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2016-11-18

講演の心配ごとと顛末

昨日の木曜日、とある会社の全社イベント内で30分ほど講演するという大仕事を終えた。半年以上前からお声がけいただいていたもので、会場は都内の立派なホール、300人ほどを前に30分間、「ためになる小噺」を披露するというもの。身に余る大役だったけれど、どうにか無事に話し終えて、直後に10人くらいに感想を聴いたかぎりでは、うまく受けとってもらえたようだったので、ひとまず、ものすごーくほっとして帰途についた。

今回の講演は、何層にも重なる心配ごとがあった。一つは、自分が準備した話が、本当に今回の参加者にとって「ためになる小噺」に仕上がっているのかという内容の問題。この案件をもって強く意識したことなのだけど、私の仕事は長いこと「流通より制作側」「商人より職人」の皆さんとの関わりに偏ってきた。今回「前者」側の皆さんにお話しするとあって、なんかしっくりこない…といったことを無意識にやりかねない自分、それをまたうまく自己評価して修正できないだろう不安をずっと抱えていた。そのあたりは、できるだけ主催する企画側の人たちにお話を伺ったりしながら準備をしてフィットさせるよう努めてきたのだけど、それが奏功してまずまずうまくいったのかなと。一息ついて、企画・運営を支えてくださった方々には、改めて心から感謝の念を抱いた。

また不安の一つは、その内容を壇上で時間内に自分がうまく伝えられるのかという問題。初対面の人たちを前に、それも社内のイベントに乗り込んでいって、ひとり「外の人」として話をする。30分で、関係を作って、自分が大事に思っていて皆さんと共有したいことを、自分の言葉できちんと、わかりやすく、意味と熱をもって伝えることができるのだろうかと。

登壇の場数は決して多いとは言えず、そもそも自分がどれくらい緊張するのかも読めない。どこかでぽんと頭が真っ白になってしまう恐れも抱えていて気が気でなかった。で、一応困ったときのあんちょこメモというのを紙で出力して、演台まで持っていった。本当に困って、最悪どうしようもないときには、1分止まるより、これに頼るほうがまだましだろうと。

結局、意識は正常を保ち、頭はそこそこ冷静だったので、概ね考えていた通りに話せて、時間もちょうどに収まった(緊張の表れは手汗に出て、手は口ほどに物を言う…と思った)。客席がよく見える落ち着いた照明にしてくれていたし、客席の皆さんも最初から声を出して挨拶を返してくれたり、挙手アンケートに協力くださったり、話している間も笑ってくれたり、うなずいてくれる人、目をあわせてくれる人、メモを取ってくれる人とあり、ものすごく話し手に優しい素敵な人たちだったのだ。そういうコミュニケーションに大いに救われ支えられて話をすることができた。なんか、これもまた、改めて振り返ってみて、感謝、感謝なのだった。

最も情けない、しかしこれが万全でなければどうしようもないというのが健康問題だった。実は1週間ほど前に風邪をひいてしまい、よりにもよって講演当日は喉がやられていた。ここ1週間は、だいぶ家に引きこもって熱心に寝ていたのだけど、必死に療養にあたっても一向に治る気配がない。

講演当日の朝、まずコンビニの店員さんに返そうとした声がうまく音にならず、う、うわわ…、これはまずいと焦った。「う、うんっ」と咳払いして、改めて「はいっ」と大きな声を試みる。コンビニのレジ会話に似つかわしくない威勢のよい声が出て、う、まぁ、出ないことはないっぽいと胸をなでおろすも、ものすっごいかすれまくっていて、またびびる。これはまずい。

しばらく声を出していなかったから出し慣れていなくてこうなのか、はたまた喉が絶不調まっただ中で声が出ないのか、しばらく出してみないことにはちょっとわからない。いずれにせよ今日は無理やりでも、一旦朝のうちに人と話して声を出すというのを取り戻さないとまずいなと思い、朝に立ち寄った会社で早朝出勤している同僚に、やたら大きな声で遠くから声をかけ「おはよーございますー」と挨拶して発声の具合をみるのにつきあってもらった。

やっぱりハスキーボイス。でも、今日お話を聴く方のほとんどは私の平常時の声を知らないわけだから、私がもともとハスキーボイスなんだということにしてしまえば問題ないのではないか…と思い至る。

問題は咳だ。数日前から声を出そうとすると咳が出たので、喉を痛めてしまってはまずいと思って、ほとんど声を出していなかった。講演の練習で、ぼそぼそとベッドの中でつぶやいたりしていると、少ししたところで喉がいがらっぽくなりゲホゲホ言い出して止まらなくなったりしていた。これが壇上で起こったら、もう最悪である。

花粉症の薬「アレグラ」の取説に「副作用:悪夢」と見て以来、西洋薬に拒否反応が出るようになってしまったのだけど、当日はもう仕方ないので西洋薬に恐る恐る手を出して「ベンザブロック咳止め錠」を朝、昼と2回飲んだ(遅い…)。あとは、のど飴を1時間おきくらいに一粒なめ、イベントの休憩時間ごとに水を含んでのどを潤し、夕方の講演本番まで、あとは神頼みするほかなかった。

で、結局本番で咳き込むことはなく、マイクがしっかり会場内に声を届けてくれたので、無理なくお話しすることができた。いやぁ、良かった…。後にも先にも、これほどの大舞台で表に立つことはないだろうというのに、なんというぎりぎりなコンディション…。本当に情けない。

話しだすと、もう本当にあっという間で、気がついたら終わっていた。やっぱり全然冷静に自己評価などできず、実際どうだったんだろう…と思いながら、お辞儀をして、拍手をいただき、中央で花束を頂戴して、壇上から降り、諸々荷物をまとめて会場内の席に戻ろうとした。

そこに、その会社で仕事の打ち合わせをさせていただいている面識ある方々が、客席から出てきてくださっていた。顔をあわせると、すごく良かったとか、周囲もメモを取っていたとか、いくつか感想を聴かせてくださって。な、、なんてありがたい人たちなのか。すでに私を知っている方々なので、他の方々より好意的に話を受け取ってくださる可能性が高いとはわきまえつつも、それはそれとして、もうこの心配りだけで白米三杯いけます!というくらいにありがたかった。

このお仕事は、普段裏方を専門とする私からするとたいそう不慣れな表の仕事で、準備過程から当日までたくさんの学びがあった。そして、ものすごーく感謝の気持ちに満たされたお仕事だった。というだけでなく、日が明けて振り返ってみると、講演の直後以上に、この仕事は私にとって独特のインパクトをもつ出来事になっていた。

ちょっと、変わりたいなぁと思うようになっていた。それがなんなのか、具体像はよくつかめていない。ただ、受託稼業の裏方とは別に、自分が大事にしているものを、自分の言葉でつかまえてみて、それを人に伝える表現にして共有を試みるという一連のチャレンジを、講師を介さず最後まで自分の素手でやり遂げるという内的エネルギー生成みたいな体験に感化されたのか…(わかりづらいが)。しばらく、ちぢこみすぎていたのかもしれない。そろそろ、ようやっと、喪が明けるのかもしれないなぁ、と。もう少しで七回忌(母の)なんだけど、時間のかかる者よ…。

今日は風邪で休みをもらったのだけど、主催者の皆さんへのお礼だけは今日のうちにメールでお送りしたいと思い、陽の高いうちに会社に行って、先方にメールを出してきた。今回の機会をくださった方々には、静かに熱く、心から感謝している。講演の中で熱まではうまく届けられなかった気がするけど、この体験を通して、自分が講演で話したことが、私が本当に大切にしていることなんだと思えて、それも良かった。

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