レジは素手
正月モードは、いつも駆け足で去っていくけれど、今年は特にそうだ。つい2週間前、「明けまして…」と言っていたなんて信じられない。今は、ただただ寒い冬だ。今年はなんだか、年始めから途切れることなく働いている。週末もいろいろ、考えること、確認して返すもの、作るもの、整理しておくことに事欠かず、あれをやったらこれ、これをやったらあれと、うなり続けている。週末にそんな時間がもてるのは、暇な人間の証拠だが…。
気分転換にあっちこっち移動しながらやっていると、とあるコーヒー屋のレジで、店員さんが調理用の手袋をしたまま支払い対応するのに遭遇した。サンドウィッチと紅茶を注文すると、「◯円です」とお代を言われ、私は代金をトレーにのせて待機する。店員さんが注文の品を用意して戻ってくると、「◯円お預かりします」「◯円のお返しです」と言って現金を扱う。その手には、白くて極薄の調理用とおぼしき手袋がされたままである。
私は、こういうの前にもどこかであったなぁと思いつつ、その手から目が離せなくなってしまう。手を凝視したまま、あれこれの考えが交錯する。お金を触る手と、食べ物を触る手を分けたいから手袋を使うのに、この手袋してお金を触ってしまったらダメなんじゃないのか?というのが、当然最初にわく疑問なのだけど、早合点は良くない、これはいけないことなのか冷静に考えてみなければと思い直す。
もちろん、このレジ対応の後に、また同じ手袋で他の客の食べ物を触りだしたら、これはアウトだ。それをしかねない危険は大いに感じられる。というか、私の前のお客さんのときから、この手袋はつけられていたのかもしれない。すでにお金を扱った手袋で、私の食べ物を触っている可能性も大いにある。私はそれで食べる気を失うほど繊細じゃないので胃袋的にはどうってことないのだが…、手袋の目的に適っていない振る舞いというところは気になってしまう。
でも、一回使い切りの手袋で、客ごとに手袋を替えているのだとしたら、話は別だ。その回のお客さんを待たせぬよう手袋のままレジ対応してしまって、次のお客さんの対応前に手袋を替えるのであれば、これは支障ないということになるのだろうか。だいぶ贅沢な使い方の気はするけれど、ありえないとは言い切れない。
いや、そうであったとしても、この薄手の手袋でレジ対応するのは妥当だろうか。客側の違和感は残るだろう。もしかして、これは調理用ではなくお金を扱う用の手袋で、お札を数えやすいとか、小銭で手が汚れないとかいうメリットを享受しているということは…。でも他の店員はしていない。他の店舗でも見たことがない。宝飾店でもないし。やっぱりこれは不自然。客としては、ちょっとぎょっとするのが普通ではないか。
ここにこれまで書いたようなことを考えて不自然を体験する客は、果たして世の中の何割くらいを占めるものだろう。この店員さんが、これを不自然に感じないとすれば、不自然に感じない客も何割かはいるということになるのか。あるいは、この店員さんも客側にまわったら、これを不自然と感じるのだろうか。
店員さんは、なぜ手袋をはずさないのだろう。極薄の手袋だと、つけたり取ったりが厄介そうではある。面倒くさい、大した問題じゃない、客を待たせたくないと思う店員さんと、わりに気になる客の心理の不一致によって生じるのか。謎は深い。
という文章をぐだぐだ書くくらいには、まだ余裕があるということ。相当である。今年も楽しく頑張ろう。
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