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2016-07-31

不可避のライン

Pokemon Goに個人的な好き嫌いが出るのは当然と思うのだけど、あれを今時点で社会的な価値づけとしてダメと論評するのには、えぇー…と思った。一部のノイジーマイノリティの声が目立って聞こえてきているだけかなとも思うのだけど、実際のところがよくわかっていない。

ともあれ、アプリが出て数日の、まだみんなが使い慣れてもいないいっときを切り取って、あれは危ないからとか、人をダメにするから良くないとか断じてしまうのは早計に感じられる。

これだけの社会現象を巻き起こしたとあれば、使い方マナーの啓発活動は、提供主側もする必要があるかもしれないし、それで人があふれているところなどは、一時的に対策を講じなくてはならないこともあるだろう。

でも、それぞれに1週間2週間と使えば、遊び方はこなれていくだろうし、1ヶ月後も2ヶ月後も同じだけの人数が同じ場所に通い詰めているとも思えない。隅田川の花火大会なり、フジロックフェスティバルのように、いっときのお祭りと思えば、イレギュラー的にいっとき一所に大量に人が押し寄せているという見方におさめることもできる。それに応じて、期間イメージをもった対策を考えるのが妥当だろう。

いつまで経っても学習が進まずケガが絶えないということであれば改まった対策が必要だけど、出て2〜3日のアプリを、数日の混乱をみて、その存在自体断罪するのは浅薄だし、無期限を想定してルールを作ろうとするのは合理性に欠ける気がする(無期限を想定して作られたルールは、そのルールが不要になっても残ってしまいがちだ)。

人は新しいものを、段階的に使いこなせるようになったり、関わりあえるようになっていく。そうやって時代とともに、新たな道具を取り入れ、合理性と自由と、その次に得られる可能性を獲得してきたのだ。それが何ものかわからない時点では、評価をくださず留保するというのも、評価能力の一つだよなぁなどと思う。

そんなことをうだうだ考えているときに、「〈インターネット〉の次に来るもの 未来を決める12の法則」(*1)の「はじめに」を読んで、まさしくだなぁと心に響いた。

われわれはあまりに早く変化していて、新しい機能を発明する速度がそれを文明に取り入れる速度を超えてしまっている。あるテクノロジーが出現すると、それが何を意味するものか、それを飼い馴らすためにどういうマナーが必要かという社会的な同意ができるまでに、10年はかかっている。

ということで、

テクノロジーを使い始めた頃の反応はすぐに消えていくもので、別に本質的でも不可避でもない。

私がだらだら書き連ねてしまうことを、ある人はこんなにシャープに表現できてしまう。こなれた翻訳者の手腕もあるかもしれないが、ピーター・ドラッガーの文章を読んだときのような心持ちで、聡明な世の中の捉え方にふれ快く味わう。「はじめに」だけでも買った甲斐があったなぁと。まだ「はじめに」にしか読んでいない…とも言う。

この本は、著者がここ30年の技術進化にもとづいて、この先30年がどう形作られるか、不可避なテクノロジーの力を12コ挙げて説くものだ。小さなトレンドがどうなるかというのは、予測がつかないけれど、

テクノロジーの性質そのものに、ある方向に向かうけれど他の方向には向かわないという傾向(バイアス)がある。

そのバイアスを項目立てて、ここ30年の大きな流れから、この先30年を見通すことはできると。

そのバイアスがもたらす変化は、すべてが歓迎されるものではなく、既存ビジネスが立ちゆかなくなったり、今就いている職業では食べていけなくなったり、今の法を逸脱して違法な領域にも踏み入ったり、心を痛めるような事件、紛争、混乱も生じるだろう、と。

それでも、

不可避なものを阻止しようとすれば、たいていはしっぺ返しに遭う。禁止は一時的には最良の策であっても、長期的には生産的な結果をもたらさない。

であれば、

生まれてくる発明が実際に(つまり可能性としてでなく)害悪にならないように、われわれは法的、技術的な手段によって制御する必要がある。個々の性質に合わせて、文明化し手なずける必要もある。ただそうするためには、まずは深く関わり、手を出して試してみて、警戒しながらも受け入れていく必要がある。

人間には制御不能な変化も起こる世の中に生きているという前提に立って、テクノロジー進化がもたらす変化も例外ではないことを踏まえるなら、これまでのテクノロジーの大きな流れから、不可避のことと、制御できることを見通して、己をわきまえて、受け入れていくという態度で関わりたい。人間はまったく万能じゃない、大きな流れの中に身をおいて、さまざまな不可避のことを抱えて生きているんだと思うから。

*1: ケヴィン・ケリー(著)、服部桂(翻訳)「〈インターネット〉の次に来るもの 未来を決める12の法則 − 未来を決める12の法則」(NHK出版)

2016-07-24

「面倒くさくない」という指標

上司の代理で、とあるリーダーシップ開発の研究会に参加している。リーダーシップってよく、「リーダーとリーダーシップは別の概念であり、リーダーシップとはリーダーに限らず(広く全員に)求められるものである」と言われる。

が、本当にそうだろうか。改めて考えてみると、ちょっと結論に一足飛び感がないか?と疑問符を打った。「リーダーシップ」と「リーダー」、言葉が違うんだから意味だって違うはず。それはわかる。けど、意味が別なのと、「広く全員に求められる」はイコールではない。その「広く全員に〜」は、どこで拾ってきたのだ。

リーダーシップというのは、人材開発業界では常に脚光を浴びている安定のトピックで、いろんなところで研究がなされている。世に出ている「リーダーシップの定義」を数えたら200くらいあったという話も聞いたことがあるから、「広く全員に〜」がどれくらい一般的なのかも、よくわかっていない。私の捏造かもしれない…。

ともかく、この現状を地に足つけて捉えるに、それぞれの現場で「我々としてはリーダーシップをこういうふうに考えていくよ」って身内の定義を共有しないと始まらないってことだ。みんな、リーダーシップについてバラバラのイメージを持っているわけだから。

例えば、年次を考慮して“若手・中堅社員におけるリーダーシップ”を、

組織の上位方針や所属部署・担当職務の役割にもとづき、自ら目的に応じた仕事を作り出し、上司や関係者の承認・助言を得ながら、やり方を修正・調整し、関係者と協調しながら、一定の制約条件(期限や予算)のもとに完遂できる

みたいに定義したとして(適当)、これを「わが社の社員全員に求める」のは、本当に現実的なんだろうか。ある人は、これって極めて基本的な仕事力で、新卒1〜2年目には無理だとしても、3年、5年の社員にはできていてほしいパフォーマンスだと考える。

でも、じゃあこの辺のことを5年目とか10年目とか問わず、社内でできている人って何割くらいいますか?と問うと、だいたい1〜3割くらいにおさまるのだ。

ということは、つまりそういうことなんじゃないかなと。このリーダーシップってやつも、全員に求める能力ではなく、技術者が特定の技術力を持つのと同じように、一部の人がもつ特殊能力って位置づけちゃったほうが現実的な組織づくり、人事施策が打てるんじゃないかなと。いつまでも「リーダーシップは社員全員が身につけていなきゃいけないのに、いろいろやっても身につかない」と嘆いていないで。だって何年も何十年もずっと、1〜3割で推移してるんでしょ?と。それ、何かやって6〜8割に変わりますかねと。

もちろん、上に挙げたような能力を、当たり前に全社員に求められる採用力ある大企業、ベンチャーもあるかもしれないし、少数精鋭のスタートアップもあっておかしくない。けれど、それはそれ、現実的に難しいと思う企業は、「うちはそうではない」と割りきって、リーダーシップも一部の人がもつ特殊能力、自社製品・サービスの技術開発力も、顧客対応力も、財務も事務も同様に、一部の人がもつ特殊能力という前提で、チームづくり、組織づくりを考えたほうが現実的な策に着地できるのではないかと。

つまり、一人に求める能力をむやみに万能化せず、自社の現実に即してもっと小分けして、みんなで分担するようにするというのか。自社の採用力をわきまえず、一人に万能性を求めすぎると、結局どの能力も十分に発揮できない集団になってしまうというのか。

いや、割り切りすぎて、まったく多くを求めない、個の成長が見込めない企業となるのもどうかというので、結局はバランスなのだと思うけれども。

それで考えたのは、社員個々人が「何ができるか」に焦点をあわせるのではなく、「何を面倒くさく感じないか」で組織メンバーを構成して、採用したりチーム編成したりマネジメントするといいんじゃないかなぁということ。「今もっている能力」ベースの組み合わせじゃなくて、「今後伸びていくポテンシャル」をベースに組織づくりを考えるというのか。

人はとかく、その人が今できること、今見て取れる得意なことに目を奪われがちだけど、この人は自分や他の人と違って、「こういうことに面倒を感じない人なんだなぁ」というところに、その人のもつポテンシャルやユニークポイントの芽を見出すといいんじゃないかと。

人によって「何を面倒くさいと感じるか」って違う。リーダーシップも、あるいはそうではないかと。誰も発言せず膠着状態の会議で、別の切り口から問いを投げて話し合いを展開させようとすることを厭わない、やらないではいられない人もいれば、そのまま静かに下を向いて時間が行き過ぎるのを待ちたい人もいる。進めていることの反対派に直面すると、それを解きほぐすのを面倒に感じる人もいれば、説得するロジックを組み上げてプレゼンし、人々を巻き込んでいくことに面白みを感じる人もいる。

また別に、ある人は技術進化の激しい分野で、日々技術情報をキャッチアップして新しいものを習得して実践に活用していくのを厭わない。厭わないどころか、全然苦にならないし、面倒に感じない、むしろそうやって生きていきたいという人もいる。でも、そんなの絶対やだ、ものすごい面倒…と感じる人もいるのだ。

あるいは、1mm、1pxのズレが納得いかず、その配置に美醜を感じて整えずにはいられない人もいれば、そこに神経をつかうなんて疲れちゃうという人もいる。

ある人はタスクAを面倒に感じ、タスクBに時間を割くことを厭わない、あるいは気になってこだわらざるをえないのに、別のある人にとっては、タスクAとBが逆転する。

そうやって、人はそれぞれに面倒くさくないものに時間を使い、こだわり、おのずと能力を高めていく。組織が発揮する機会を与えていけば、それを面倒に感じる人より、ポテンシャルが開花する可能性は高い。そうやって個々の専門性を高めていくのが自然かなと。

凸凹がある者同士がチームを作ることで、一人ではできないことを実現しようとするのが組織の意味だとするなら、そうやって個々のポテンシャルを見出して、機会を与えて、いろんな人が集まったチームを育てていくのが健全なのでは。リーダーシップも、ベーシックな能力というより、多くの企業においては特殊能力と位置づけちゃったほうがいいのかもなぁと。

まぁ結局はバランスの問題。もちろん組織共通の価値観も必要だし、ベーシックなコミュニケーション能力みたいなのも必要だし、どこにバランスの線を引くかは個別案件なんだけど。

2016-07-22

同じ空間、同じ時間が意味を生む

ひとりの人間がたまたま同じ場所、同じ時間(時期)に両者に触れたというので、全然関係ない作品に関連性が見いだされていく様を、おもしろいなと思う。

例えば私は先週末に、岬龍一郎氏が編訳した「老子」(*1)と、山崎ナオコーラさんの「美しい距離」(*2)を並行して読んだ。双方にこれといった関連性はなく、老子なんて遠く紀元前の人なわけだけど、私が同時期に一緒に読んだということで、私の頭の中では老子と山崎ナオコーラ(というか「美しい距離」の主人公)の弁が勝手に関連づいて読まれたりする。

私には「美しい距離」の主人公が、仕事人の顔をもつ妻のことを思いながら、

配偶者というのは、相手を独占できる者ではなくて、相手の社会を信じる者のことなのだ

と考えるシーンが、たいそう胸に響いたが、それが同時期に読んだ「老子」の、

善く結ぶものは、縄約(じょうやく)なくして而も(しかも)解くべからず

に紐づいて、これまた共鳴する。これは「人との関係性は、縄で結ばなくても、心で結ばれていれば解ける心配もない」ってな意味。

私は配偶者をもたないけれども、配偶者にかぎらず、男女間の関係にかぎらず、「自分の大事な人を、大事にする」というのは、私にとってこういうことなんだろうなぁ、あるいはこういうふうでありたいと私は思っているんだなぁと、両者にふれて認識を新たにする。

縄で結んでおかないとほどけてしまうくらいなら、そもそも本質的な結び目が成立していないのだし、それを必死に縄でくくりつけようとすることに、私は意味を見いだせない。そう考えると、そもそも縄など必要ない。

縄で必死につなぎとめようとするくらいなら、縄などなくても互いに惹かれあえるよう、関係が深まってさらに発展していくように、自身を磨き続けて日々を生きていったほうがずっと気持ちいいと思う。それで関係がほどけてしまうなら、それはそれで仕方ないし、悔いもなかろう(とまではすっきりいかないかもしれないけど、まぁまぁ)。

と、ぐだぐだ書いているのは主題の一例で、ともかくひとりの人間が、たまたま同じ空間・場所でそれを体験したからとか、たまたま同じ時間の連なりの中でそれを体験したから、その2つに関連性が生まれて意味づけられるというのは、なんかおもしろいなと。私のもやっとした価値観を媒介にして、関連ない2つのものがふっとつながるのだ。

今後はそうした価値提供、ふっとしたきっかけを、リアルな場をもつ商業施設、カフェだったり本屋だったりが、どういう掛け算をして複合的な意味を生み出していくかが、腕の見せ所になるんだろうなぁなどとも思った。漠としているけど、ちょっとした走り書きメモ。

*1: 岬龍一郎「老子」(PHP研究所)
*2: 山崎ナオコーラ「美しい距離」(文藝春秋)

2016-07-13

スライド共有:「勉強会」の作りこみ方

私は日頃、クライアントさんにオーダーメイドの研修をつくって提供する受託稼業を営んでいるのですが、先週とある案件がいち段落したのを振り返りつつ、ちょっとしたお話をこしらえましたので共有します。28枚ほどのスライドです。テーマにご興味のある方は、お時間のあるときに目を通してみてくださいませ。

▼Slideshare(スライド共有サービス)
業界コミュニティにおける「勉強会」の作りこみ方

「演習課題をどう作るか」って、工夫・考慮するポイントを挙げ出したらきりなく挙がってくる類いの問いなのですが、昨今は社内や業界コミュニティで活発に「勉強会」が開かれ、ワークショップ形式も多く採用されているので、主催される方がワークショップ課題を事前に作りこむ際、いくらかでもお役に立てるトピックスがあればと思って整理した次第です。

社内、あるいは業界コミュニティの勉強会を主催する方々に見ていただいて、フィードバックをもらえたら、それをもとに反省しよう&必要に応じて作りこもうという魂胆で、粗削りのプロトタイプみたいな状態ですが、なにかしらお役立ていただけるところがあれば幸いです。

なお、後半にある「演習設計10コのポイント」を洗い出したのが、今回スライドをまとめるに至ったとっかかり。最近お客さん向けに作った演習課題を振り返りながらポイント出しした感じなので、教科書的な網羅性があるものじゃないのですが、一応これが本題で、これに至るまでのスライドは話のまくらです。まくら長い…。あと事例紹介は、このスライドの中に収めようとするとだらだらしてしまうので含めていませんが、あしからずご了承ください。

2016-07-09

職人のダイナミズム

是枝裕和監督が著した「映画を撮りながら考えたこと」(*1)を読んでいる。代表作は「誰も知らない」「そして父になる」「海街diary」「海よりもまだ深く」。是枝監督はテレビディレクター出身の映画監督だ。まえがきの中で、こう語っている。

僕が語っている映画言語は、間違いなく映画を母国語とするネイティヴなつくり手のそれと違って、テレビ訛りのある「ブロークン」な言葉である。

本書も、「映画監督としてではなく、テレビディレクターである自分が自作を通して行う現在の映画づくりや映画祭についての、内側からのルポルタージュ」として記されている。

最初は「絵コンテにしばられていた」是枝監督の映画が、どんなきっかけを得て、誰とのどんな会話を通じて考えを深め、作品の形を変えていったのかが読めておもしろい。

例えば、ドキュメンタリーのカメラマン田村正毅(現・たむらまさき)さんとの「やらせ」に関するやりとりがある。

やらせを批判する側というのは「ありのままを撮れ。脚色するな。演出なんかいらない。撮った順につなげ」と無謀なことを言います。しかしそれでは、究極的には「隠し撮り」になってしまう(だって相手が撮られていることを気づかないように撮るのだから)。この疑問に対して田村さんは、「隠し撮りでは相手の自己表現になりませんね。そんなものは撮ってもドキュメンタリーにならないし、撮りたくはない。カメラを意識して相手がどう演じようとするのかということが美しく、おもしろいのだ」と答えてくれました。

ありのままを撮るのがドキュメンタリーだろうというのは、素人がなんとなくで発想してしまいそうな見方だけど、カメラを向けた時点で取材される側は、自分をこう見せたいと少なからず演じようとする、それが撮影現場の必然だろうとは、こうした話を読めば素人でも想像ができる。

ドキュメンタリー監督の小川紳介さんの言から、是枝監督は「取材者がこう撮りたいという欲求と、被取材者がこう撮られたいという欲求が衝突するところからドキュメンタリーは生まれていくのだ」との解釈を述べている。

私はこうした、AとBを一方通行の上下関係でなく、双方向の対等な関係に配置する概念のとらえ方、そのAとBの衝突から想像力やら技術やらを総動員して何かを創りだす人間のはたらきが大好きだ。

大島渚監督は、記録映画(ドキュメンタリー)を満たすつくり手の条件の一つとして、「取材を通して撮る側に起きた変革も含めて作品化すること」と書き残しているそう。

こうしたものを、作品づくりを通して是枝監督が経験、実感していくさまが、この本にはぎゅっと記されている。人にとって思い出とは何か?を問う『ワンダフルライフ』という映画の話は、おもしろかったな。

死者たちは初めて辿り着く施設で、職員から「あなたの人生を振り返って、大切な思い出をひとつだけ選んでください」と言われます。選ばれた思い出のシーンは、職員の手によって映画化され、死者たちはそれを観ながら、思い出とともに天国へと旅立つことになる。

この映画づくりの過程で、是枝監督は「この施設に集まってきた死者たちがどのような“思い出”を選ぶのか」を、一般の人にリサーチする。学生を数人アルバイトで雇い、ビデオカメラを持たせて街でインタビューしてもらい、600人ほどの映像が集まった。

途中まで、それはあくまで脚本を書くためのリサーチだったのだけど、学生が集めた映像が思いのほかおもしろくて、これはそのまま本人を撮ったほうが、当初の趣旨に近付けるのではないかと思い直す。カメラマンもドキュメンタリー畑の山崎裕さんにお願いすることにして、絵コンテは一切描かず、一般の人が思い出を語りやすい状況を是枝監督がつくって、山崎さんにそれを自由に撮ってもらう、という方針にした。

当初是枝監督は、一般の人たちが自分の思い出について「こうだったかな」「ああだったかしら」とスタッフとやりとりしているシーンを映画に使うつもりはなかった。メイキングはアリバイ的に使うだけだから、ちょっとだけあればいいと、カメラマンの山崎さんに何度か言った。

けれど山崎さんは、監督がちょっと撮影現場から離れたときにもカメラを回していて、プロデューサーが「もうフィルムがないですよ」と注意すると、「じゃあビデオでもいいから回す」と、撮ることをやめなかったと言う。

しかし、その映像は僕にとって、“発見”でした。編集をスタートしてみると、上映用に撮った再現フィルムよりも、一般の人が思い出を語り、再現の場に立ち合って悩むメイキングで撮った映像のほうが、生々しくてリアルだった。つまり「再現」ではなく「生成」であった。それで、方針を変えて、メイキングの映像を映画に残して、完成品のほうは作品には入れずに構成することにしました。

現場でおもしろいと感じたものに、「脚本から外れようが監督から望まれなかろうが、撮りたいものは撮るのだ」とカメラを向ける、その姿勢に是枝監督は驚く。でも、本来カメラというのはそうあるべきなのではないかと、このとき感じたと言う。

これが1998年、今から20年近く前の話。一つひとつの作品づくりを通じて、こうした撮る人、撮られる人のダイナミズムにもまれながら、「取材を通して撮る側に起きた変革も含めて作品化すること」を積み重ねてこられて、今の是枝監督があるんだろうなぁという感慨を覚える。

これをまた7年さかのぼって、テレビディレクターとしてデビューして間もない1991年のドキュメンタリー番組制作のことを振り返るところで、すでにこう述べている。

取材で発見したものを構成に組み込むことで、番組はより複雑な現実に対峙できる強度を持つ、ということを僕はこのとき身をもって実感しました。それは、自分の先入観が目の前の現実によって崩される、という快感でもあったのです。

テレビ番組、映画を撮りながら二十数年と考えてきたこと。読みながら、こうした「つくり手」のサポーターの端くれとしてお仕事ができていることを、改めてありがたく思う機会にもなっている。

*1: 是枝裕和「映画を撮りながら考えたこと」(ミシマ社)

2016-07-07

「悪い人」認定の取り下げ方

昨日思いつきでFacebookに書いた話だけど、拡張版をメモ。己の了見の狭さと、悪人遭遇率の高さは、正比例すると思う(反比例でいったほうがいいのか…)。逆に言うと、己の了見が広ければ、そうそう絶対的な悪人って遭遇しないんじゃないかなと。向こうからの見え方や、向こう側の考え方に思いを馳せれば、己が他人に立腹する時間は減ると思っている。

って書くと、世間をわかっていないとか槍がとんできそうだけど、私がイメージしているのは、一般市民のごくごく日常のこと。人がやりとりするときに生じる、ささくれのようなものだ。

「なんてひどい人」って思う前に、いろいろ視野広げて考えれば、その人を悪人にしなくて済むことってたくさんあるよなぁと。善悪の評価を持ち込むのは常に人間なわけで、へたに善悪の価値観持ち込まず、別の捉え方をしたほうが、何かある度だれかを悪人にせずに済んで自分が楽だ。

自分の側で捉え方をコントロールしたら健康的に過ごせることってたくさんあるんじゃないかなぁと。悪人ゼロにはならないかもしれないけど、数は減らせるんじゃないか。悪人遭遇の要因はもちろん、自分の了見だけの話じゃないけど、いくらかでも減らせるなら、そのほうが楽ちんではないかと。

一歩掘り下げると、じゃあ自分が「悪い人」認定する「悪い人」ってなんなんだって話だ。

ひとつ、悪い人を「自分に悪事を働いた人」とする。たとえば、ある人が何か自分にぐさっとくるようなことを勢いよく意見してきたとする。自分は気分を害したとする。とすれば、それは他の誰にとっても悪事なのか。気を悪くしない人もいないかどうか。そう考えてみる。

そうした他者の意見を欲する人もいるかもしれない。取り入れるかどうかは別の話、後で自分で判断するとして、自分に対して率直に意見してくれる人は歓迎だという人もあろう(まぁ、その内容如何というのも多分にあるだろうけど)。

どの範囲の属性、地域、文化、時代の人までは、それを一般的に悪事と受け止めると言えそうなのか。とか考えていくと、絶対悪でもないかなぁって気がしてきて、当初自分が出した「悪人認定」を取り下げられるかもしれない。

ひとつ、悪い人を「悪気があって悪事を働いた人」としてみる。その人は、本当に悪気があったのかどうか。それが自分の気分を害すると知らなかったとするならば、教えてあげれば事足りる。その人にとっても良い学習機会になるのではないか。先の検討から、それが絶対悪でないならば、「それに気分を悪くする人もいて、それはこういう理由から」という情報提示をすれば良い。そうすると、その人を「悪人認定」する必要はなくなる。

まぁ、そんなことばかりじゃないだろうし、「悪人」を何とするかは人によってさまざまあるだろう。けど、自分の捉え方で、へたに自分にとっての「悪人」を作らず、増やさず、自分をいくらかでも楽にできることってあると思う。そこまでする間柄じゃないって感じるなら、その人は「ひどい人」なんじゃなくて「自分の好かん人」なのかも。この差は大きい。

2016-07-06

自分の役割の枠取り

「講演依頼を受ける」というのは不慣れな体験で、なんだか血迷ったことをしてしまった。本番はまだずいぶんと先の話なので実際的な問題はないのだけど、ちょっと反省文をしたためたいなと。

オープンなイベントで引き受けた時はそんなことなかったので、今回は一社の企業イベントだったことで本業たる研修稼業との線引きが曖昧になっちゃったのかなと振り返る。

普段の研修稼業だと、講師はそのテーマを本業とする実務スペシャリストに依頼する。自分ではやらないのが常だ。その講師に、どんな話をどこまでの範囲でしてもらうか、どんな構成・演出で展開するか、どんな演習をやって能力開発するかといった仕掛けを、目的や受講者分析を踏まえて組み上げるのが自分の仕事。

が、とある企業のイベントで「自分自身が講演する」という役どころの依頼を受けたとき、先のモードででしゃばったことをしてしまった。このイベントの目的はこうで、受講者像はこうだから、自分の講演はこういう位置づけで、こういう内容・構成がいいんじゃないか、当初依頼をいただいたコレではなく、一から起こしてこうしたほうがいいんじゃないかと。いや、それはそれでありっちゃありだ。うまくできるならば…。

だけど、下手にでしゃばった真似をすると結局のところ、しっくりいかなくなるのだ。あれ、こういうテーマで、こういう構成で話をするんだったら、それはそれで私じゃないもっと適任の講演者がいるはずだよな…とか。これって研修の企画になってないか?イベントの余興の役割じゃなくなってるよな…とか。

講演の企画構成を一から起こして、しばらく時間が経った後で、はっとするのだった。器と役割とパフォーマー(自分)が、しっくりなじんでいない…。気づくのが遅いんだよなぁ。なんで最初の段で、その場にあった枠取りというのをスパッと捉えられなかったのか。

イベント自体は、依頼主のほうでしっかり組み上げているのであって、そこは私の与り知らぬところ。裏方の構造づくりでなく、今回は1講演者として仕事を受けたのだから、そこの役割で向こうさんが期待している仕事をしっかりやるのが基本の務めだ(いや、できる人がさらに口を出すのは全然いい。けど私は講演者としてはペーペーで、基本を大事にすべき身の上なのだ)。

というので、もう一度、自分の役どころを枠はめ直して検討することにする。それはそれでいい、ボツにした企画要旨も、それはそれで私のトレーニングにはなっているので全然いいし、また新たに考え直せば、それも良い経験になる。

んだけど、何が恥ずかしいって、無意識に範囲拡張しちゃってたところ。自分の動きを、自分で見えていないコントロールできていないで、依頼主にさらしてしまった。そういうのが、残念な奴だなぁ、おまえは…というとこ。

まぁその時はその時で、自分なりに一所懸命に考えて手を伸ばしちゃったんだから、それが自分なのだと認めて反省して「もっと大きくなれよ」って話でしかない。ずっと気づけないより、後からでも「自分の役割の枠取りを早まった」と気づいて直せるほうがずっといいもの。自分の恥ずかしいとこは、まず自分で受け入れないと先がないのだ。

「なんかしゃべって」とか「なんか書いて」という話は、まれにお声がけいただくのだけど、無自覚に裏方まで手を伸ばして、むやみに自分の役割を拡張して、はたと気づくと、その話し手・書き手って適任者は私じゃないよねってちゃぶ台返ししているようなの、気をつけようと反省した。

向こうが何を期待しているのかって、自分が裏方だと比較的捉えやすいんだけど、自分がパフォーマーその人となると、冷静さを欠くのか慣れていないからか、捉え方に安定感が足りない。そこをきちんと切り分けて、案件ごとに自分の役割をどういうふうに枠取りすべきか、最適解を選んでコントロールできるように意識領域を広げていきたいもの。

自分の何がずれていたか、これくらい言葉に起こしておけば二の舞はないかな。そう信じたい。言語化する過程で恥ずかしさも外化されて、うまく自分と切り離せたかも。てへへ…ということで、もう一度実直に考え直そう。

ピカソの結論

原田マハの「楽園のカンヴァス」が面白かった。芸術にはまったく疎いのだけど、その世界の史実が織り交ぜられた物語を、始終胸をときめかせながら一気に読んだ。

2000年の倉敷とニューヨーク。そこからさかのぼって、1983年のニューヨークからバーゼル、さらにさかのぼって1906年から1910年のパリを行ったり来たり。

作中の時代間の行き来が絶妙で、前者の1983年にはミステリーを読むはらはら感があり、キュレーターの心のうちを言葉で読めるのも興味深かった(ちなみに、作者の原田マハさんは伊藤忠商事、森ビル、MoMAでも勤務経験をもつフリーのキュレーターであり小説家)。また後者の1900年代初頭には、アンリ・ルソーやパブロ・ピカソが生きた躍動感ある日常が描かれ、読んでいる間中ずっと面白かった。面白かったとしか表せない自分が情けないが…。

傑作というものは、すべてが相当な醜さを持って生まれてくる。この醜さは、新しいことを新しい方法で表現するために、創造者が闘った証しなのだ。美を突き放した醜さ、それこそが新しい芸術に許された「新しい美」。それが、ピカソの結論でした。(*1)

この一節はたいそう心に響いた。自分が力を尽くしてやっているのは「芸術」ではないし、「傑作」を追求してやっているのかというと、そういう感じでもないんだけど、彼らの生きざまを重ねあわせるようにして受け取ると、すがすがしい勇気を分け与えられた心持ちになる。

もがいてあがいてやるしかないんだよな。結局その過程が人生って楽しいんだろうし。もちろんそれが、お客さんにとってできるだけ色濃い意味を残し次につながっていくように、汗かいて自分なりに頑張るんだけど。それがどんな受け止められ方をしても、その過程が自分にとって無駄になることはないと感じているわけだし。それしかできないわけだし。

自分が至らんなぁと思うこと、世の中の仕事人はもっとすごいんだぞ!と思うことは度々あるけれど、そういうこと思わなくなったらそこで自分の成長止まると考えれば、これは良い視線の向け方、良い身の置き方なんだろうとも思う。周囲見渡して、自分が立派に見えるようにでもなったら一巻の終わりだもんな…。

己の至らなさを知りつつ、それでも自分ができるかぎりのことを考えて精一杯形にして出してみて、フィードバックもらって、もっといいものにできるならそうして、というのを止めずに続けていく。そのサイクルをこつこつ積み上げていく中で、以前よりできること、考えられることは、自分比でいったら増えているのだし、その連なりが、自分の時間の使い方、つまりは自分の人生になっていくわけだから、これでいいのだ。これしかわが道はないのだ。

もうなんの話かよくわからないが、とにかく素敵な物語だった。

*1: 原田マハ「楽園のカンヴァス」(新潮文庫)

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