編集者は足を使う
TOKYO WORK DESIGN WEEK 2016 #TWDW2016 (*1)の「リーダーには編集力が必要だ。」に参加した感想メモ。
登壇した練達の編集者お三方、お話の中で用いる言葉の選び方や紡ぎ方が研ぎ澄まされていて、「地味にすごい」という印象と敬服の念を持ち帰ってきた。派手なパフォーマンスがあるわけでもなく、話すテーマを細かく決めてあるわけでもなく、3人軒先に腰かけてラフに話し合っているふうなのに濃いぃというおしゃべりに聴き入った。
「編集は社会の解像度を上げる」だったかな、そんな言い回しもあったけど、まさにその場で発せられる言葉の解像度が高くて恐れ入った。世界の見え方は一様でなく、同じ世界をみているようでも、人によって大いに見えている世界の精細さは違うのだと目の前で突きつけられるようでもあった。自分より高精細な人がわんさかいるのは知っているけど、目の前で濃厚にやられると新鮮な意味をもつものだ。
編集者というのは、「どうそれを捉えるのか」って枠組みとか、「どこからそれを捉えるのか」って立脚点とかを、自分でしつらえる人って感じだな。「それ」を作り出す人や自然に対して敬意を払いつつ、「それ」を丁寧に受け取って、「それ」の捉え方にこだわる人。
たとえ人から見方を与えられたとしても、「それも一つの見方だ」と、その見方すら一つの素材として受け取って、他の見方を模索しだす。自分のなかに取りこむ前に「それ」の捉え方を吟味する過程をたどらないと、どうもしっくりいかない。全部が全部じゃないだろうけど。
そう勝手に見立てると、私は「それ」の捉え方にこだわって編集するところに軸足をおくようにして生きているので、職業は違えど、編集者という仕事にすごくシンパシーを感じるのだった。
お話を伺っていると、いろんな素材に直接触れに行っているのが、よく伝わってきた。現地に行く、現地を歩いて観る、人の話を聴く、足を使ってたくさん素材を集めているのが、登壇者の編集力を下支えしているように感じられた。
編集寄りの性向をもつ人間というのはだいたい、手元に素材がたくさん集まってくれば、自動的に整理したくなるものだ。それを抽象レイヤーに引き上げて分類したり階層分けしたり、そこにラベルをつけてみたりしたくなる。そうやって意味づけし、新しい価値づくりの再定義や再構築に動き出す。これを伝えたい人にどう伝えたらいいだろうと方法を練る。
そう考えると、何より意識的にやるべきは、どれだけいろんな素材に直接触れるべく能動的に動けるかってことかなぁと思った。自分が出不精だからこそ、不足点をそこに見出したのかもしれない。人によって、どこが自動的に走り、どこを意識的に走らせるべきかは違うのかもしれないけど…。
編集力を鍛えるとか、ものの捉え方を研ぎ澄ますとかって考えると、立脚点の置き方、枠組みの与え方をどう洗練させるか…みたいなことを机上で追いがちになるけど、ある程度机上で型を覚えたら、あとは実践と振り返りを通じて、時間をかけて伸ばしていくものだろうな。最近の仕事領域の広がりを考えると、型は型で、机上でも勉強しないとなって宿題がいろいろ山積みなのだけど。
ともあれ、オフのときにも意識的に心がけるべきは、いろんな素材に直接触れることなんだろうと思う機会をいただいた。その過程で、おそらく偶発的な出会いも出てくる。そうやって、表に出て行って、素材をみる目を広げて養っていくことが、自分にはもうちょっと必要なんだろうなぁと思った。
今回のテーマ「リーダーには編集力が必要だ。」は、終始あまり意識せずにお話を伺ったのだけど…、リーダー寄りの話では、
速く行きたければ一人で行け、遠くに行きたければみんなで行け(Fast alone, far together.)
というアフリカのことわざは、うまいこと言うものだなぁと心に残った。
紹介してくれた江口晋太朗さん、これは「あとに一人の足跡を残すのか、みんなが行ける道路を残すのか」というふうに言い換えて、言葉を解いていた。また、「みんな」というのは、何百人とかの数字で捉えて済むものではなくて、それぞれに名前があって人生があって志向や性格がある。その十人十色を前提に、丁寧に進めていく必要がある。こうした話を大事に話されていたのが印象的。
編集者に限らず、編集力を発揮するにはリーダーシップは必須だし、リーダーに限らず、リーダーシップを発揮するには編集力が必要だと思う。
*1: 2013年より毎年11月の「勤労感謝の日」にあわせて、渋谷の街を中心に7日間にわたって開催する国内初の“働き方の祭典”。過去3回で累計1万人を動員。企画運営は「& Co.,Ltd」。詳細はこちら。
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