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2016-08-08

過去を変える、未来の作用

今年のリオデジャネイロ・オリンピックは生中継を観られる。NHKが実験的に、テレビと同時中継でWebサイトにも映像を流してくれているのだ。

テレビを持たない私は、長いこと生中継でスポーツ観戦する経験をもたなかったが、開会式翌日に行われた競泳400m個人メドレーの萩野選手が金、瀬戸選手が銅メダルを獲得したレースは、観ていて力が入った。

あとで動画を観るのとライブでは、やっぱりだいぶ感覚が違う。別に「動画よりライブ」と言いたいわけでもない。一通りを終えて振り返る体験には、また別の意味が宿る。

そうしたことに思い巡らせているうち、今読んでいる小説「マチネの終わりに」(*1)の一節と脳内でリンクした。

登場人物が少し前に亡くなったおばあちゃんの話をする。おばあちゃんは90歳になって足元もおぼつかなくなり、転んだ時に庭石に頭を打って亡くなってしまう。自分が子供の頃、よくテーブルに見立ててままごと遊びしていた石が、大切なおばあちゃんの命を奪うことになる。それまで何十年と、良い思い出の風景として在り続けた石が、未来の一件で意味を変えてしまう。その石を良い思い出の風景としてだけ思い出すことはできなくなる。

ギタリストはこう返す。

人は、変えられるのは未来だけだと思い込んでる。だけど、実際は、未来は常に過去を変えてるんです。変えられるとも言えるし、変わってしまうとも言える。過去は、それくらい繊細で、感じやすいものじゃないですか?

音楽もまたそうで、聴き始めは手探りでその主題の行方を追い、最後まで見届けたとき、振り返ってそこに広がる風景をよむ。

展開を通じて、そうか、あの主題にはこんなポテンシャルがあったのかと気がつく。そうすると、もうそのテーマは、最初と同じようには聞こえない。花の姿を知らないまま眺めた蕾は、知ってからは、振り返った記憶の中で、もう同じ蕾じゃない。音楽は、未来に向かって一直線に前進するだけじゃなくて、絶えずこんなふうに、過去に向かっても広がっていく。

繊細で、感じやすい人の解釈が「過去」の印象を塗り変え、意味合いを書き変えていく。大人になればなるほど、たくさんの過去をもち、未来の自分がその意味づけを変えていく機会に巡りあう。それは決していいことばかりじゃないかもしれないが、それでも点をつなげて、意味を深めて、価値を広げていくポテンシャルを、過去はたくさん秘めている。大人は過去持ちだから、そのことは大事にしたい。「今」もまた、「未来」に書き変えられていくのだと自覚しながら受け止めていきたい。

時も偉大だが、人間の解釈も偉大だと思う。そもそも「過去」というものが一時的な人間の解釈に立脚した、やわいものだと言ってしまえばそれまでだけど。

*1: 平野 啓一郎「マチネの終わりに」(毎日新聞出版)

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