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2016-03-05

洗練される定義、乖離する現実

仕事の役割分担でいうと、できるだけ多くの仕事領域を(一人と言わずとも)一つの職種でまかなってくれたほうが、チーム体制もシンプルだし、職種を新たに考えて作る必要もないので、話が早い。そうすると、インターネット界隈のように、その発展とともに仕事内容が専門分化しているまっただ中の業界では、一度定着した「Webデザイナー」なり「Webディレクター」なりの職種名はそのままに、そこに求められる職務範囲は拡張し、内容は複雑化し、レベルは高度化していく。あれもできてほしい、これもできてほしいとジョブディスクリプションの厚みは増していき、さすがにこれを「ひとりの人間の職務」とするのは無茶じゃない?っとハッとするその日まで、それが続く。これが自然な流れだろうか。

職種名というのは、個々の人間に直結したものではなく、ひとつの概念だ。概念を定義づけるジョブディスクリプションは、日ごとに洗練されて美しくなる。自分の職種名の記述が、あれもできるこれもできる人と洗練されていくのは気持ちがいいし、「我々はこうあるべきなのだ」と目標を明示的に掲げて共有することで、自身や組織、コミュニティを鼓舞する価値も見いだせる。企業視点でも、こういう人がいてくれたらなぁと採用したい像を言葉にあらわしていくと、どんどん完璧な像に仕上がっていく。概念というのは有形でなく、概念を示す職種名にはいろんな意味を与えられる。

一方で、概念を表す言葉って、推敲されて洗練されればされるほど現実から遠のいていく側面をもつのではないかと思う。それを全部満たすスーパーマンなんて早々いないよねってことになっていく。

まったくいないことはない。けど、そのスーパーマンを雇うだけの報酬や待遇、仕事内容、職場環境を、自社で用意できる企業、それを発信してスーパーマンに届けるだけの広報・宣伝力がある企業は、洗練さと反比例して減じていく。となると、自社の採用市場性を踏まえて、現実的な着地点まで要件を削り落とさないといけない。

企業は自社の市場性を忘れて採用活動を考えがちだし、個人は自分の市場性を忘れて求職活動を考えがちだ。自分のことは棚に上げて、市場に文句をつけたほうが楽なのだけど、解決は遠のく。市場の側より自分の側に問題点を設定したほうが解決策は講じやすい。

企業なら、特に市場に出回っていない新しい&難しい職能を求める場合、「全部入りの即戦力」前提ではなく、基本は外で買えないものと頭を切り替えて、種を買って育てる「ポテンシャル採用」を前提にしたほうが、望む体制づくりが能率的に進むかもしれない。

個人の側も、抽象語りに溺れてしまわないように注意して、「こうあるべきだ」の目標ことばを研ぎ澄ます時間はそこそこに、個別具体的な仕事をきちんと一つひとつ試行錯誤してやりぬくこと、その目の前の仕事をどれだけきちんとやり遂げられたのかを内省する時間を長めにとったほうが、実質伸びるんじゃないかなって気がする。キャリアデザインにおいて言えば、時間のかけ方はデザインする時間を短く濃厚に、現場でドリフトする時間を長く実直にもったほうが振り返って充実した人生を送れそう。

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