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2016-04-30

迎賓館からの18km散歩

一週間ほど前に連絡をとった友だちと、久しぶりに会って散歩でもしようという話になり、それならゴールデンウィーク辺りにどうかというので急きょ会うことになった本日。身の危険を覚えるほどのお散歩日和で、目の病気のため帽子を深々かぶってサングラスして日傘さして、時おり周囲に怪しい目を向けられつつも、一日中元気に散歩した。家に帰ってきてiPhoneで調べてみたら、なんと一日で18kmも歩いていた。

四ツ谷にある迎賓館が一般公開で中に入れるらしいというので、これは観たい!となり、当日枠の整理券をゲットするため朝10時に集合。その時点で、12時~、13時~、14時~、15時~の「15時~」の整理券が配られたので、朝10時でもぎりぎり通過だったようだ。さすがゴールデンウィーク。

15時まで散歩して、また四ツ谷に戻ってこようというので、てくてく歩きだす。地図も見ずに、ほとんど東・西・南・北という4つの方向感覚だけで進む方角を決め、この先はもうちょっと北東方面に向かってみるかとか、なんとなくあっちに気が向くとか、あそこの小道に入っていきたい気がする、とかいう気分で行く道を決めて歩いた。こういうときは「気分」に尋ねると、だいたい答えはこれと返ってくるものだ。

それで四ツ谷の迎賓館から、北西に上がって、東に行って、南に下って…と、住宅街の中をあれやこれやおしゃべりしながら歩いていたら神楽坂に到着。そこで一休憩。腹ごしらえしてから電車に乗って四ツ谷に戻り、一般開放されている迎賓館の前庭に足を踏み入れる。まさか、この門をくぐれる日がやってくるとは…。

さらに、朝10時にゲットしておいた当日枠の整理券を手に、迎賓館の本館の中へ。これがまた、すばらしいのなんの。贅を尽くしつつも品がある。広がる空間に物語がある。圧倒されて、ふわぁー、ほぇーって言いながら表に出てきた。そこから奥に進んだところの主庭も見事で、大きな噴水から、晴れた大空に向かって水が噴き出している。これも、ふわぁー、ほぇーと言いながら観賞。

いやぁ、素晴らしいものを観たねぇと言いながら、またてくてくと歩き出し、赤坂方面に下ってコーヒー飲んで休憩して、あれやこれやおしゃべりして帰ってきたら18kmオーバー。気が早いけど、今日という日に、今年の「最もゴールデンウィークっぽい休暇を過ごしたで賞」をあげてしまおう。

*写真1: 迎賓館の前庭から
*写真2: 迎賓館の本館
*写真3: 迎賓館の主庭
(迎賓館の本館の中は撮影禁止)

2016-04-28

デザイナーの懐

昨日、「12時間円柱描いた話読んだ?」という投げかけをもらった。「暮らしの旅あるき」というブログに書かれたお話で、最近私の周囲で話題になっていたのだ。

12時間円柱を描きつづけてはじめてわかったこと。「気づく」までにはたくさんの時間がかかるのに、みんな先に教わってしまうんだね。

これを読んだ&私が先日TechLIONというイベントで話した講演も聴きに来てくれた人が、双方の考え方は相反するという見方もできるかなというので、これを私がどう読んだのか、話を聴いてみたいとのことだった。

私はこれが話題になったとき、うんうんと普通に支持しながら読んだ。脳裏に、先日自分がTechLIONで話したのと、この話とが対極に感じられて、短期間に両者にふれた人の「どっちが正しいんだ」論争なり混乱なりが生じることも一応は想定したけれども、まぁそこまで大々的にどうなるというんでもないだろうと思ったし、私にとっては普通に共存できる話だったので、どっちも大事だね、というので決着していた。

声をかけてくれた人にとっても、この2つは肌感覚的に両方とも受け入れられていた。ごく自然に受け入れられるのだが、頭で明快に理解しようとすると、これってどうやって両者を共存させるものなんだ?というのがちょっともやっとする状態だった。だから前者の話し手たる私は、後者の話をどういうふうに捉えているんだろうと疑問に思った。それで仲良しなので、ここは本人に聴いてみようと問い合わせがあったわけだ。

私が、TechLIONで自分が話した話を是とし、12時間円柱の話を排除するのか。排除しないとするなら、私の中ではどんなふうに両者を共存させているのか。今回話題になった12時間円柱の話を、私はSNS上で支持する反応しか見ていなかったのだけど、その人によると「理不尽な精神論、無意味、非効率」という感じで、後には叩く意見も出てきているということだった。

で、問いを受けて自分から出てきた第一声は、「両方うまいとこどりして使ったらいいやん」であった。これはあくまで私の基本姿勢ということだけど、私は対極にあるようなものを二者とらえたときって、敵対関係より補完関係を基本にしてものをみる。なぜそうやってみるのを基本にしているかといえば、そのほうがお得だからだ。

対置する2つのものを、敵対関係とみたり優劣関係で区分けしようとすると、おのずと片方を排除することになり、自分が生きていく上での道具・打ち手を減らすことになる。それより、自分のキャパシティが許すかぎりは、両方に価値を見出して、両方とも自分の引き出しに入れておいて、適材適所使い分けられたほうが断然お得である。だから対極のものを捉えたときは、相補的な関係として頭の中に共存させる方向に動くのが基本だ。そのほうが頭の中も平和で楽ちんだ。

それに、対極の特徴をもったものの大方って、相補的な関係が成り立つものだと思っている。両極に同等の価値をもっていて、真ん中に立つ人がそれをどう捉えるか、どううまく使うかという話に思える。やり方次第で、それは毒にも作用するが。関係性をどうとらえるかは、自分が与えるフレーム次第、関係性をどう活かすかは、自分の手腕によるところも大きいのではないか。

だから、敵対関係にしか見えない、優劣関係にしか捉えられない場合には、一旦その対象物からは目を離して、自分のものの見方のほうをいじくってみている。自分が与えているその二つをくくる額縁(思考の枠組み)を別のものに差し替えられないか、それによって見え方を変えることはできないか、自分の視座を一つ高くして両方に価値を見出す見方はないものか、言葉遊びや視点の切り替えなどしてみると、新たな発見機会があったりする。こっちのほうが気持ちいいなとか、こっちのほうが有用性なり可能性があるなって捉え方に出会えたりする。

話をもとに戻して今回の件でいうと、時間かけなきゃしょうがない話と、合理的に学ぶ話って、どう区別してどう補完しあったらいいんだろうってことだけど、一つざっくり言えることとしては「知識」と「スキル」の別があるかなと思う。

特に、知識手前の「情報」については、知らないところから知っている状態って、他者の教えによって瞬時にステップアップ可能なことも多いので、知っている人に教わって知っている状態にしてしまったほうが能率的に先の学習ステップに進めるってことがままある。人類の歴史上、そんなことはいくらでもやってきた。

一方で、一般に「スキル」と言われる領域は、本人が繰り返し練習したり、いろいろ試行錯誤したり、いろんな種類を体験して内省して整理しないと身にならなかったりする。まず弁別能力が身につかない。ワインの味なんて、いくら知識を他者から学んでも、多くを飲まなきゃこれとあれは違うというふうに弁別できない。ただ、見分け方の知識をもっていることで、見分けるスキルを身につけやすくなるということはあるだろう。それを私は、相補的な関係を活かした学び方とみる。

私が話したTechLIONの講演の中の話でいえば、立川談志さんだって、全部を教えているわけじゃなくて、稽古となったら談春さん本人が数こなさなきゃ仕方ないことがわかっているから、最後は「できるようになるまで稽古しろ」と放っている。稽古にずっと付きそっているわけじゃない。稽古を繰り返して、本人が時間をかけてつかまなきゃいけないものと、ここは合理的に教えたら稽古の伸びも能率よくできるんじゃないのっていうのを、きちんと使い分けている。

加えて言えば、どういう学び方がいいかって、習得したいゴールの種類が「知識かスキルか」って違いだけで語れるものでもない。学ぶ人がどんな人で、今どんな状態で、どこで詰まっていて、どこまで行きたいかとか、学ぶ環境や時間、制約条件がどうかとか、変数が多すぎるのだ。

私の仕事は、いろんな変数が複雑に絡み合う中で、こういう学び方がいいんじゃないかっていう形を作っていく仕事だ。変数が多すぎるから、個別にデザインする価値があるのだ。

だから、細々だけどそういう仕事を生業にしている。それだって唯一無二の答えがあるわけじゃない。でも、そこで自分が出せるかぎりの知恵をしぼる。それがデザイナーの仕事じゃないかって思う。私の仕事はインストラクショナルデザインという分野だけど、他のいろんな分野のデザインの仕事も、同じじゃないかと想像する。

何かをデザインする仕事って、一般の人が一見、矛盾するものとみてどちらか一方に価値を置き、もう一方を無価値とみて排除しちゃったり、安易に優劣をつけてしまうところ、両方の特徴を見分けて、同等の価値を見出して、両方とも方法論や道具として懐にしまっておけることが大事じゃないかって思うのだ。それが、何かをデザインする人の基本的な構えじゃないかなと。

世の中にはたくさんの、AとBって対置するものがある。そのAとBの間のど真ん中に立って、両極の価値を知りながら、あちらを立てればこちらのバランスが崩れ、こちらを立てればあちらの価値が減じてしまうトレードオフを深く理解しながら、絶妙なバランスを模索して、その局面にあった輪郭を与えていって一つの形に落とし込む、それを提案・提供するのがデザインの仕事なんじゃないのかなと。

もちろん自分の専門外では、自分も「普通の人」になっちゃって、いろいろ振り回されちゃったりするんだけど、自分が専門で預かる領域の仕事道具ややり方においては、目的なり条件なり、その時々の状況に合わせて相性の合うものを選んだり、切ったり貼ったり、応用してオリジナルの形を提供できる人でありたいし、専門外の分野においても、そういう領域でみんな試行錯誤しているのだという想像力を働かせて、その道の専門家の仕事に敬意を示せるようでありたい。だから、あれもこれも排除せず、懐に入れておくのだ。

*1: これを書いていて思い出した話:「青みがかった写真」の弁別

2016-04-25

「デザイニングWebアクセシビリティ」の感想メモ

BAの太田良典さん、伊原力也さんが著した「デザイニングWebアクセシビリティ - アクセシブルな設計やコンテンツ制作のアプローチ」、ご恵送いただいてからだいぶ日が経ってしまったのですが、大変良い&息の長い本だなと思ったので、遅ればせながら感想メモ。

印象を一文で表すと、アクセシビリティ本って感じじゃなく、実務者向けの「真っ当なWebサイトの作り方」が、プロジェクトの頭からお尻まで体系的に分かりやすくまとめられている本、という感じ。「本書の構成」に書かれている、

本書はアクセシビリティのガイドラインを解説した内容ではなく、サイトの制作プロセスに沿った実践的な内容となっています。それぞれのプロセスの概要と注意点、ユーザーにとって問題が起きるポイント、そして解決アプローチを紹介しています。

この通りなのですが、実務書の中には“コンセプト倒れ”していたり、“構成負け”していたりで、目次まではいいんだけど中身が伴っていない感を抱くものもあったりする中、この本は中身を読んでも、コンセプトがしっかり反映されていて大変読みごたえある本だなぁと思いました。

具体例がふんだんに挙げてあって、それも「現場あるある」感が満載。ネット黎明期から第一線で実践を積み上げてきたお二人ならでは。その「現場あるある」から、その際にどう太刀打ちしたらいいのかまで、奇をてらわず、実に真っ当なソリューションが分かりやすく示されていて、この丁寧な作り込みには脱帽。

構成も、実装フェイズに留まらず、「戦略策定」に始まり「要件定義」「ナビゲーション設計」「インタラクション設計」「システム設計」「コンテンツ設計」「ビジュアルデザイン」「実装」と網羅されていて、Webサイトを真っ当に作る上で、各フェイズで押さえるべき観点がワークフローに沿ってまとめられています。

また、それぞれの章は「概要と流れ」→「よく見られる問題」→「解決アプローチの例」と進み、これまた頭に入りやすいし、得たエッセンスを現場で持ち出しやすい。著者の知見や語り口をそのまま憑依させるようにして、クライアントに提示する自分の知見や語り口も拡げていける。

どう考えたらいいのか、どう対処したらいいのか、どういう小手先のテクニックは使わないほうがいいのか、それはなぜなのか、ロジカルで分かりやすい文章と、場面場面にフィットする図版がバランスよく展開されていて、300ページ近いボリュームながら(活字が苦手な私でも)読み進めるのが苦にならない。

考え方の指針が明快に示された後、脳裏に「例えば?」と浮かぶところには、たいてい気持ちよく「例えば…」と続いているのも、至れり尽くせり。なんだかべた褒めな感じで気持ち悪いかもしれませんが…、ほんとよくできた本だなぁと感服。

べた褒めだけで終わると、なんだか反発心をもたれそうでもったいないので、こういう人にはフィットしないかなというのを1つ挙げるとすれば、HTMLの知識がない方には分かりづらい本かなと思いました。その辺の基礎は習得した後に読んだほうが良い本だと思います。

あと最後に、ここまで自分が力入れて思っちゃう背景には、これを下支えしている日本語の美しさがあります。言葉選びや文章が真っ当で、スマート。

実務書系を読んでいて、途中で心折れる理由の一つは、誤脱字が多いとか、言葉のつながりがおかしくて何を言っているのかよくわからないとか、それで結局意味をなしていないどころか、誤解や混乱を生む内容になっているとかもあります。本でありながら、言葉選びや文章の品質がなおざりのケース。数十ページの中に50~60個の誤植を見つけたことも一度ではありません。

あんまり問題視されないので、「私の個人的な異常執着にすぎないのかも」とか「自分はメイン読者ターゲットじゃないため、その人たちほど中身に集中して読めていない」といった仮説を立ててバランスをとり、価値観を矯正しながら読むようにしていますが、なかなかけっこう精神が参るのです。

この本はそうした誤植がなく、言葉選びも的確で、話し運びもスムーズ、読んでいてつまずきがない。これは基本でありつつも、実にありがたい。

文字校正的には、これくらいしか今のところ気になったところなし。
P23:「知人に製品を勧めたり」→「~薦めたり」
P55:「130%程までしか拡大しか」→「130%程までしか拡大」
P76:「コンテンツと構造が合ってない」→「~合っていない」
P184:「セルを結合を解消した例」→「セルの結合を~」(2016.5.5追記)

先日ライティングのセミナーで登壇者が、「誤脱字があると、読者のテンションはダダ下がりする」という話をしていて、本当にそうなんだよなぁと思ったのですが、ほんとにそうなんだよなぁ。

この本の著者は、実務家として経験豊富なだけでなく、その要諦を読者層に分かりやすく伝えるという文章力の手腕が素晴らしい。事業者側、受託制作側の立場によらず、どちらの読者にも分かりやすく、実務に活かしやすいよう言葉や配慮が尽くされている点もいいなと思いました。

私は主に、デジタル×クリエイティブ系の実務者向けにオーダーメイドで研修プログラムを作る仕事をしていて、紙媒体専門でやってこられた方のWeb/デジタル化を図る研修プログラムを作る機会が結構あるのですが、これはそうした方々にもぜひお薦めしたい逸品。

この本を読んでいると、そうした方向けの研修での伝え方のアイディアもいろいろと浮かんできて、ちょいちょいノートに手が伸びてしまうので、結局まだ読了していないのですが…。でも、今お取引している企業さんにも、ぜひ継続学習の参考書籍として紹介したいですし、今作っている研修プログラムも、ここからの発想を取り入れながら設計してみようと思っています。というわけで、ものすごい役に立っています。料理でいったら舌鼓を打つ感じ。ほんと、いい本はいい。ありがたし。

2016-04-24

ケガに毛が

先日、フロア(階)違いの同僚と久しぶりに顔を合わせたので声をかけたら、Facebookで私の近況を知っていて、「体、いろいろ大丈夫ですか」と心配の声を返してくれた。

いやいや、まぁ大丈夫なんだけど、どこそこの階段のところで転んでさ、膝がどうで、手の甲がこんなで、難聴のほうは昨日ちょうど先生んとこ行ってきたんだけどこんな感じで云々、ひとしきり病気自慢するおばあちゃんのようにおしゃべりしたりして。

すると彼女、「気をつけてくださいよ」と、びっくりな忠告をくれた。何を気をつけるって、前に彼女がケガをしたとき、そこから毛がはえてきて濃くなっていったのだと言う。なんという人間の自己防衛力。この部位は危険の及ぶところなのだと体が察知して、そこに毛をあてがってやろうと働いたようなのだ。「大部屋」と呼ばれる執務室の脇っちょで立ち話しながら、なんですとーっと衝撃を受ける私。からかうようにケラケラ笑う彼女。

おそらくは、こういうことだろう。
あるところを彼女はケガした。彼女の体内で緊急会議がもたれた。
ヒラ「防衛部長、実はわれわれの◯◯部に外部から予期せぬ攻撃がありまして、流血、鈍痛、精神的ショックと、本体に大変な損傷をもたらしました。まさか◯◯部が攻撃を受けるとは想定外で…、脇が甘かったと反省しております。今後の対策として、この先あれくらいの攻撃を外部から受けても、今回ほどの損傷に至らぬよう防衛策を打つ必要があると考えます」
部長「ふむ、プランは?」
ヒラ「あの程度の衝撃を前提に考えますと、"発毛"の対応が妥当かと考えます。これでしたら、リソースもノウハウもありますし、早急に対処も可能です」
部長「どうだね、自己防衛課長。その対応策だと君のところに一任することになるが、任されてくれるかね」
課長「はっ」
部長「よし、じゃあ早速取りかかってくれ」
ということになったんでしょう。

膝から毛…。いや、彼女がどこをケガしたのかは確認し損ねたのだけど、なんかありえないところからふうであった。どこだったんだろう。でも、謎は謎のままにしておいたほうがいい(楽しい)こともあるので、それがどこの部位だったのかは、あえて確認しないままにしている。

とにかく、それは困るなぁと思って、その日おうちに帰って着替えるときに両方の膝こぞうをさすって、「もう大丈夫、今後はそんな危険な目に遭わせないから、ここを毛で守ろうなんてあなたは考えなくていいのよー」と、手のひらですりすり労っておいた。今は青たんが黄色になってきた感じで、そろそろ完治しそうなんだけど、その後の動向が気になっている。

最近は、会社で「行ってきますー」と言って外出するときも、「お先に失礼しますー」と言って家に帰るときも、同じ島の女の子から、時おり男性陣からも、「行ってらっしゃい」「お疲れさまでした」じゃなくて「気をつけてー」「足元をしっかり見て!」と送り出される始末。もはや、おばあちゃんの外出である。

新卒の子たちが、妹でも姪でもなく、もはや若くして生んだ子どもの年齢に達しているのは潔く認めるところなのだけど、最近は同僚のアラサー女子が、妹的な存在というより、体をいたわってくれる孫のように感じられることがある。これは、さすがに老けこみすぎか。もう少し加減を調節せねばなるまい。

2016-04-20

「CodeZine」にイベント登壇の記事が

先日登壇した「TechLION vol.25」のスライド資料をSlideshareに公開したところ、想像をはるかに上回る多くの人たちにご覧いただけて、週明け7万views超えに…。ちょっと経験のない数字で正直びびっておりますが、FacebookやTwitter、はてなブックマークでコメントをお聞かせくださる方の声からすると、何かしらお役立ていただけそうな感じの好反響っぽいので、(相変わらずひやひや感は抱えつつも)大変ありがたく思っています。

加えて本日、私史上まれにみる緊張Maxなクライアント案件の研修本番を終えて、おうちに帰ってきて、ふぃーっとリラックスしてFacebookを開いてみたところ、自分の顔がどかんと出てきて、これまたびっくりしました。

「CodeZine」というIT開発者のための実装系Webマガジンで、先日登壇した際の内容をレポートしてくださったようです。

▼立川談志師匠に学ぶ教え方のエッセンスとは
――Web・IT人材育成にひそむ3つの思いこみ
TechLION vol.25 トーク レポート
http://codezine.jp/article/detail/9392

いやぁ、たまげた。スライドはすでに、この間こちらにも「TechLION出演の後書き」で記した通りSlideshareでご覧いただけるようにしていましたが、どんなふうにお話ししていたのかも読んでやらんでもないという奇特な方、テーマにご興味のある方は、あわせてご覧いただければと思います。

若干「あ、ここはこういう感じで言ったんだけど」という部分も細かくみればあるのですが、大きな誤差を感じるところはなく、かなり丁寧に書き起こしてくださっていて頭が下がります。

さて、今日も実は珍しく講師(表)仕事をやる(に加えて、本業の裏方仕事全般もやる)クライアント案件の研修本番日だったのですが、これでちょっと一息。再び舞台裏に専念。提案中だった案件も、先日お客さんから正式発注の連絡があり、また別のお客さんからも新たな引き合いがあったりと、春らしい活気を感じるこの頃。裏方仕事にぐいっと集中して、一つひとつの組織にきちんと向き合って、しっかりヒアリングして、そこに必要なものを丁寧に組み上げて、形にしていくってところを、丹念にやっていこうと思います。

4月は突発性難聴になったり、階段でずっこけてケガしたりと、健康面もせわしないけれど、突発性難聴もずっこけたケガも大事には至らず、回復に向かっています。ケガは両膝の青あざと、手のすり傷が消えるのを待つばかり。突発性難聴のほうは、今週月曜に3回目の診断を受けてきたのだけど、また若干不安定な検査結果が出てしまったので、もう1週は同じ薬を飲み続けることに。来週の検査結果が安定していれば、薬の数を1つ減らせるかなぁというところ。そのためには薬をきちんと飲むことと、よく寝ること、あとストレス軽減か。4月に緊張しそうな仕事は、あと1場面を残すのみ。ということで、とりあえず寝よう。

2016-04-14

TechLION出演の後書き

先週こちらでもご案内した「TechLION vol.25」( #techlion )というIT/Webエンジニア向けイベント出演を、昨晩無事に終えました。ご参加くださった皆さま、関係者の皆さま、ありがとうございました。

小雨が降る中でしたが、19時30分の開演前に、会場の六本木Super Deluxeはすっかり席が埋まって盛況。いつものTechLIONよりスーツ姿の方が多いとのことでしたが、軽快なモデレーター2人のトークで場をあたためていただいて、時間通りにスタート。一番手の和田さんが登壇、私は二番手。

ああしたイベント空間自体には一参加者なり裏方役で行き慣れているものの、今回は登壇者としてうまく役割を果たせるのか、聴けて良かったと思ってもらえるような話ができるんだろうかという静かで重たい緊張感が、ゴーン、ゴーンと頭の中で鐘を鳴らしている状態で、和田さんの話を聴きました。

練習して臨んだものの、緊張して20分間のうち3回くらい頭が真っ白になった気がしますが…、ご参加者やモデレーターから発せられる朗らかな雰囲気に支えられ、ちょいちょい笑いもとれたりして…、和やかに進めることができました。感謝、感謝。

自分が話したのは、「今どきの若手育成にひそむ3つの思いこみ」というお題。私も先月40歳になって、「人が育たない」とか「キャリアパスがない」とか問題提起してる場合じゃなくて、問題解決する側に完全にまわったなという感覚を覚えましたと。で、ご参加の皆さんの多くも、自分と同世代か上の方が多いと聴いているので、今日は「自分の学び」じゃなくて「若手を育てる」お立場としてお話をしますということで始めました。

あと、今回のお話は20分という限られた持ち時間なので、すでに年末にSlideshareにアップしている効果が出る「仕事の教え方」に引き継ぐ、演目の前のマクラ部分を話すって位置づけにしました。それを聴いてご興味をもってくださった方があったら、演目のほうのスライドをおうちや会社でゆっくり見ていただこうということに。

それで、若手を育成しようとすると、教える側の脳裏に浮かび上がってくるであろう「行く手を阻むもの」を3つ、私が勝手に仮説立てて、その背景にありそうな3つの思いこみを深堀りして、一緒に考察していくという趣向で展開。

その私の勝手な仮説、3つの思いこみ(と、それによって脳裏に浮かび上がる思考)をざっくり挙げると、

1.自分は独学で身につけた(んだから、おまえも自力でやれよ)
2.自分の学習法が一番身につく(俺のやり方でやれば間違いない)
3.結局は本人のやる気とセンスだ(伸びる奴は勝手に伸びるし、伸びない奴は何をやっても伸びない)

あと最後に、
人に教えると自分の市場性は下がるのか?(=人に教えなければ自分の市場価値は維持できるのか?)

というお話。この3本立て(+おまけの問い)で、それぞれに私の「ちょっと待った!」を話しこんでいきました。

とにかく話し終えて、ふぃーっと一息。講演の後に声をかけてくださった方もいて、本当に嬉しかったです。「耳が痛い話だったけど、聴けてすごく良かった」とか、「来週ちょうど若手に教える機会があって、活かしてやろうと思うことがいろいろあった」とか、「まさしく、ずっとセンスの問題だろって思ってやってきていたので、話を聴いて目から鱗が落ちた」と50代の男性の方から声をかけていただけたりもして感謝しきり。あと意外にも「落語好きなんですよー」っていう方も複数いらして嬉しかった。

頑張ってまとめてはみたものの、これってそもそも今回お集まりくださる皆さんに意味のある話として受け取ってもらえるネタなんだろうか…って不安を抱えて臨んだので、お話の後に声をかけてくださった方、また話しているときの皆さんの朗らかな表情には、おおいに救われました。「お話しして良かったんだ」と自分を許して、帰途&床につくことができました。まぁ参加者の中でも、良かったと思った方が後で声をかけてくれるものなのは重々承知しておりますけれども…。

最後に紹介した、マクラの後の演目にあたるスライドはこちらです。ご参加者の方は、あの話の続きということで、目を通してみていただければ幸いです。

▼効果が出る「仕事の教え方」
http://www.slideshare.net/hysmrk/ss-56231539

また今回のスライドも、Slideshare上にアップするかはちょっと悩んだのですが、思い切ってアップすることにしました。

▼今どきの若手育成にひそむ3つの思いこみ
http://www.slideshare.net/hysmrk/3-techlion-vol25
※お話ししたけど、スライド上には盛り込んでいなかった要素をいくらか加筆・修正しています。

今回は、直接お話しする前提で作ったスライドなので、何が言いたいかというニュアンスの部分は、あえてスライド表現に落とし込まず、お話の中で声に乗せて伝えるように意識した部分もあって、スライドだけ見てもご参加されていない方にはいまいち伝わりづらい部分、誤解釈させてしまうリスクもあって、内心こわごわの共有です。が、どこか1スライドでもつまんで、へぇとか、ほぉとか、お役立ていただけるところがあれば嬉しいです。

この度は、本当にありがとうございました!

さて、ここで気持ちを切り替えて、次に向かっていかねば。浮足立つことなく地に足つけて、一つひとつの案件を丁寧に着実に。心をまっさらにして、ゼロから気持ちを作り直していこう。

2016-04-12

突発性難聴その後の後

しつこいようだけど、突発性難聴その後の後のメモ。1つ目2つ目と、今回のを合わせて三部作で完結なるか。

私はブログって、テーマを限定せず自分の気の向くまま書いているんだけど、病気系に関してはちょっと別のニュアンスを含んでいて、市井のブログの役目として一人の患者の体験談をネットにのっけておこう、いつか誰かの何かになるかもしれないし…という意思っぽいものが、なんとなく文章を綴らせている。

病気系の話って、ブログに書いた後、長きにわたって病名やら症状やらをキーワードに検索サイトからやってくる方がいる。私の場合、首痛とか目の手術とか。かなりゆるい文章なので、症状から病名や原因のアタリをつけたい人には全く役立たないけど、それはどこかの公式サイトをご覧いただくとして、市井のブログ的には、同じ目にあった人のブログを読んで、ちょっとした慰めになるとか、放置せず早めに病院行っとくかって後押しになるとか、そういう作用の一つになるかもしれないと。

といっても、「目の手術」なんて、おぞましいことしか書いていない気がするので、手術を受けたほうがいい人がおじけづいて手術を止めちゃうみたいな悪い作用に働いていないといいけど…と不安もあるのだけど。

ただ「目の手術」に比べると、この「突発性難聴」について共有したいことはごく単純で健全だ。ここ数日に書いたような症状が出たら、その日のうちにお医者さんに行って、すぐ薬を飲むのがいいよって話に尽きる。

検査も診察も痛くないし、治療も内服薬を日に3回飲めばいいだけだ。私の経験上は薬もしっかり効いて、飲み始めた初日で症状は消えたといっていい。一方、治療を遅らすと聴力喪失の恐れもあるというのだから、ここは早期治療の一択だろう。

で、先週処方された5日分の薬を飲み終えたので、言われた通りに昨日、2回目の診察に医者を訪ねた。これで終了ー!となれば良かったんだけど、まぁなかなか、そうは問屋がおろさない。

太るときは一瞬だけど、減量にはじっくり時間がかかるように、突発性の病気も、なるときは一瞬だけど、治るまでには時間がかかる。それが世の常、人の常ってやつだろうなぁとは覚悟していたのだけど、やっぱりそのようだ。

検査は前回同様に、外の音が遮断された、臭くない簡易トイレみたいなちっちゃな個室に入って丸椅子に腰かけ、ヘッドホンみたいのをして、音が聞こえたら手元のボタンを押す、聞こえないときはボタンを押さない、というようにして数分間、聴力を測る。結果は良好だった。

1週間前は、右耳と比べて明らかに左耳が機能していなくて、左のグラフだけダダ下がりだったのだけど、昨日は右も左も同じように安定した平坦な線を描き、両方ともきちんと聞こえていた。

でも、それは薬が効いているからってことらしい。薬を止めてみないと、薬がまだ必要か、もう必要ないかってわからない気がするんだけど、素人考えかしら…。とにかく、強いステロイドという薬に移行せずに済んだのは良かった。でも、ここ5日間飲んでいた薬は、継続して飲み続けなければならない。

8時間おき、5種類、一つはシロップで一袋が大きくて重たい。1週間分といってもものすごい荷物になるので、薬局に行くと、薬一式の入ったビニール袋を、さらに紙袋に収めた状態で渡された。それを下げて、デパートの買い物帰りみたいな格好で、会社に帰ってきた。

医者に尋ね損ねたので、薬剤師さんに「これってだいたいどれくらいの期間で薬飲まなくていい状態になるものなんでしょう、目安ってありますかね?」と訊いたら、「原因がよくわかっていないしねぇ、シロップはそんなに長く飲まなくても済むと思うけど、錠剤のほうは3ヶ月は飲み続けるかな」と返ってきた。3ヶ月かー。長いなぁ。

まぁ、プールで泳ぎ続けても問題ないのは良かったけれど。睡眠たっぷりとりましょうっていうのと、薬を0時に飲む必要があるって両立は微妙だ。この1週間は、早く床につくときは深夜0時に目覚ましをセットして一旦寝て、0時に起きて薬飲んでまた寝ていた…。まぁ耳が聞こえるなら、それくらい全然構わないけども。健康は本当に大事だ。しみじみ。

あと、「あぁ、その病気なら私もなったことあるのよ」って世間話を、地域コミュニティを越えて見知らぬ人同士で共有できるようにしたインターネット、すばらしい。うまく使えるか否かは人間レイヤーの話、うまく使いこなせなくて害が及んだときにもインターネットのせいにしちゃいけないわ。

2016.6.11追記)
突発性難聴の発症から治療終了まで、2ヶ月の体験者記録を参考までにまとめておきます。

▼教訓
症状が出たら即日お医者さんにみてもらって薬を飲み始めること。薬を飲み続けるべき期間の素人判断は良くない。一旦治ったと思っても、再び不安定になることがあるので、言われた期間どおりに薬を真面目に飲み続ける。あと、睡眠をしっかりとること。

▼経過報告
1週目:突発性難聴は、症状が出たその日のうちに病院に行って薬を飲み始めたら、その日のうちに自覚症状はなくなった。処方された薬を飲み続けて1週間後に来いというので、まじめに薬を日に3回(8時間おき)5種類飲み続ける。
2週目:検査結果は良好で問題なし。ただ、これは薬のおかげなので、もうしばらくは同じ薬を継続ということで、また飲み続けて1週間後に病院に来いということに。
3週目:今度は、症状の出た左耳に若干聞こえづらさがある検査結果。まだ不安定なので、もう1週間は同じ薬を飲み続けて様子をみることに。
4週目:今回は検査結果も良好。一番重たい(重量的に)シロップ剤はもう飲まなくて良しということになり、それ以外の錠剤4種を継続。
5週目:今回も検査結果も良好で、だいぶ落ち着いた感じ。ただ、まだ症状が出てからそう日が経っていないので、あと3週間、錠剤4種は飲み続けなさいと処方される。それが切れて薬を飲まなくても大丈夫だったら完治。おかしくなったら、また来なさいということで通院は終わり。
9週目:薬が切れたので、そのまま飲まない日々を続けて、再発することなく1週間。発症から2ヶ月で完治を確認。よかった。

▼関連リンク
2016-04-06「突発性難聴になった」
2016-04-07「突発性難聴その後」

2016-04-09

遷宮20年おきの「技術継承説」

BtoB広告協会が主催する「BtoB企業におけるWeb人材の教育」というセミナーに参加した。といっても、急きょ大事な客先訪問の予定が入って、第3部のパネルディスカッションだけ拝聴したのだけど。

印象に残ったのが、伊勢神宮が20年おきに遷宮を行うのには「技能継承」の意味があるらしいという、イントリックスの気賀崇さん(モデレーター)のお話。帰って調べてみると、「国土交通白書 2014」中のコラムに、こんな記述が見つかった。

遷宮がなぜ20年に一度と定められたか、その理由には諸説ありますが、その説の一つに「技術継承説」があります。20年という期間は、当時の寿命でも2度は遷宮に携わることができ、初めて遷宮を経験する次世代の技術者へ技術を継承していくのに合理的であるという理由です。(*1)

これを知って、数年前ある企業から相談に呼ばれたときのことを思い出した。その相談ごとをそのままリアルに書くわけじゃないけど、ここ数年で類似の問題に直面した(直面している)企業は多いのではないかという想定で、私の妄想をたぶんに含んで仮想のお話を少し綴ってみる。

わが社は、インターネット黎明期にネット事業を立ち上げて、ここ十数年で急拡大した。前にWebサイトを全面リニューアルしたのは、もうだいぶ前のことで、その後はサービスを拡充したり、問題箇所を改修したりのプロジェクトを何年も重ねてきた。そのうちにWebサイトも事業もぐんぐん成長し、前に全面リニューアルしたときとは比べ物にならないほど大規模で複雑になった。

ふとサイト全体を見渡してみると、さまざまな要素のつけたしで、コンテンツの重複も見られれば、いらなくなったものの残骸もあちらこちらに。混沌としていて、何がどこにあるのやら、操作性にも一貫性がなく、ユーザーに使いづらさを強いてしまっている。

ここはいっちょ、しっかりと予算をとって、抜本的なサイトの作り直しにかかろうじゃないかという話になった。それで久方ぶりの全面リニューアルプロジェクトにとりかかったはいいが、前に全面リニューアルプロジェクトを推進した社員はもう残っておらず、今いる現場の社員はさほど大きくない拡充・改修プロジェクトしか経験していない。サイトも、前回リニューアル時とは比べ物にならないほど大きく複雑になっている。多くの既存顧客を抱えている状態なので、そちらの運用に支障をきたすことも決して許されない。あらゆる面で、全面リニューアルを完遂する難しさは、前回の比ではない。とはいえ、やらないわけにはいかないので、やると決済。予算もとったし、人員も割り当てた。それでしばらく現場に任せていたら、問題が水面下で膨らむだけ膨らんだ状態で、全然うまいこといっていないことが発覚。←今ここ。

こうした問題に多くの企業が直面した(している)とすれば、遷宮に学び、(20年単位というんじゃ長すぎるけれど)技能継承の観点から、サイト全面リニューアルプロジェクトの意義やタイミングを捉え直してみるのも面白いかもしれない。

中途採用で、その規模感のリニューアルプロジェクトを経験した・成功させたという人を採用すればうまくいくってものでもない。それよりは、全員が未経験のことに挑戦するのは避けられない前提で、組織でどう力をあわせて成し遂げるかって方向で考えたほうが、全うに策を講じられる気がする。プロジェクトを走らせながら、それを達成する力をつけていくほかない部分もたぶんにある、そういうもんだろうなと。

*1:「国土交通白書 2014」第I部 第2章 第3節内のコラム「式年遷宮に見る技術継承と技術者確保」より

2016-04-08

IT・Webエンジニア向け「TechLION」イベント出演

来週4月13日(水)の晩に、「TechLION」というITエンジニア向けのイベントに出演することになりました。表舞台というのはなかなかない経験で、まれにお声がけいただくと、びびりながらお引き受けするのですが、今回もびびりながら当日を迎えようとしています。もしご興味ある方がいらしたら、ぜひ優しい微笑みをたずさえて、遊びにいらしてください。100名募集で、今確認したところ86名のご参加申し込みが!あと14名、受付中です。

TechLION vol.25
~TechLION 5周年!100人集まれ!WEBとIT業界どこへ行く?~
http://techlion.jp/vol25

「TechLION」はITエンジニア向けのイベントとして続いているものですけど、今回はIT・Webエンジニア向けの内容になっていて、Web系の皆さんもぜひとも!ご参加をお待ちしています。

2,700円の有料イベントなのですが、Super Deluxeという六本木のイベントスペースで、1ドリンク付き。登壇者4人の話を酒の肴にしつつ、IT・Webエンジニアのご参加者とフラットに交流できる場になるんじゃないかと思います。

私も、仕事で関わるのはWebのフロントエンド側の開発・デザインなり、ディレクション、情報設計、マーケティング寄りに携わる方が多くて、エンジニアリング専門の方というのは、友人にはいても、仕事で交流する機会ってなかなかありません。なので、だいぶドキドキしています。これまで一度も話したことないのに、バレンタインデーにいきなり駅で呼び止めて「好きです、つきあってください」と思いのたけを告白するようなものです。ちょっと違うか…。

ただ、これまでの経験上、Web制作者向けの学習やキャリアについてブログで言及したり、スライドを作って共有すると、ITエンジニアの方からも反響があって、こっち業界でも同じことが言えるってコメントをいただいたりしたので、その辺で役立つ(かもしれない)話が共有できたらと思って臨みます。かなり手探りですが…。

一人の持ち時間が20分ということなので、演目に入る前の「マクラだけ話します」(by 春風亭一之輔)って感じになると思いますが、大人の学習とか人材育成とかキャリア形成とかにご興味ある方がいらしたら、ぜひ会場で意見交換などさせていただければ幸いです。どうぞよろしくお願いします。

私の登壇テーマは、今どきの若手育成にひそむ「3つの思い込み」。概要としては、次のような感じです。


IT/Web業界というと他業界に比べて、企業間の垣根なく「シェア」する文化が根づいている印象があります。オンライン・オフラインを問わず実践コミュニティが活発で、情報・意見交換に留まらず、ノウハウやツールを共有したり、よりよい方法論やアプローチを議論して磨き上げたりと、フラットで前向きな人と人のつながりが魅力的に映ります。
しかし、一人ひとり歳を重ね、また更なる業界発展を見据えると、同世代や先輩と関わるばかりでなく、みずからが一回り二回り下の世代に(老害を避けて)教えていく活動も、尊さを増していきます。
今回はIT/Webエンジニアの学習について、「自分が学ぶ」というより「人を育てる」という観点でお話ししてみます。現場で今どきの若手育成に困っている方の胸のうちにひそんでいるかもしれない「3つの思い込み」を取り上げて、そこからの解放を20分で目指します(壮大すぎる)。

詳細はこちらから。ご参加くださる方は、当日なにとぞ朗らかなまなざしで、どうぞよろしくお願いします。

2016-04-07

突発性難聴その後

昨日、Facebookとブログに突発性難聴になったことを書いたら、心配の声を寄せてくださったり、体験談を聞かせてくださったりする方が多くいらして、なんて慈愛に満ちた人と自分はつながっているのだろうと、大げさに言っているのでなく身に沁みた。

それだけで症状が軽くなる思いがしたし、実際に今日は、昨日より軽い症状で過ごせた。薬のおかげ、初日が一番ひどく出る、症状には波があるもの、軽度の理由はいろいろ考えられるけれども、あたたかい人の声かけが作用したというのも、原因が精神的なものなら影響したと見ておかしくない。

昨日の晩寝るときは、朝起きたときに悪化していたら嫌だなぁと不安の心持ちで床についたのだけど、どちらかというと軽くなった状態で目覚めて、とりあえずほっとした。

今日のプレゼンも、緊張はしたけどうまくいって一息。訪問してみたら取締役の方も出てこられて、うぉっとなったけど、むしろあらかじめ言われていなくて緊張感の総量少なく終えられたのは良かったんだろう。それも皆さん、(四十にして小娘とも言っていられないけど)若造の話に耳を傾けてくださって、社内の状況や問題意識についてもざっくばらんに腹を割ってお話ししてくださる。

帰り道、自分はお客さんにも仕事仲間にも友人にも、とても恵まれているなと改めて思った。独立性高く仕事していきたいとかなんとか言っていても、弱ったときに救われるのはいつだって人の温もりだ。そういうことを大事におもって、一つひとつ丁寧にやっていこうと思う。

突発性難聴のほうは、この一日のうちに7人の方が、ご自身またはご家族・ご友人の体験談を聴かせてくれて、けっこう身近な病気なのだなと思った。何度かなったことがあるという人もいて、完治した話には救われるが、治療が遅れて聴こえなくなってしまったという話もあり、気はぬけない。治療自体は早く取りかかれたと思うので、あとは油断せず対処して、完治にもっていきたい。

お医者さんのいうとおりにきちんと薬を飲んで、たっぷり睡眠をとって(薬を飲む時刻のひとつが深夜0時に定められているのがなんだけど…)、緊張する場面はいくつか続くので、そこは深呼吸して鼻歌でも歌って、うまいこと乗り切りたい。ともかく、気にかけてくださった方には心から感謝、感謝なのだった。これほどの良薬はない。

*2016.5.14追記:関連リンク
2016-04-06「突発性難聴になった」 2016-04-12「突発性難聴その後の後」

2016-04-06

突発性難聴になった

なんだか知らないけど、突発性難聴にかかってしまった。昨晩からだっかか今朝からだったか、なんか左耳がおかしいなぁ、膜が張っているような、これはいったい何なのか…と気になっていた。

私は朝プールに通っているのだけど、プールからあがってもずっと水中に潜っているような感じで、時間をおうごとに徐々に水深が増していく感じ。昼過ぎにもなると、だいぶ深海まで潜りこんでしまったような感覚を覚えた。

違和感だけでなく、音も聞き取りづらくなってきたので、まいったなぁと思って会社近くの耳鼻科へ行くことに。

こういうとき、Google検索で「地名 診察科」からレビューをたどって近所の病院を絞り込めるのは本当に助かる。絞り込むというか、一番上に出てきたところのレビューをみたら良さそうな先生だったので、そのままLet's go!しただけだけど。

「雑だけど腕がいい先生」とか事前情報をもって向かえると(雑というのはコミュニケーションがという意味で、処置は痛みがなくて良いとのレビュー)、こちらも心構えができているので伺いやすいし(実際に頭押さえられて「動くな」とか言われた時も、ほんまや!と楽しめた)、実にありがたい。

さて、行って検査をしてみると、これは突発性難聴だという。検査結果を見ながら「花粉症で鼻のかみすぎかと思ったら、そういうんじゃないね」と先生。ストレスはないかと問われるが、特別思い当たるものはなく、「いやぁ、特には…」と回答しつつ改めて考えてみる。

何かあるかなぁ。「何かしらあるだろう、一つくらいひねり出せ」と言われれば、いくらでも挙げようはある気もするけど、あれか?これか?こっち系?と、指折り数えだしたらそれこそストレスがかかりそうだ。指折り数えるなら、ありがたいこと感謝してることを挙げていったほうが健康に良さそうである。それに、どれも耐え難いってほどのもんじゃないし、これまでも程よく意識して程よく取り合わずにうまくつきあってきたものばかりだしな。しかし、今思い浮かんでいる中のものだったらいいけど、自分にまだ見えていないストレスがあるなら厄介だなぁ。ないといいなぁ。

などと考えながら数秒「うーん」とうなっていたら、先生が苦笑して話題を変えた…。5種類の内服薬をもらって、5日間飲む。そのうち一つは「ものすっごいまずい」と言われたけど、覚悟して飲んだらそれほどでもなかった。すぐには効かないらしいので、5日間飲んでみて、どうかというところ。それで効かなければ、もっと強い薬を処方されることになる。今回ので効くといいなぁ。というか、それまでにすっかり治っちゃうといいなぁ。突発性だけに、突発的に治らないだろうか。

とりあえず、この手のものは早めに医者に行ったほうがいいですな。2週間も放置すると、耳の中の機能がすっかり衰えて、めまいの症状が出たり、けっこう大変ぽい。聞こえなくなったらいやだし、ここは大事にして乗り越えたいところ。

私は基本的に裏方稼業なのだけど、ちょうどこの2週間ほどは人前で話す機会が続く。明日は客先でプレゼン、来週はイベントで講演があり、再来週は客先で自分が講師をすることになっている。これが一段落すると、耳も落ち着くだろうか。とりあえず、よく寝て、しっかり薬飲んで、一つひとつ丁寧に落ち着いて仕事を納めていこう。あとは、よく笑おう。

*2016.5.14追記:関連リンク
2016-04-07「突発性難聴その後」
2016-04-12「突発性難聴その後の後」

2016-04-05

集中が先か、静寂が先か

桜も満開を迎えて、そろそろ散り始める頃。会社も新しい期を迎えて、昨日はキックオフ(全社集会)があった。このひと月ほどは、組織変更、人事異動、入社や転職の通知を社内外から受け取ったりして、へぇ!!というものもいくつか。自分が動かなくても周囲が動くと、それはそれで自分にとっても環境変化になるものだなと思う。

とはいえ、私自身は会社の席をひとつ右に移っただけで、割りと淡々と仕事をしている。席は比較的静かな壁ぎわ、窓寄りの端っこ。自分の仕事の独立性を保ちたいという意思はけっこう強くあって、その辺の環境を長く維持し続けてもらっているのは、殊にありがたい。

今期は社内のこともいろいろやろうと思っているのだけど、外部のクライアントからのご相談も引き続きいただけて、これはこれで大事に続けていきたい。自分から社会に働きかけて「問題」を狩りにいく気概は乏しいのだけど、どこかで困っているというので呼ばれて相談を受けると俄然ドライブがかかって問題解決の絵を描かんとする、こういう人間にとって受託稼業というのはたいそうフィットする仕事であり、この役どころに巡りあえたことには感謝するばかりだ。

そんなわけで、今日もお客さんに出す提案書の骨子を書いていたのだけど、ひとまとまり書き上げたときに思ったのは、静けさありがたし!ということ。今日くらいの集中力を維持できる静けさがなかったら、今日のような言葉の連なりを提案書に書き表すことは、私にはできなかっただろうと振り返ったのだった。

業務環境というのは大いにパフォーマンスに影響するものだと、改めて実感したのが一つ。それはいいとして、今日は自分の周囲がけっこう出払っていてとりわけ静かだったので、それでしか今日くらいのものが書けないのではまずいな…と危機感を覚えたのが一つ。

お客さんからヒアリングした内容をひも解きながら、この研修のねらいはそもそも何なのかとか、その中でこの研修のゴールは何とすべきなのかとか、この研修をその後の現場のどんな行動変容につなげていくと研修をやった実利が出てくるのかとか、そのためには研修の中身をどんな構成で、どんな講義展開で、どんな演習なり演出で、どんな学習環境で…などと考える。

雲をつかむようなところから、地面に引きずり落としてくるところまで、お話の筋が通るように抽象度を上げ下げしながら言葉とイメージをつかんだりちぎったり格闘していこうとすると、どうしても静寂が必要になってくる。

自家発電の集中力があれば、外の環境がどうでも静寂は手に入るのかもしれないが、私はあいにくその辺のコントロールが弱くて、だいぶ環境依存である。静かな環境あっての集中力。没入感なんてなかなか得られず、私にとっては憧れの感覚だ。

でも、環境に恵まれて集中を手に入れたときは、脳内にいろんな人物が登場して充実感がある。とことん理想のビジョンを語ろうとする小人、あれもこれもと思いつくまま風呂敷を広げようとする小人、ひたすら現実的な落とし込みに熱心な小人、依頼主や受講者の心の機微に敏感な洞察力と思慮深さが売りの小人、言葉の表現にこだわる小人、話がロジカルにつながっているかに目くじらをたてる小人、風呂敷をせっせとたたむのに必死な小人、いろんな人が脳内に登場しては一家言もちだして、あーだこーだ言う。それをいいところどりしてまとめようとする小人もいる。

どの小人も別段優秀なわけじゃないが、いろんなタイプの小人が脳内に住んでいて、みんなで遠慮なく議論しあっている様はいい。にぎやかに議論して、内容が煮詰まってきて、提案書が仕上がりをみせると、水泳の後と同じような爽快感を覚える。まぁ、そこまででは自己満足。出してみてなんぼなんだけど。

何の話だっけか、ともかく今期も細々ながら役に立つ仕事を納められるように一つひとつ頑張ろうという話。あと、没入感まで贅沢は言わずとも、賑やかで濃密な脳内会議ができるよう、集中力はもう少し自家発電でいけるようにしたいところ、これは切実だ。

2016-04-04

気持ちを重ねること

ここ数日、飛鳥時代にタイムスリップしている。先日なぜだか本屋で手が伸びて、井上靖の「額田女王」(*1)という文庫本を買ってきた。600ページある大作で、今400ページを過ぎたところ。小説というのは本当にすごい、一千年の行き来もなんのそのだ。

額田女王(ぬかたのおおきみ)は「大化の改新」後の激動を生きた宮廷歌人で、巫女でもある。彼女の生涯を“著者独自の史眼で”綴った歴史小説とあって、歴史にとんと疎い私には何が史実に沿っていて何がそうでないかよくわからない。けれど、百済、新羅、高句麗、唐との関わりや朝鮮半島への出兵、中大兄皇子・大海人皇子の性格など、「日本書紀」の記述を読みこんだ上で物語を膨らましていった感があって、あるいは丸ごと全部、本当にそうだったかもしれないとも読めて楽しい。

こんな歳にもなると、少女マンガの主人公ではなく、井上靖の描く額田女王に「わーかーるー」とか思っちゃうもんなんだなと共感を覚えつつ読めるのも楽しい。

そういえば、額田の生きざまに触れながら、対比的にふと思い出したのが河合隼雄「コンプレックス」(*2)の中の一節。話は現代に戻るけれど、今の時代は一般に男性的役割を重視する傾向が強いことを背景として、

女性が男性に対抗しようとするとき、女性の役割の重要性を主張するよりは、むしろ、女性も男性的役割を遂行できることを示そうとする

という話。これを読んだとき、あぁ確かにそういう面はあるかも…と思った。もっと力まず、気張らず、女性が女性的役割を肯定的に受け止めてふるまっていったら、そのほうが自然だし、男女持ちつ持たれつやっていける気がするんだけど、なかなかそうもいかないもんだろうか。はたで見ていると、女性の側がむしろ、性別に関して過剰な対抗心をもって男性に挑んでいるようなアンバランスさを感じることがないではない(婉曲…)。

男性も、女性も、いわゆる男性らしさもあれば女性らしさも持ち合わせている。それを時に、男らしい、女らしい、男勝り、女々しいなどと言ってみたりもするけれど、どちらの表れも自然なこと。それをいちいち性別と照らしあわせてふさわしいか否かと評価せずに、ただ気持ちを汲みとって、ただ受け容れたらいい、そういう時もたくさんある。

人ひとりの中には、強さも、弱さも、温かさも、厳しさも、たくましさも、やわからさも、全部入りなのだ。それが出たり引っ込んだり、強まったり弱まったり、いろいろ変化する。そういうことを汲んで、相手の今を見て、相手の今に気持ちを重ねること、その人が同姓を求めるときは同姓的に、異性を求めるときは異性的に関われるのが、私個人的には最も自然で、好ましく、しっくりいく感じがする。そんなの計算でできるものじゃないから、ただ自然体で自分がそういうふうであれたらいいなというだけだけど。

なんで私は「額田女王」を読んでいるんだろうって、何の脈絡もなく手にしたからこそ意味深く感じている。読み進めながら今思いを強くしているのは、大事なときに、相手に「気持ちを重ねること」を大切にして過ごそうってことだ。じたばたせず、己のなすべきことをし、静かに、相手に気持ちを重ねること。額田がそうしたように。

*1: 井上靖「額田女王」(新潮文庫)
*2: 河合隼雄「コンプレックス」(岩波新書)

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