個人的ブログ観
徳力基彦さんの「LINEブログがあまりに使いやすいので、なんかブログの楽しさを思い出してきた件について。」を読んで、むしろ私は「ブログ」にコミュニティという明確な線引きをするような機能を求めていないことに気づいた。
ブログという概念、あるいは自分が書く対象としてのブログについての話なので、ブログ×コミュニティを体現するLINE BLOG、Medium、noteといったサービスの価値を否定する気は毛頭ない。それはそれで(従来のブログとは別の)新しい価値をもったサービスだと受け止めている。
ただ個人的には、ブログとコミュニティとは、それぞれ別の概念として、それぞれを体現するサービスを使って、あくまで別物として連携させているくらいの関わりがフィット感ある。
私もブログを書いたときにはFacebook、Twitter、Google+にお知らせしているし、そこから友人・知人が読みに来てくれるのは、とても嬉しい。
一方で、GoogleやYahoo!を通じて「目の手術 怖い」とか「立川談志」とか「京都 前世」とか「余命宣告 かける言葉」とか「メディオーラ 歯ブラシ」とか「ブログ 電気毛布」とかで検索してやってきて、その1ページを読んで、ブログを後にしていく人たちもたくさんいて、それはそれでインターネットだなぁって感じられていいのだ。それが、私にとって自然な感じである。私もいろんな人のブログをそんなふうに読ませてもらっていることは日常的にあるし。
これまでそういうふうにサービスを使ってきたから慣れの問題でしょと言われれば、現時点でそれを否定する根拠はもたない。
ただ、なんとなく自分が書き手として触っているブログは、「ネットという大海原にぽかんと浮かんでいて、何のコミュニティからも独立しているフィードの束」くらいの感じがいいんだよなと思っていることを、これを読んで再確認した。
これは、おばちゃん化症状なのだろうか。その懐疑心も捨てないで定点観測を続けたいところだけど、基本は何でもかんでもコミュニティ化しないで、インターネットそのものの価値純度が高い世界に触れている日常も、自分のなかに残しておきたいってな感覚じゃないかと、今のところ腹のうちでは思っている。ブログ×コミュニティに全体が移行していくのではなくて、従来のブログのあり方(言わばブログ×インターネット規模のコミュニティ)も共存して、選べたり使い分けたりできる状態が続いていくと嬉しい。
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