水のゆらぎの中で
毎朝50分、水のゆらぎの中に身をあずけている。つまりは、プールで泳いでいる。うまいターンができないので、25mおきに壁に足をついて向き直っているのだけど、地に足つけることなく水のゆらぎの中に50分間、体を浮かべて過ごすというのは、私にとってかけがえのない時間だ。
私の泳ぎはクロールながらスピードがなく、音をつけるなら「どんぶらこーどんぶらこー」がぴったりである。左右に多少体をゆらしながら、のんびりと同じ速さで、ひたすら泳ぎ続ける。
ガラス越しにプールを見渡せるジムがあり、そこでよく運動しているお姉さんに「気持ちよさそうに泳いでたねぇ」と、脱衣所のすれ違いに声をかけられる。泳ぎ方を褒められたことはないが…、とにかく「気持ちよいのだー、至福であるー」というのは全身に表れているらしい。
水の中って、絶えずゆらぎの中にいる感覚がいい。実はさほどでもない地の確かさを放棄して足を浮かせ、世の真実たる不確かさを快く受けいれて水中に体を浮かべる、そこに前者とは対極の心の安定を感じる幸せ。
世界は基本的に、ゆらゆらしていて、不確かさの中にある。とすれば、ほどほどに確かさを求め、その構想力や構築力を養っては形づくっていく一方で、抗いようのない不確かさを快く受け入れる態度も育み続けていきたいもの。はぁ、なんて快いのだと、この水の中のゆらぎを味わい続ける日々には、そんな意味も含まれているのではないか。というのは考えすぎか。考えすぎですね。つまり、プールは気持ちいいなぁというだけの話…。
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