« 静けさという音 | トップページ | 年末のラブリー案件 »

2016-12-26

過剰に働くことの是非

自分のやりたいことが、たまたま仕事とかぶらなかったら好き放題にできて、たまたま仕事とかぶってしまって、それがいわゆるサラリーマンの仕事だった場合、1日何時間以内になさい、深夜労働はダメなどの不自由を強いられるのはちょっとおかしい気もする。

過剰に働かせてはダメという規制が、過剰に働いてはダメという規制と直結しない仕組みを練る必要があるということか。

組織が過剰に働かせることは規制しつつ、個人が過剰に働く自由を奪わない。

日々の暮らしを大事にして長生きしたい人もいれば、命を削ってでも何か一つのことをやり遂げたい人もいる。そんな単純な言葉で二分できず、仕事観も人生観も人の数だけあるし、ひとりの中でも変化する。

両極に価値が見出せる世界に生きている前提に立つと、個人の自由な選択を保障するには、知恵をしぼって中庸な介入方法を創り出さないといけない。おそらくは言葉を使って。

というようなことを最近もやもや考える。時勢に照らして、まともなことを言っているかどうかは、よくわからないけど。

« 静けさという音 | トップページ | 年末のラブリー案件 »

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 過剰に働くことの是非:

« 静けさという音 | トップページ | 年末のラブリー案件 »