突然は突然に来る
私が直接交友のあった方ではないのだけど、私の大事な人たちの大事な人が、突然に亡くなってしまったり、突然に朦朧として意思疎通できない状態になってしまう事態が、ここ数週間のうちに3つもあった。一人は心筋梗塞、一人は交通事故、一人は脳内出血だ。
一人はブログを読んで、その近況に触れた。お母さんが突然の事態に見舞われ、バタバタとして一日を終えて深夜家に戻ると、お父さんが「言っておきたいことがあったのに…」と呟いたという。自分が先に逝く前提で、その前に言い残していこう、いずれ…と思っていたら、嫁のほうが先に参ってしまうという思いがけない事態。これは、我が家でも父が経験したことで、その思いと重なって滲んでみえた。
まさか、そんなことはないと、想像もしない。突然が突然にやってくるかもしれないからと思って、「いやぁ今日が最期かもしれないから言っておくけれど」なんて、元気な日常の中では、なかなか口に出す気にはなれないものだ。
だけど、突然は、突然にやってくるのだよな。当たり前だけど。昨日は元気だったのに、数時間前に手をふって別れたばかりなのに、ということが、日常に起こってしまう。突然は今に接続しているし、突然は日常の中に起こる。だから突然なのだ。
言いそびれてしまう、伝えそびれてしまう、触れそびれてしまう。何をしたところで、何かしそびれてしまった悔いは残るような気がするけれども、それでも本当にやりきれないということにならないように。
そのためには、やっぱり、突然は突然にやってくるのだよな、という当たり前のことを、時々思い返して、意識して生きていくことかな。「意識して生きていける」ということが、人間のすごいとこだしな。
そして、人に対しての悔いを残さないようにってだけでなく、やりたいことがある人は、「突然」におそわれる前にやったほうがいいのだ。私はやりたいことがある人の生命力に共鳴して、それをサポートするのが自分のやりたいことっていう微弱で他力本願な生命力だけど…、私なりに今を大事にして、自分とも人とも関わりたいと考えさせられた。
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