仕事の潮目が変わる
先日ここに書き残したように、ひさしぶりに自分の仕事の潮目が変わる感覚を覚えている。とはいえ、なんとなくそうなような、そうでないようなって感じなので、この先どうしたらいいかなぁ、どうすべきだろう、経営者視点に立ったら私にどんな役割を与えて活かすのが適切とよむだろう、あるいは社会を構成するパーツの一つとしてみたら、この人をどう社会で役立てたら合理的とよむだろう、もちろん本人の心が向く方向で…なんてことをしばらく考えていた。
決して優秀なわけじゃないが、まったく使い物にならないというわけでもないだろうと、そこそこ自分に都合よく考えてみて、そういう人並みのリソースこそ得手不得手を見定めて使いどころをうまいこと考えるのがプロデューサーの役割ってもんだろう。って、どういう立場で言っているのかよくわからないが…。
とりあえず社会という枠組みは大きいので、いったん組織で考えるとして、こうした組織と本人のベクトル合わせは、三十路も過ぎたら適時自分で施すのが基本であろうと個人的には考えている。上が与えてくれるのをいいの悪いの言っている組織規模でも年齢でもない。
で、なんとなくこの軸に変えどきってことなのかもしれないというのが、手元にメモ書きできるレベルでは言葉になった本日。そういう類いの話が、相談レベルでも具体的な案件レベルでも最近やってきている感じはあるので、そういう潮目ってことなのではないかと。
でも、まだ読み違えかもしれないって気もするし、わからない。ちょっと探り探り人に話してみようかなと思っているくらい。あの案件がとれたらしばらくそれどころじゃなくなるし、案件の動向と周囲の反応と、それ次第で潮目の正体をよんでみようかなと思っているところが、やはり風まかせ。
年々「人為もまた自然のうち」との思いが強まり、ここ数年は自分の思うこと、考えること、選ぶことすら自然のなりゆきと考えるようになった。私がこの先どんな巡り合わせを得て、何に反応して、何に興味を覚えるか、それって私のコントロール下にはないのだ。それすら自然の為すことなのだ。
私の意識に任されているのは、そうして自分が感覚した刺激、受け取った認識をもとに、最後の最後の意思決定を為すことくらいだ。その意思決定すら、もととなる認識に抗わず素直に応えるなら、私というより自然に導かれたものだ。
と言いながら、それでもけっこう自然のままに素直に刺激を受け取って認識を深めて答えを出していくのってそんなに簡単じゃない気がしている。だから今日書いた手元のメモを胸にあてながら、しばらく耳を澄ませて、ほっぺに意識を寄せて、外吹く風にふれて検証してみようかなと思う。
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