推し本を語らう会
先日、友人が企画した「第0回 東京読書サミット」(*1)に参加してきた。本好きだから参加してみたらどう?と誘ってくれて、出不精の私を表に連れ出してくれた友に感謝。趣向を凝らした、とても楽しいイベントだった。
参加を終えて一番に思ったのは、「本を読み返す」という本とのつきあい方を大事にしようってことだ。本を読むのが遅いこともあって、仕事本以外はどうも、読み返すよりは新しい本に手を出しがちだったんだけど、参加した皆さんの丁寧な本とのつきあい方に触れて、手もとの本を読み返す豊かさを大事にしたいと思った。「この本はこれまで3回読んでいて、1回目は…、2回目は…、3回目は…」というのを何度か聴いたのだ。読み返すごとに受け取り方が変わるのも本の魅力だよなぁと、気持ちを新たにする機会となった。
しかし、どのタイミングをつかまえて、本を読み返すのか。仕事本だと、直面した案件をきっかけに思い出して手に取ることはままある。哲学書もわりとあるけど、小説となるとなかなか機会がない。そうこうしているうち、本棚の奥へ埋もれていってしまう。一つの棚の上に「手前」と「奥」を作って二重に並べだしたらもう終わりだ…。電子書籍も、やはり物理的に迫ってこないので難しい。手にとってみるきっかけが、自分の脳内から「そういえば…」と発動できるようになりたい。あとはきっと、豊かな時間感覚、というか1日24時間という枠組みから解放された感覚かなぁ。
それにしたって、魅力的な本は世の中にたくさんあって、この本いいよってお薦め情報も続々と入ってくる。これはもう、今だと思うタイミングで気分の乗っているときに、それを読んでしまうのが一番なんだろうと思う。そう思って、今回ゲストトークでお話しくださったスマートニュース執行役員の藤村厚夫さんの推し本(私の人生にとって大事な本)、太宰治の「家庭の幸福」も、短編だったので早速翌日に「青空文庫」で読んでみた。
ここ10年くらいで圧倒的に増えた行動の一つは、人に薦められた本を読むことだなぁと思う。魅力的な読み手の魅力的な紹介にひかれて、本を手にとり、小さな自分のうちに新しい扉を開いていく。
グループに分かれて自分の推し本を紹介しあう時間も楽しかった。それぞれに、その本から何を受け取って、どう自分を変えたのかを聴けて、いろいろその場で質問もできて。「推し本について話す」ことを媒介にすることで、短時間ながら初対面の人とも一気に深いところへ潜っていけるものだなと思った。
私も自分の推し本を持っていったのだけど、何を持っていくかはけっこう考えた。候補を挙げていったら30〜40冊くらいに膨らんでしまったので、これでは埒が明かないと、今一度「持ってきて」と言われている本のテーマに立ち返ってみた。
そうだった、「私の人生を変えた本」だった。というので、本好きの間では好き嫌いが分かれる作家だけど、村上春樹さんの本を持っていった。村上春樹といっても小説ではなくて、次の5セット。
「そうだ、村上さんに聞いてみよう」と世間の人々が村上春樹にとりあえずぶっつける282の大疑問に果たして村上さんはちゃんと答えられるのか?
「これだけは、村上さんに言っておこう」と世間の人々が村上春樹にとりあえずぶっつける330の質問に果たして村上さんはちゃんと答えられるのか?
「ひとつ、村上さんでやってみるか」と世間の人々が村上春樹にとりあえずぶっつける490の質問に果たして村上さんはちゃんと答えられるのか?
CD-ROM版 村上朝日堂 夢のサーフシティー
CD-ROM版 村上朝日堂 スメルジャコフ対織田信長家臣団
90年代から何度か、村上さんはホームページをもって読者の質問に答えるコーナーを持っていて、そのやりとりの一部をまとめたのが上3冊、あわせて1,102の問答。ホームページ上でのやりとり全部をまとめたのは、下のCD-ROM付きの2冊に入っている。ちなみに、対応OSはWindows95、Macは漢字Talk7.1、対応ブラウザはInternet Explorer3.0-4.0、Netscape Navigator3.0-4.0。挿絵は、安西水丸さん。いずれも朝日新聞社より。
これを読んだのは、自分が20代のとき。村上春樹というと、私は小説世界より、これらの本やエッセイに学んだところが多い。何かはっとさせられることが書いてあるというよりは、自分が10代からずっとおぼろげに育んできた価値観が、そこに言語化されて書かれていたという感じ。私の中では、言葉にできるほど意識化できていなかったものの見方、ことの捉え方というものを、あれこれの問答を通して、私に意識化させてくれた本が、この3巻だ。私の幼い思考を養い、自分はこういうことを大事だと思う人間なのかと意識化させてくれた、私の意識領域を拡げてくれた本と言える。
だから面白いことに、今回この本を持っていこうと決めたところで、本に折り目のついているところをざざっと読み返してみたのだけど、今読んでみると自分にとってすごく当たり前の、自然なことばかりだった。今となると、自分も言葉にして言い表せるくらい、私はもうそれを自分のものとして血肉化してしまっている感じがした。だから、これを通読することはもうないかもしれないけど、改めて20代の頃に読めてよかったなぁと思った。
もちろん、全部が全部意見が一致しているわけじゃなくて、ここは意見が食い違うなと思うこともある。だけど、物事をどんなふうに捉えて、どっちの方角に深掘りしていくのかとか、どこに相談者の死角となっていそうな一点を仮説だてるのかとか、思考の深掘り方を見せてもらうことができる。また、それをこの感じの質問者にどう伝えるのかという表現力にも触れることができる。
質問・相談コンテンツというのは、書き手がそれをどんな問題として捉えて、どう打ち返すかというエンターテインメントであり、回答のアプローチの多様さだけとっても面白い。真面目に語ったり適当だったり、慎重だったりゆるふわだったり、優しかったり厳しかったり、思慮深かったり強気だったり、寛容だったり偏屈だったり。全部の回答に一貫して寛容だったり、偏屈であるよりも、私はひとりの人間の回答から多様性が感じられるほうが人間らしくて嘘がない感じがして好きだ。
そういうものを千単位で受け取っていると、ひとりの人間の中に矛盾があることのほうが自然に感じられてくる。そのうち、自分の中にある矛盾も、身の周りの人の矛盾も、世の中に存在する二律背反も、当たり前のものとして受け入れられるようになっている。ひとりの人間の中にも、一貫性をもちたい意志と、多様性を自然とする性質が同居していて、その矛盾を生きながら、あっちゃこっちゃしている人間らしさを、私は愛おしいと思うのだ。そのぶつかりをどうにかしようとして、人が創造したり、人に優しくなったり、何かに立ち向かおうとしたりするのが好きだ。
本の厚みは、こうした人の多様性を包み込んで読者に届けられるのも良い。太宰治の「家庭の幸福」を読んでも、そう思った。矛盾した個体として、矛盾を抱えた世界に生きているのだから、そこから始めないとどうしようもないというふうに思える。
まとまりなく書き散らかしたけれど、すごく良い経験をさせてもらいました。ありがとうございました。
*1: 「読書するエンジニアの会」という読書会の有志によって企画されたもの。100回記念にイベントをうってみようというので、広く参加者を募集して開かれた。コンセプトは「読書をエンターテインメント化することを目指す」。通常の読書会含め、エンジニアではない参加者も多い。詳しくはこちら。
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