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2016-07-06

ピカソの結論

原田マハの「楽園のカンヴァス」が面白かった。芸術にはまったく疎いのだけど、その世界の史実が織り交ぜられた物語を、始終胸をときめかせながら一気に読んだ。

2000年の倉敷とニューヨーク。そこからさかのぼって、1983年のニューヨークからバーゼル、さらにさかのぼって1906年から1910年のパリを行ったり来たり。

作中の時代間の行き来が絶妙で、前者の1983年にはミステリーを読むはらはら感があり、キュレーターの心のうちを言葉で読めるのも興味深かった(ちなみに、作者の原田マハさんは伊藤忠商事、森ビル、MoMAでも勤務経験をもつフリーのキュレーターであり小説家)。また後者の1900年代初頭には、アンリ・ルソーやパブロ・ピカソが生きた躍動感ある日常が描かれ、読んでいる間中ずっと面白かった。面白かったとしか表せない自分が情けないが…。

傑作というものは、すべてが相当な醜さを持って生まれてくる。この醜さは、新しいことを新しい方法で表現するために、創造者が闘った証しなのだ。美を突き放した醜さ、それこそが新しい芸術に許された「新しい美」。それが、ピカソの結論でした。(*1)

この一節はたいそう心に響いた。自分が力を尽くしてやっているのは「芸術」ではないし、「傑作」を追求してやっているのかというと、そういう感じでもないんだけど、彼らの生きざまを重ねあわせるようにして受け取ると、すがすがしい勇気を分け与えられた心持ちになる。

もがいてあがいてやるしかないんだよな。結局その過程が人生って楽しいんだろうし。もちろんそれが、お客さんにとってできるだけ色濃い意味を残し次につながっていくように、汗かいて自分なりに頑張るんだけど。それがどんな受け止められ方をしても、その過程が自分にとって無駄になることはないと感じているわけだし。それしかできないわけだし。

自分が至らんなぁと思うこと、世の中の仕事人はもっとすごいんだぞ!と思うことは度々あるけれど、そういうこと思わなくなったらそこで自分の成長止まると考えれば、これは良い視線の向け方、良い身の置き方なんだろうとも思う。周囲見渡して、自分が立派に見えるようにでもなったら一巻の終わりだもんな…。

己の至らなさを知りつつ、それでも自分ができるかぎりのことを考えて精一杯形にして出してみて、フィードバックもらって、もっといいものにできるならそうして、というのを止めずに続けていく。そのサイクルをこつこつ積み上げていく中で、以前よりできること、考えられることは、自分比でいったら増えているのだし、その連なりが、自分の時間の使い方、つまりは自分の人生になっていくわけだから、これでいいのだ。これしかわが道はないのだ。

もうなんの話かよくわからないが、とにかく素敵な物語だった。

*1: 原田マハ「楽園のカンヴァス」(新潮文庫)

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