ただ、検索して訪れた人に、やっておいて良かったと思っていることは伝えないと、と思って書いた。わりに、関係ない話がだらだら続いてしまったけど。

これで、目の手術にまつわる話は終わりになるかな。ぜひとも、そうしたい。あとはプール通いを再開できたら、私的には通常モードに戻れる。リンデロンが終わったので、そろそろ再開だ。

2017/6/12の追記:その後の経過。手術から3-4ヶ月目はフルメトロンを日に4回、5ヶ月目は日に2回、6ヶ月目は日に1回になり、半年経ってフルメトロンの処方は終了。
ドライアイ症状もあるので、引き続きヒアレインはさしていくのだけど、次は3ヶ月後に見せに来ればよいとのこと。お若いのに(眼科患者的には…)再発の兆候もないし、たいへん良いですね!とのこと。良かった!

2017-02-05

母の七回忌

もう丸6年も会っていないとは…。久しぶりにこの母の写真を見て、ぽろっとこぼれたのは、そんな思いだった。

この写真は、母が撮ってくれと言って、亡くなる1ヶ月前に私が撮った写真。新年明けて早々、2011年1月2日の彼女。年末に癌が見つかって、唐突な余命宣告から1週間も経っていない。

入院から数日で正月を迎え、元旦に病院の外泊許可がおりて、おうちに戻ってきた翌日のこと。彼女は洗面所でしっかりメイクをすると、写真を撮って!と笑顔でリビングに入ってきた。一瞬にして、遺影を…と察し、笑顔でうなずき引き受けた。そして、このひと月後に彼女は逝ってしまった。

今日は、母の七回忌法要だった。三回忌のときは、締めの挨拶を急にふられてお話ししたのだっけ。どんな挨拶をしたのか書き残してあるのを読み返すと、懐かしいと言えるくらいに時が経過していて驚く。

彼女に最後に会ってからは、もう丸6年か。こうやって振り返ると、そのすべてを時間という概念が呑み込んでいくように感じられる。私が抱えこんでいた彼女を失う苦しみも、当時はあんなに私を支配していたというのに、6年経って、穏やかで異質なものへと変わってしまった。

100年も経てば、たいがいのことは時間に呑み込まれてしまうのかもしれない。後に残されるものは、一個の人間が視界に収めるにはちょっと大きすぎる類いのものばかりなのかもしれない。

今日は、伯母夫婦や、いとこが子どもを連れて来てくれて、わいわいにぎやかに御斎の時間を過ごせた。

20年前の古いプリンタがうまく動かないんだけど、ストーブで温めると動くのよねぇとか、インターネットってピーヒョロヒョロってつなぐのでしょとか、ふぉーとうなってしまうおしゃべりも堪能できて、伯母たちの話に聴き入ってしまった。

伯母たち用に母の子ども時代のアルバムを、いとこ用に私たちが子ども時代のアルバムを厳選して持っていったのだけど、どのアルバムを持っていくか選ぶのに、実家で数十冊のアルバムをめくり、1時間たらずでやったものの、それもまた豊かな時間となった。

親戚で集う機会もなかなかなくなってしまったけれど、今日は久しぶりの面々に会えて尊い時間を過ごせた。親戚から母との思い出話を聴かせてもらう度、彼女のさりげない優しさに触れる。「思慮深く、人を大事にする」という彼女の当たり前を、静かに受け継いでいきたいと、その度思う。

2017-02-02

入れ替わる手段と目的

先日スマートニュースさんを訪問したときに、「みちくさ」(*1)という冊子をいただいた。2015年10月発行、非売品らしい。同社の皆さんが執筆陣で、01号では特集する「アラン・チューリング」の道しるべとして、独立研究者の森田真生さんを迎えている。

表紙をめくると、スマートニュース代表取締役会長、鈴木健さんの「みちくさ」から文章が始まる。ここに、ごくりっとさせられる一節があった。

人生に目的があるならば、手段もあるはずである。普通の人はそう考える。だが、手段と目的が倒錯し混線するのも、また人間の生命たる所以である。

今の世の中、どちらかと言えば「それは手段と目的を取り違えてるよ!」と指摘したり、指摘されたりがポピュラーだ。ときに、誰からみても、どんな状況にあっても、手段と目的は入れ替わることがないと、普遍的な原理原則でもあるかのように”間違い”を指摘する声も聞かないではない。

確かに、ある組織、あるプロジェクトといった共通目的のもとに事をなす文脈においては、そういうことは言える。逆に言えば、そういう前提がないと複数の人が集まって事をなすときに皆が納得する結論の導きようがなく、チームワークが働かなくなってしまう。

ただ、そういう特定文脈を取っぱらって、ひとりの人間のもとに戻して考えてみたらどうかというと、わりと手段と目的って倒錯し混線しているものかもなって、ごくりっとした後、脱力した。

学校に行くのが目的、その手段として今この道を歩いている。会社に行くのが目的、その手段として今この電車に乗っている。知識を習得するのが目的、その手段として今この本を読んでいる。仕事で成果を上げるのが目的、その手段として今このスキルアップに励んでいる。相手との合意を取りつけるのが目的、そのために今この人と議論している。

特定文脈にのせて見れば、そりゃそうなのだけど、ひとりの人間の人生からみると、途中の道草や、電車に揺られている時間に意味を見出していたり、何かを知ること自体、何かができるようになること自体、何かを作り出すこと自体、人と議論したり話し合うこと自体を、成果がどうあれ楽しんでいることもあると思う。振り返ってみれば。

高い名声と報酬を得るために始めたことが、いつしか、それ自体を面白がる自分を作りだし、もっと突き詰めたくなって高い専門技能や矜持を育むことだってある。一方で、ただ面白いと思ってやり続けてきたこと、作りこんできたものが、匠の技として高い名声や報酬につながることもある。

手段と目的は、ある枠組みを取っぱらえば、ひとりの人間の中で、わりと倒錯し混線するものなんじゃないか。特定文脈という枠組みを無視して、誰にでも、どんな状況にも通用する固定的な「手段と目的の分別」があると信じ、それを誰かれ構わず、所構わず人に強いて、自分と合致しない人を馬鹿にするような態度は、それこそ偏狭で滑稽な感じがしてくるのだった。

振り返れば、人生の美しい瞬間は、学校にまっすぐ行くつもりが蝶と花に心を奪われた、あの道草にあったと懐古する人は多い。道草は余計なものではなく、人生そのものであったと気づくのは、常に後からと決まっている。

ここだけ取り出して引くと、ちょっとキザかもしれないけど、「手段と目的が倒錯し、混線する」具合を、自分にしても、人のそれにしても、丁寧にみてとる気持ちは大事にしたい。

先日、友人らが話しているPodcastを聴いていたら、年配者が若い人に仕事を教えようとするも、どうもうまくいかないっていう話が出てきたんだけど、これはいろんな業界にある気がしている。そこで私たちが(年配者側として)できることは、ひとつに「それの面白さを魅せること」なんだろうなって思う。

やって魅せる、やらせて魅せる、語って魅せる、いろいろあるけれど、そのいろいろをそばでやり続けている先輩が身近にいる環境で育まれるものって、きっと大きいだろうと思う。それが一番実現しやすいのは、毎日通う職場だ。

憶測で世代論めいたことを言うのは健全ではないけれど、試しに言っちゃうと、今の若い世代というのは、自分たち世代と比べて、より効率化が目的化されたガチガチの世の中を生きてきた感がある。効率的なことが良いこと、これよりあっちのほうが効率的だから正しいというのを、幼少期からいろいろと耳目に触れる時代に生きてきたのではないか。

そういう世の中で育ってきて社会に出た今、まず触れたらいいのは、ずっと手段と言われてきたものを目的とみたり、ずっと目的と言われてきたものを手段とみたり、自分の中の倒錯やら混線した状態にはまることなのかもなぁとか、ぼんやり思う。

もちろん、そんな行ったり来たりを、私なんかよりずっと前から存分に楽しんできた若い人もごまんといると思う。でも、もしそうでない若者がいるなら、先輩は、こうやってやると効率的だよって指導ばかりではなくて、こうやったりするのが自分は面白いんだとか、こういうところに自分はこだわりたいんだってことを魅せていくのが大事なんじゃないかなぁと思う。

私の周囲には、作るのが楽しい、インターネットは素晴らしい、人と議論するのが大好きだという同世代や先輩がたくさんいる。こういうものが若い世代にシェアできたら、それが一番じゃないかなぁと。少なくとも若いときに私を育んだ最たるは、そういう先輩や職場環境だった。まぁ、だから別に世代論じゃないか。世代を超えて共有価値をあることって、そういうことかなぁと思う。

なんだか、どこに向かって何を書いているのかわからなくなってしまった道草語り…。

*1: スマートニュース「みちくさ」

« 2017年1月 | トップページ | 2017年3月 »