モデルの話、個々の話
今日Facebook上で「キャリアモデル」の話になって、わりと長めのやりとりになったのだけど、その途中で勢い余って「モデルと個々の話」を、長文ひとりごちてしまった。
そこではあくまでモデルの話をしていたので、個別のケースを巻きこんだ話は論点とずれるものだったんだけど、ここしばらくもぞもぞ考えていたことが、わーっと書き起こされたがる現象が脳内に発生して踏みとどまれず、あさっての方向にひた走る文章を、会話中に挿しこんでしまった。
Facebook上で(そうと知らず)長文読むはめになった方には申し訳ないことをしたのだけど…、個人的には体の外にはきだせてすっきり、きっかけをくれたことに感謝。
〜ということで、本来収まるべきだったこっちのほうにひっそり残しておく。以下は、ひとりごちた文章ほぼそのままコピペなので、ここだけ読んでもわかりづらいと思うけど、いつかのときの私用メモということでご容赦ください。
キャリアカウンセラーの立場からすると(私の性質にすぎないかもしれませんが)、あまりモデル化を推し進めて、抽象的な枠組みが個々人の生き方を規定していく、みたいな展開を恐れています。
私の根っこには、「人は誰しも例外(規格外)である」という考えがあって(ユングの言葉ですが*1)、そのもとに人に向き合いたいと思っているので、モデルをできるだけあてはめずに、よくよくその人の話を聴いてみたい…というのがあります。
「独身は」「DINKSは」というのも一つの枠組みですが、キャリアカウンセラーは個人をみるのが基本なので、私としてはどちらかというと、こういう枠組みをあてて個人を位置づけてかからないように…という意識というか、無意識のほうが先にたつタチです。時と場合によって視点を変えられる必要はあるとは思っているのですが。
例えば介護の問題にしても、その人に親の介護が実際に発生するか、両親かどちらか一方か、発生したとして何歳時点でどれくらい重度のものを抱えるか、何年続くか(がわからないわけですが、50歳で介護を終えた場合、その人には50歳以降のまた仕事人生があったりもするという意味で)、一人で支えるか、家族や親せきと分担できるか、割ける資金はどれくらいあるか、デイケアで施設に預けるか、寝泊り含めて施設で生活してもらうか、仕事とどうバランスをとるか、本人が親の介護とどうつきあうスタンスでいるかなど、介護一つとっても年齢だけでは語れない個人差があるので、キャリアカウンセラーという立場でいうと、その一人ひとりの状況や思いに対して、その人の答えを一緒に考える役割を果たしたいという思いがあります。介護は、多くの個人差をうむ一つの要素に過ぎないので、それ以外のいろんなその人のことを踏まえて。
抽象化されたモデル、パターンから一定の示唆は得たいし、専門でやるなら、その責任もあると思いますが、実際場面ではそれらの知識と距離をとって、その人が答えを出すサポートがしたいと思います。ゆえに、あまり「こういうふうにキャリアパスを形成すべし」という一般的な考えを、私は持っていません。
持っている人が提言することに意義はあると思うし、私がそういう意欲と能力に欠けているという話なのは重々承知しているのですが、私はそこでは、うまいこと人の役に立てないだろうと思っています。
なのに、おまえ、登壇なんかしてるのか!って話はあるかと思いますが、それでも私は、モデルを知ることで、「1つと思っていたものに選択肢がある」と知って思いこみから解放されることは有意義だと思っていて、とくに短時間&1対多に向けて話す構造で、私が話し手としてできることを考えると、それ以外にないと思うので、数十分の講演を引き受けた際は、そういう話に落とし込むようにしています。
*1:Carl Gustav Jung "Every individual is an exception to the rule."
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