「面倒くさくない」という指標
上司の代理で、とあるリーダーシップ開発の研究会に参加している。リーダーシップってよく、「リーダーとリーダーシップは別の概念であり、リーダーシップとはリーダーに限らず(広く全員に)求められるものである」と言われる。
が、本当にそうだろうか。改めて考えてみると、ちょっと結論に一足飛び感がないか?と疑問符を打った。「リーダーシップ」と「リーダー」、言葉が違うんだから意味だって違うはず。それはわかる。けど、意味が別なのと、「広く全員に求められる」はイコールではない。その「広く全員に〜」は、どこで拾ってきたのだ。
リーダーシップというのは、人材開発業界では常に脚光を浴びている安定のトピックで、いろんなところで研究がなされている。世に出ている「リーダーシップの定義」を数えたら200くらいあったという話も聞いたことがあるから、「広く全員に〜」がどれくらい一般的なのかも、よくわかっていない。私の捏造かもしれない…。
ともかく、この現状を地に足つけて捉えるに、それぞれの現場で「我々としてはリーダーシップをこういうふうに考えていくよ」って身内の定義を共有しないと始まらないってことだ。みんな、リーダーシップについてバラバラのイメージを持っているわけだから。
例えば、年次を考慮して“若手・中堅社員におけるリーダーシップ”を、
組織の上位方針や所属部署・担当職務の役割にもとづき、自ら目的に応じた仕事を作り出し、上司や関係者の承認・助言を得ながら、やり方を修正・調整し、関係者と協調しながら、一定の制約条件(期限や予算)のもとに完遂できる
みたいに定義したとして(適当)、これを「わが社の社員全員に求める」のは、本当に現実的なんだろうか。ある人は、これって極めて基本的な仕事力で、新卒1〜2年目には無理だとしても、3年、5年の社員にはできていてほしいパフォーマンスだと考える。
でも、じゃあこの辺のことを5年目とか10年目とか問わず、社内でできている人って何割くらいいますか?と問うと、だいたい1〜3割くらいにおさまるのだ。
ということは、つまりそういうことなんじゃないかなと。このリーダーシップってやつも、全員に求める能力ではなく、技術者が特定の技術力を持つのと同じように、一部の人がもつ特殊能力って位置づけちゃったほうが現実的な組織づくり、人事施策が打てるんじゃないかなと。いつまでも「リーダーシップは社員全員が身につけていなきゃいけないのに、いろいろやっても身につかない」と嘆いていないで。だって何年も何十年もずっと、1〜3割で推移してるんでしょ?と。それ、何かやって6〜8割に変わりますかねと。
もちろん、上に挙げたような能力を、当たり前に全社員に求められる採用力ある大企業、ベンチャーもあるかもしれないし、少数精鋭のスタートアップもあっておかしくない。けれど、それはそれ、現実的に難しいと思う企業は、「うちはそうではない」と割りきって、リーダーシップも一部の人がもつ特殊能力、自社製品・サービスの技術開発力も、顧客対応力も、財務も事務も同様に、一部の人がもつ特殊能力という前提で、チームづくり、組織づくりを考えたほうが現実的な策に着地できるのではないかと。
つまり、一人に求める能力をむやみに万能化せず、自社の現実に即してもっと小分けして、みんなで分担するようにするというのか。自社の採用力をわきまえず、一人に万能性を求めすぎると、結局どの能力も十分に発揮できない集団になってしまうというのか。
いや、割り切りすぎて、まったく多くを求めない、個の成長が見込めない企業となるのもどうかというので、結局はバランスなのだと思うけれども。
それで考えたのは、社員個々人が「何ができるか」に焦点をあわせるのではなく、「何を面倒くさく感じないか」で組織メンバーを構成して、採用したりチーム編成したりマネジメントするといいんじゃないかなぁということ。「今もっている能力」ベースの組み合わせじゃなくて、「今後伸びていくポテンシャル」をベースに組織づくりを考えるというのか。
人はとかく、その人が今できること、今見て取れる得意なことに目を奪われがちだけど、この人は自分や他の人と違って、「こういうことに面倒を感じない人なんだなぁ」というところに、その人のもつポテンシャルやユニークポイントの芽を見出すといいんじゃないかと。
人によって「何を面倒くさいと感じるか」って違う。リーダーシップも、あるいはそうではないかと。誰も発言せず膠着状態の会議で、別の切り口から問いを投げて話し合いを展開させようとすることを厭わない、やらないではいられない人もいれば、そのまま静かに下を向いて時間が行き過ぎるのを待ちたい人もいる。進めていることの反対派に直面すると、それを解きほぐすのを面倒に感じる人もいれば、説得するロジックを組み上げてプレゼンし、人々を巻き込んでいくことに面白みを感じる人もいる。
また別に、ある人は技術進化の激しい分野で、日々技術情報をキャッチアップして新しいものを習得して実践に活用していくのを厭わない。厭わないどころか、全然苦にならないし、面倒に感じない、むしろそうやって生きていきたいという人もいる。でも、そんなの絶対やだ、ものすごい面倒…と感じる人もいるのだ。
あるいは、1mm、1pxのズレが納得いかず、その配置に美醜を感じて整えずにはいられない人もいれば、そこに神経をつかうなんて疲れちゃうという人もいる。
ある人はタスクAを面倒に感じ、タスクBに時間を割くことを厭わない、あるいは気になってこだわらざるをえないのに、別のある人にとっては、タスクAとBが逆転する。
そうやって、人はそれぞれに面倒くさくないものに時間を使い、こだわり、おのずと能力を高めていく。組織が発揮する機会を与えていけば、それを面倒に感じる人より、ポテンシャルが開花する可能性は高い。そうやって個々の専門性を高めていくのが自然かなと。
凸凹がある者同士がチームを作ることで、一人ではできないことを実現しようとするのが組織の意味だとするなら、そうやって個々のポテンシャルを見出して、機会を与えて、いろんな人が集まったチームを育てていくのが健全なのでは。リーダーシップも、ベーシックな能力というより、多くの企業においては特殊能力と位置づけちゃったほうがいいのかもなぁと。
まぁ結局はバランスの問題。もちろん組織共通の価値観も必要だし、ベーシックなコミュニケーション能力みたいなのも必要だし、どこにバランスの線を引くかは個別案件なんだけど。
« 同じ空間、同じ時間が意味を生む | トップページ | 不可避のライン »
コメント